ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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 そういえば、こんな事を合田さんから聞いたことがあります。ブルゴーニュの田舎道をヴザン氏達と走っていたら車がエンストしてしまった、困っていたら通りがかった青年が修理屋を呼んできてくれた。御礼を言って聞けば、その青年もワインを造っているという、じゃ、見せてよ、ということで訪ねたら、それがよかったので、キュベユニークを造ってもらった。それが(ぼくの記憶がまちがいでなければ、)マリウス ドゥラルシュだった。
 彼のコルトン シャルルマーニュは素晴らしくて、ぼくも大好きですが、もしそのような出会いがなければどうだったでしょうか。そんなことを考えると、世の中まんざら捨てたものではないな、と思うのです。

 でも、やがてル テロワールの経営陣と合田さんとの不協和音が伝わりはじめます。そうして、合田さんは、一方的に解雇され、愛着ある生産者たちとの接触まで禁じられます。どうしてそうなったのか、部外者のぼくには真相はわからないので詳細は書けませんが、傷心の彼女からイタリア発のメールが届きました。そうとうまいってるな、という感じだったので、ぼくなりの励ましメールを送ったのですが、そのときこんなことを書きました。いつか、合田さんがもう一度元気になって、ワインの輸入を始めたら、うちのワインリストをそれで埋め尽くしてあげるから頑張ってね。
 彼女がそのころ興味をもっていたのはロワールのワインで、テロワールで少数輸入したものをティスティングしたことがありますが、それらはほとんどが自然派ワインでした。無農薬、有機栽培。ずっと、料理の邪魔をしない、毎日飲んでもつらくないワインを探してきた合田さんが辿り着いた場所がそこだったのでしょう。そして幸いなことに、生産者たちも、泰子になら売ってあげるよ、と協力を申し出てくれたようです。その言葉に勇気付けられて、再起し立ち上げたのが、ラシーヌ(根っこ)という会社です。

 彼女の会社が扱い始めたワインは殆どが日本で無名の小さなドメーヌ物で、エチケット(ラベル)は藁半紙みたいなのが多い。日本の焼酎のそれみたいに手書き風だったりまがっていたり。それがブランド・おしゃれ好きな日本人にうけるかどうか、あるいは単価が安いのでビジネスとして成り立つのかどうか。でも、彼女の扱うものならまちがいない、という人たちが買い始めました。ぼくもレザール・サンテになってのワインリストは、いつかのお約束通りほとんどがラシーヌのヴァン ド ナチュール(自然派ワイン)です。

 先日、大阪でラシーヌの試飲会があって、うちのソムリエ(通称ジミー)が行って来たのですが、大きな会場なのに人がいっぱいで入れないほどだったそうです。合田さんに挨拶なんてとても無理、彼女の周りには人垣ができていた、と誇張ではなくそう言います。それを聞いて、ぼくは、ジョルジョ アルマーニが始めてニューヨークで開いたショーでの逸話を思いだしました。ショーが終わって、挨拶に出なければならないのだけど、このショーに失敗すれば自分に未来はないと考えていたからとても怖かった、でも一歩踏み出して幕が開いたら、そこには会場を埋め尽くした総立ちの観客が割れんばかりの拍手で自分を迎えてくれた、あの日のことは一生わすれない、と。
 合田さんはひたすら自分の信じる道を歩んできたのでしょう。きっと、言葉にできないほどの苦労もいっぱいあったと思うのですが、団地の主婦から始まった歩みは今、深く根を張った、と思います。ちょっと世の中が加熱気味で、ヴァン ド ナチュールでなければワインにあらず、といった傾向も見られますが、彼女は流行に流されず、これからも淡々と歩んで行くことでしょう。

 さて、ぼくもうかうかとしてはおられません。レザール・サンテとなって5ヶ月、残念ながらいまだ成功とはいえない毎日です。ノーゲストの日があったりすると、本当に辛い。でも、そんな時は、合田さんのことや、ムッシュ ギュファンスのことを思いだします。ぼくは、自分の信じた道をこの豊中で黙々と歩んできました。そして、自分のベストを尽くすのではなく、それを超えるために現在の形にしました。料理の邪魔をしないワインがあるのなら、それとよりそえる料理があって、そのハーモニーがお客様のこころを豊かにする、それをこれからも実践していきたい、そして、世の中まんざら捨てたものではない、と感じてもらいたい、こころからそう思います。どうか、一度お越しください。そして、合田セレクションのワインとミチノの料理で元気になってください。そこには、ささやかな歴史と、そこから生まれた友情もスパイスとなって効いているはずだから。
(今回は、ぼくの一方的な記憶で文章を書きました。勘違いや思い違いも沢山あって、合田さんに叱られるかもしれませんが、許していただければ幸甚です。)

7月15(土)16(日)17(月)の3連休にレザール・サンテ初めてのフェアをします。
皆さん是非来てください。お待ちしています。
もちろんワインは合田さんおすすめのビオワインです。
シャンパンは「ジェロボアム」という3リットル(4本分)をあけます。
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by chefmessage | 2006-07-13 03:12
 もう15,6年も前の初夏のことです。東京の八田商店という酒販業者から電話があって、関西に営業の者が行くので会っていただけないかということで、日時を指定して店で待っていました。こんにちは、と扉を開けて入ってきたのは、ツバの広い麦わら帽子を被って、ひらひらした生成りのコットンワンピースを着た上品な女性で、お客さんが予約に来られたのかな、と思ったら、その人が八田商店の人でした。それまで営業の人といえば、男性でも女性でもスーツで、こんな暑い時でもそういう服装でないといけないなんて、やっぱりオレはサラリーマンにはなれないな、と思っていたのに、こういう人もいるんだと、なんだかうれしくなったのを覚えています。それが、合田泰子さんとの出会いでした。
  
 結局、ワインの話よりも雑談のほうが多くなって、たとえば、団地に住む普通の主婦だったのだけど、このままでいいのかなと疑問に思ったので旦那に相談したら、きみの特技はワインが沢山飲めることとフランス語が話せることだから、それを生かせる何かをすれば、と言われて、早速幼い子供二人とその世話係に実のお母さん連れ、ボルドーのワイン大学に留学した話とか、同級生にコント ラフォンの娘がいて、その家族のパーティに招かれて楽しかった思い出話とか、気がつけばお店の営業時間に突入していたのでした。でも、そのとき彼女がすすめてくれたアルザスのジョス・メイヤーのワインはいままでにない軽さとフルーティーさで、いいワインというのは料理の邪魔をしないものだと思う、という言葉に感銘して早速購入、当時のうちのワインリストの定番となりました。本当にワインが好きで、いいものを探して紹介したい、という熱意がやさしい語り口に秘められていて、素敵な女性だな、という印象でした。
 
 数年後、まだ伊丹空港から国際便が飛んでいたころ、彼女が、翌日の便でフランスに帰るご夫婦をぼくのお店に連れてきました。食事の前にご挨拶に行くと、ご主人の方がすごく不機嫌、「おれはもう、日本人が作るフランス料理は食べたくない。」とフランス語で話しています。合田さんも困った様子。ぼくも内心おもしろくない。そこで、当時やっていた破天荒料理、サバのシュークルート!をお見舞いすることにしました。それを食べたムッシュ、なんとうってかわったニコニコ顔。最後までご機嫌で、ぼくに名刺をくれて、自宅の電話番号まで書き、フランスに来たら遊びに来い、と言います。誰やね、このおっさん。見ると、ブルゴーニュワインの風雲児、ヴェルジェのギュファンス氏の名前が!合田さん,その様子をみてびっくり。東京と大阪で氏のセミナーを開いたんだけど、彼はずっと不機嫌で、持っていないと言って、1枚も名刺を出さなかったらしい。「この人、持ってたんだ。」とあきれていました。その時、ムッシュ ギュファンスがぼくに尋ねました。「こんな料理、日本人に理解できるのか?」。「でも、あなたもベルギー人なのに、フランスでワイン造ってるじゃないか。」「いや、最初はわかってもらえなかった。」と彼はいいます。「ただ、おれはその日の天気を見て、今日はブドウのためにこうすればいいといい続けてきたんだ。やがて、みんなが理解してくれるようになって、よかった。だから、お前も自分が思った通りやり続ければいいんだ。」。最初と違ってその笑顔は、子供みたいでかわいかった。そして、今日は泰子の誕生日だから、と言って、その日の支払いを済ませたのです。合田さん、再びびっくり。なにしろ、その変人ぶりに閉口し続けてたから。ミチノさんのところに来てほんとによかった、そうでないと、この人のこと嫌いになりそうだった、と笑ってました。
 
 そうして、八田商店に在職中は数々の名ワインを紹介し続けた合田さんでしたが、やはり、一人飛びぬけた存在となってしまったのでしょうか。あるいは会社組織に収まりきれなくなったのでしょうか。やがて、八田を辞め、度々フランスへ渡るようになります。そこで彼女はペーター ヴザン氏と出会い、新しい動きをはじめました。アメリカ向けのスペシャルワインを造るNorth Berkeley Importsのコンサルタントとなったのです。
 これは、もっとよくなると思われるドメーヌ(ワイン生産者)を訪ねて、ノンフィルターで瓶詰めするなどのアドヴァイスを行い、それを買い上げてアメリカに輸出する、というビジネスで、そのように生産したものはスペシャルキュベ、あるいはキュベユニークと呼ばれて、これがパーカー氏に絶賛されたこともあり、大好評となりました。最初は半信半疑であった生産者たちも次々参加するようになり、、アイテムは増えていきました。そして、それらのスペシャルキュベを日本にも輸入すべく、出資者を募って合田さんが中心になり立ち上げたのが、ル テロワールという会社です。

長編なので2回に分けます。続きは2週間後、7/13の予定です。
お楽しみに!
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by chefmessage | 2006-07-01 03:11