ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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Le Rempartにて。

 前回のシェフメッセージでフランスでの思い出を書いたのですが、読まれた方からもっと詳しく、とくに、どのようにして自信を取り戻したか、その過程を述べて欲しいというご要望があり、それに沿う形で、今回は異例の短期間更新をすることにしました。ただ、苦労話というのは往々にして自慢話っぽくなるので、僕としてはあまり得意分野ではないのですが、本人自覚しているので、どうか今回に限り大目にみてやってください。

 さて、今回の写真です。左のヒゲが当時の僕です。ちょっと恥ずかしい。でも、フランスで貧乏コックやってれば、ま、こんなもんです。で、右が当時のRempartのシェフ、Daniel Rogiです。彼にとって僕は、人生で出会った二人目の日本人だったそうで、一人目は辻調理師学校フランス校の生徒だった、と言っていました。だから、彼は日本人にまともにフランス料理の仕事が出来るとは思っていなかった。彼が僕に命じた最初の仕事は、ジャガイモの皮剥きでした。その次は?当然、タマネギの皮剥きです。おいおい、明治時代とちゃうぞ、でもそれしかやらせてくれませんでした。ただ、フランスでは鍋とか食器とかの洗い物は、プロンジェというそれ専門の人間がいて、コックはやらなくてよいので、その点はありがたかったけれど、来る日も来る日もでは、すぐ仕事がなくなります。そんな僕を不憫に思ってくれたのが、スーシェフの好漢、ジョン・マークでした。
 Rempartはホテルだったので、年中無休です。でも、料理人は週に1日半は休みをとらないといけないので、営業日でもシェフ不在の日があります。その時の責任者がスーシェフです。そんなある日、ジョン・マークが僕を呼びました。そして、仕事を教えてくれたのです。彼はソーシエ、ソースの係りで、それが一番重要なポジションだったのですが、オーダーが通るたびに、その料理のソース作りを教えてくれました。僕はまだ言葉が達者ではなかったけれど、日本での経験上、それらは理解できたし、努力すれば覚えることができました。勿論、部屋に戻ったら、忘れないようで熱心にメモは取ったけど。で、今度は逆に、シェフはいるけどスーシェフ不在の日もあるわけで、その時はシェフがソーシエをするのですが、普段やっていないのでちょっと遅い。そこに僕は目をつけたんですね。オーダーが通ると、一か八かで、皮剥き放り出してソースを作りにいった。シェフがそれを見て、何やってるんだ!と怒鳴る。皮剥きに戻る。でも、またすぐ走っていってソース作る、また怒鳴られる。何回かそんな事を繰り返しました。性懲りも無く。でも、必死だったんです。そして、例によってジョン・マークが休みのある日、オーダーが通るや否やダッシュしてきた僕に赤鬼の形相でこぶし振り上げてたシェフ、ふっ、と笑いを見せた。そんなにやりたいのか、と聞きます。僕は小学校低学年並みのフランス語で答えました。違う、俺は出来る。じゃあやってみろ、と赤鬼が言いました。そしてそれから、僕は辞めるまでソーシエでした。上の写真をご覧になってください。僕はブルーのエプロンしています。これは、アプランティという見習いコックのエプロンです。一人前のコックは白いエプロンです。写真には写っていないけれど、仕事中僕がかぶっていた帽子はキャロットという短いもので、これも見習いの制帽です。他のコックはトックブランシュという高いものをかぶっていました。つまり、僕は身なりはアプランティだけど仕事はソーシエという変則的存在でした。でも、給料はアプランティより安かったなあ。
 僕が辞めて次の店へ行く日の前夜、シェフがシャンパン持ってきて全員に、ミッチ(愛称ってやつですか。)の前途を祝して乾杯しようと言い、サービスのスタッフまで含めて全員が揃い、唱和してくれたとき、本当にうれしかった。翌朝は恩人のジョン・マークが駅まで送ってくれました。荷物を降ろしてくれて、僕が挨拶しようとするのにさっさと車に乗り込もうとします。ちょっと待てよ、そう僕が言うと振り向きました。見ると、彼は泣いていました。僕もつられそうになったけど、なんとかその時はこらえました。握手して別れて、やがて列車に乗り込み、そういえばシェフが記念だといって手渡してくれたRempartのメニューがあったなとそれを取り出しました。そこになにか書いてあった。シェフの手書きのメッセージでした。「フランスの料理文化はフランス人しか解らないだろうと思っていたけれど、それがまちがいだったと君は教えてくれました。多くの見習いと出会ったけれど、君がナンバーワンで、これからもそれは変わらないでしょう。」こらえきれなくなりました。
 フランスで学んだことで一番大きかったと思うのは、人間やろうと努力すればなんとかなる、といういたって単純なことでした。そして、それが自信というものではないかと思います。
 これで僕の苦労話は終わりです。でも、これだけは述べておきたいのですが、僕だけが特別じゃない、ということです。外国で仕事したことのある人間なら、これくらいの、いや、もっと沢山のストーリーを皆持っていると思います。だから、皆さん、もっとフランス料理のレストランに行ってやってください。お客さんがいて初めて僕たちの努力は実を結ぶのですから。
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by chefmessage | 2005-05-18 02:57