旭川の秘密クラブ
2006年 09月 18日
今の彼の店は、旭川市街のほぼ中心の4・6にあります。北海道の町が殆どそうであるように、旭川も京都みたいな碁盤状になっていて、一番賑やかな飲み屋街は3条6丁目、いわゆる3・6なので、そこから一本西の通りです。10年で3回店を移りましたが、今の店が一番小さい。木の引き戸があって、その横に30センチ四方のMelanger(メランジェ)とフランス語で書かれた看板が一枚あります。引き戸を開けると、また扉で、そこにはインターホンが付いています。ボタンを押して呼びかけるとオートロックが解除されて、やっと店内へ。かなり怪しい。
最初は驚きました。これでは秘密クラブではないか。でもその怪しい店が今、旭川一番のフランス料理店と言われ、地元のフリークが、扉を開けてもらえる常連となるべく通いつめているのです。うーん、やるなぁ。
彼が旭川に行きたいと言ったとき、ぼくはもちろん止めました。ぼく自身が旭川で一年シェフをやった経験があったからです。残念なことに、ぼくの料理はほんの一部の人にしか受け入れられませんでした。
料理人の立場からすれば、地元にしかない食材を活用したいのです。でも、そういう食材は地元の人にとっては珍しくない。むしろ、普通に食べる方がいい。ややこしいものにして、値段が高いのは何故、ということになるのです。それより、魚は鯛、海老はオマール、肉は牛肉。やればやるほど空回りでした。だから、うちでの修行がかえってあだになるよ、と。
でも、彼はぼくの店で修行したという誇りを捨てませんでした。案の定、苦戦の連続。結局、10年、3回の移転とあいなりました。
今のお店は小さいからぼくとのコラボは遠慮します、と彼は言っていたのですが、好調との知らせを聞いていたので、是非フェァをやろうと今回はぼくの方から提案しました。料理も遠慮なしのミチノスペシャルバージョン連発。これがバカ受けで、小さな店に熱気渦巻き、皆さんワインもどんどん飲んでくださる。あげくに握手攻めで、結構オレ気分よかったな。
そして、ぼくは悟ったのです。ぼくのやれなかったことをカワハラはやったんだ、と。ぼくの料理が無条件に受け入れられたのは、ぼくが彼の師匠だからで、ということは、彼が旭川で認められているからなのです。
ぼくが彼に伝えたものを彼が自分のものにして育てて、かつてぼくが尻尾を巻いて退散したこの場所に根付かせた。そのことに気がついて、ぼくは感動しました。弟子などではない、むしろ先生かもしれない。
そういえば、彼のところの常連さんが大阪に来られたとき、ぼくの店にわざわざよってくださって、食事のあとの雑談でこう仰っていたのを思いだしました。「私はカワハラを旭川ではなく、日本のカワハラだと思っています。」ぼくはすかさずこう言いました。「それなら、ぼくは世界のミチノです。」
あー恥ずかし、カワハラご免な。
ほんとに楽しい、感動の夏休みでした。で、イトウ釣りはどうなったか。すみません。川が前日の雨で増水、濁ってそのうえ雨まで降ってきてさっぱりでした。捲土重来!次こそ必ず。ちなみに、ぼくは今まで2匹の大物イトウをゲットしていますが、カワハラはまだボーズです。カワハラ、まだまだ修行が足りんな。
レザール・サンテ! オーナーシェフ 道野 正