合田さんのこと(その1)
2006年 07月 01日
結局、ワインの話よりも雑談のほうが多くなって、たとえば、団地に住む普通の主婦だったのだけど、このままでいいのかなと疑問に思ったので旦那に相談したら、きみの特技はワインが沢山飲めることとフランス語が話せることだから、それを生かせる何かをすれば、と言われて、早速幼い子供二人とその世話係に実のお母さん連れ、ボルドーのワイン大学に留学した話とか、同級生にコント ラフォンの娘がいて、その家族のパーティに招かれて楽しかった思い出話とか、気がつけばお店の営業時間に突入していたのでした。でも、そのとき彼女がすすめてくれたアルザスのジョス・メイヤーのワインはいままでにない軽さとフルーティーさで、いいワインというのは料理の邪魔をしないものだと思う、という言葉に感銘して早速購入、当時のうちのワインリストの定番となりました。本当にワインが好きで、いいものを探して紹介したい、という熱意がやさしい語り口に秘められていて、素敵な女性だな、という印象でした。
数年後、まだ伊丹空港から国際便が飛んでいたころ、彼女が、翌日の便でフランスに帰るご夫婦をぼくのお店に連れてきました。食事の前にご挨拶に行くと、ご主人の方がすごく不機嫌、「おれはもう、日本人が作るフランス料理は食べたくない。」とフランス語で話しています。合田さんも困った様子。ぼくも内心おもしろくない。そこで、当時やっていた破天荒料理、サバのシュークルート!をお見舞いすることにしました。それを食べたムッシュ、なんとうってかわったニコニコ顔。最後までご機嫌で、ぼくに名刺をくれて、自宅の電話番号まで書き、フランスに来たら遊びに来い、と言います。誰やね、このおっさん。見ると、ブルゴーニュワインの風雲児、ヴェルジェのギュファンス氏の名前が!合田さん,その様子をみてびっくり。東京と大阪で氏のセミナーを開いたんだけど、彼はずっと不機嫌で、持っていないと言って、1枚も名刺を出さなかったらしい。「この人、持ってたんだ。」とあきれていました。その時、ムッシュ ギュファンスがぼくに尋ねました。「こんな料理、日本人に理解できるのか?」。「でも、あなたもベルギー人なのに、フランスでワイン造ってるじゃないか。」「いや、最初はわかってもらえなかった。」と彼はいいます。「ただ、おれはその日の天気を見て、今日はブドウのためにこうすればいいといい続けてきたんだ。やがて、みんなが理解してくれるようになって、よかった。だから、お前も自分が思った通りやり続ければいいんだ。」。最初と違ってその笑顔は、子供みたいでかわいかった。そして、今日は泰子の誕生日だから、と言って、その日の支払いを済ませたのです。合田さん、再びびっくり。なにしろ、その変人ぶりに閉口し続けてたから。ミチノさんのところに来てほんとによかった、そうでないと、この人のこと嫌いになりそうだった、と笑ってました。
そうして、八田商店に在職中は数々の名ワインを紹介し続けた合田さんでしたが、やはり、一人飛びぬけた存在となってしまったのでしょうか。あるいは会社組織に収まりきれなくなったのでしょうか。やがて、八田を辞め、度々フランスへ渡るようになります。そこで彼女はペーター ヴザン氏と出会い、新しい動きをはじめました。アメリカ向けのスペシャルワインを造るNorth Berkeley Importsのコンサルタントとなったのです。
これは、もっとよくなると思われるドメーヌ(ワイン生産者)を訪ねて、ノンフィルターで瓶詰めするなどのアドヴァイスを行い、それを買い上げてアメリカに輸出する、というビジネスで、そのように生産したものはスペシャルキュベ、あるいはキュベユニークと呼ばれて、これがパーカー氏に絶賛されたこともあり、大好評となりました。最初は半信半疑であった生産者たちも次々参加するようになり、、アイテムは増えていきました。そして、それらのスペシャルキュベを日本にも輸入すべく、出資者を募って合田さんが中心になり立ち上げたのが、ル テロワールという会社です。
長編なので2回に分けます。続きは2週間後、7/13の予定です。
お楽しみに!