ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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初志貫徹!

 今でも時々、料理を作っている自分を不思議に思うことがあります。なんでオレ、こんな仕事してるのかなぁ。もっと他にできることがあったんじゃないのかなぁ。でも、今年僕は53歳!になるので、多分もう方向転換は出来ないし、しないでしょう。冷静になって考えると、他に面白そうな仕事も思いつかないし。
 でも、コックになりたての頃は本当に辛かった。なにしろ周囲の反対を押し切って就いた仕事だったから、簡単には辞められないぞ、とは思っていたけれど、それまでなまくら学生だったので、毎日逃げたい気分でした。何一つ知らずに突入してしまったし。
 最初に勤めたのは、京都のボルドーというお店でした。そこで一番最初にとったメモはトンカツのパン粉のつけ方。
塩・コショーした100グラムの豚肉に小麦粉、それとも卵、どっちが先?実はそれすら知りませんでした。呆れるシェフ。先輩に牛肉を取って来い、と言われて豚肉と区別がつかなかった。どっちですか、と両方持っていって、お前が3ヶ月続いたら焼肉おごったる、と言われました。だから今、うちの厨房で新人を怒鳴りつける資格なんて、本当は僕にはないのかもしれません。
 そうして悪戦苦闘を続けていたある日、兄から仕事場に電話がかかってきました。昔のことだから、お見合いというのがあって(今でもあるか。)、兄も適齢期ということでそれに臨んだ。で、兄は気に入ったのですが、お相手のノリが悪い。兄は、もう一度会ってください、とお願いし、それが受け入れられたので、ついてはお前のところに食事に行く。その後、あたりを散策したい、と、そのような内容でした。そして、僕はその旨をシェフと先輩に伝えました。
 その当日、お昼でしたが、普段はオーダーなんか聞きにいかないシェフが直々に、「お好きなものは?」とかお伺いをたててメニューを決め、先輩はワインを差し入れてくれました。食事のあと、雨が降ってきたからと傘を用意し、近くにある光悦寺周辺を散策してもらって無事終了。
 そして、そのときのお相手がめでたく兄の奥さんとなることが決まった、と報告した時、シェフも先輩達もほんとうに喜んでくれました。僕もそのとき思いました。ひょっとするとこれは素晴らしい仕事かもしれない。
 最初、僕の給料を時間給に換算すると、¥150くらいだったと思います。でも、こころを込めて料理を作り、おもてなしをすれば、人は一生そのことを思い出として語ってくれる。ならば、極めてみるか、と。
 後年、僕の店に食事に来た時、母がしみじみ語ったことがあります。「あんたみたいな子が、よう辛抱できたな、それが不思議やわ。」。ごもっとも。でも、本当にそれが原点なのです。

 話は変わりますが、神戸のYシェフはベントレーのコンチネンタルGTをご購入されたらしい。それで、会う人ごとに「
料理人も頑張ればこれくらいの車に乗れることを教えたかった。」と仰っているとか。そう言えば数年前、九州のリゾートの総料理長になられたKシェフが、ご自分の料理講習会の初めに、自分の年収が2000万で、それくらいの給料がとれる料理人がいることを肝に銘じて欲しい、と豪語された、ということが一時話題になりました。でも、そういう類の話って、却って料理人という仕事を自ら貶めているような気がするのは、僕の根性が曲がっているせいでしょうか。自分の儲けたお金でどんな車に乗ろうが勝手だし、年収なんて上見ればきりがない。それより今の僕は、自分の手が生み出す感動の方が大事です。

 今朝、市場でくわいを買ってきました。不思議な格好だな、と思ったもんで。芽がにょっきりと出てて、めでたい、でおせち料理にはつき物だとか。これでなにか、まったく新しい料理をつくろうかな。ロックフォールが合いそう。あるいは近所のスーパーで黄色のトマトを発見。それも大きいのからミニまで。赤いのの大きいのからミニまでと混ぜて、赤と黄色のトマトサラダはどうでしょう。ナンプラーとミントでエスニック風に仕上げたら、みんなびっくりするだろうな。そう考えると楽しくて、でもふと数えてみると、もうすぐ料理人人生も30年。
 悪くないな、と思うから、今年も初志貫徹で行きます。みなさん、よろしくお付き合いください。
 
レザール・サンテ!  オーナーシェフ 道野 正
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by chefmessage | 2007-01-10 03:18