人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

神の子

十数年前のことになるのですが、その頃京都で「パリの食堂」というお店を経営していて、今にいたるビストロブームの先駆者となった早川佳毅くんからこんな電話がかかってきました。「うちでスタジエやっている高校生が、次はもっと本格的なレストランで働いてみたい、といってるんですが、道野さんのところでお願いできませんか。」。
 フランス料理が大好きな男の子で、夏休みとか冬休みとかを利用して、レストランで見習いをやっているのだとか。なんかオタクっぽいなあ、と思ったのですが、かつてともにフランスで時を過ごした親友の依頼だし、無給でいいということだし、まあいいか、くらいの気持ちで承諾しました。
 あれは冬休みだったのかなぁ。その子がやってきました。見れば、おめめくりくりのかわいい男の子です。まあ、適当にやってんか、とスーシェフ(二番手)に任せて、彼のスタジエ(見習い)一日目が始まりました。
 ぼくは基本的に、手取り足取り教えるタイプではないのですが、やはり慣れない人間が同じ仕事場にいると気になります。リズムの乱れが生じる、というか仕事の流れが滞るからです。統率する立場からすると、それはけっこうイライラする、はずなのに、その日はそれが感じられません。あれ、と思って見ていると、件の高校生、すんなり場にとけこんでいるのです。まるで随分前からうちの厨房にいるみたいに、むしろ滞りがちなところを見つけては嬉々として手伝っています。ぼくは内心、とても驚きました。まるで、料理を作るために生まれてきた子のようです。ひょっとして、こいつは神の子か?もしそれなら、ぼくはとうてい彼にはかないません。そしてその日、帰宅したぼくはマダムにこう言いました。「オレ、いつかあの高校生に、逆に料理を教わる日が来るような気がする。」。これが杉本敬三との出会いでした。
 その敬三が10年に及ぶフランスでの仕事を一旦終え、日本に帰ってきました。挨拶にやってきて、東京で店をやります、と言います。その抱負を聞いているとこちらまで楽しくなってきます。ガンガンいったらんかい、と無責任にけしかけます。ど真ん中に直球投げて、これがフランス料理じゃ、と言うたらんかい、とあおります。新しい時代がやってきそうな気がしてわくわくしてきます。年齢差なんてお構いなしで熱く語り合い、固く握手してその日はお開きとなりました。
 でも、それから数日して、あの大地震と津波が東北を襲いました。
 敬三の東京での出店計画は当分見合わせることになりました。
 池田にある奥さんの実家を拠点に、それでも出張料理などをして忙しそうにしていた敬三から、ドイツに渡るという連絡が入りました。新規開業のホテルからエグゼクティブシェフに来てほしいという依頼があったそうです。そして、その前にうちの家で、うちの家族のために料理を作りたい、と言います。世話になった恩返し、らしい。
 それはとても嬉しい申し出ではあったのですが、ぼくは一瞬躊躇しました。うちの子供たち、本格的なフランス料理って食べれるんだろうか。食べれない、とか言って残したらどうしよう。
 勿論、彼らはぼくの店で、ぼくの料理を何度も食べています。同年齢の子供達よりは慣れているでしょう。でも、ぼくは彼らの好みをわきまえて毎回献立を考えてきました。とくに末娘の臨(のぞみ、小学校の5年生)は、好き嫌いが激しいし。
 でも、せっかくの敬三の申し出です。お互い何事も経験だから、よろこんで来ていただこう、そう考えて受けることにしました。
 当日の料理は、マッシュルームのギリシャ風、バイ貝の冷製、あわびのクリーム煮、鳩と海老のソテーなど。あわびの肝とフォアグラのリエットなんかもあって、とても豪華でした。料理しながら、一緒に食べながら、敬三と思う存分料理談義。マダムはデザートの話で、夫婦共々、教わることが多かった。マダムが、いつかあなたが言ってた日が本当にに来たんだね、と言いました。あれからもう十数年が経ったのか。その間、ぼくも敬三もひたすら料理を作り続けてきました。敬三は神の子らしくまっしぐらに、俗人のぼくはあれやこれや迷いながら。
 シェフの年齢的なピークは30代後半から40代前半だと言います。それなら、敬三はまさしくこれからだし、ぼくはとっくにシニアトーナメント入りでしょう。でも、彼と話していてぼくがうれしかったのは、ぼくもまだまだ枯れていないことを認識できたことでした。食事の最後に、敬三がこう言いました。いつかぼくが店を持ったら、シェフ、いっしょにフェアやってくださいね。うれしいな。そのとき、ぼくは死力を尽くして、彼とわたりあおうと思います。
 ところで、ぼくの子供達、けっこうもりもり、おいしいおいしいと言いながら食べていました。では、問題の臨はどうだったか。どうも鳩だけは苦手だったようです。何故?と聞いたら、こんな答え。「鳩の匂いの味がするから。」。ようわからんなあ。
 それでも、彼らにとってはいい思い出になったと思います。そしていつか、あの杉本敬三が、うちの家で料理作ってくれたことがある、と自慢できる日が来るでしょう。そのとき、ぼくはまだ現役でいるのか。ともあれ、敬三、ありがとう。
by chefmessage | 2011-06-26 20:54