ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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引退表明撤回の弁

 マッチ擦る つかの間海に霧ふかし
 身捨つるほどの 祖国はありや
            寺山 修司

 平成3年、3月14日の深夜のことです。仕事が終わってぐったりしているぼくに兄から電話がかかってきました。こんな時間になんだろうとあわてて受話器を取ると、兄の声もうわずっています。「今、おやじから連絡があって、(弟の)伸治が死んだと言っている。」。ぼくはこう答えました。「疲れているのにくだらん冗談言うなよ。」。兄が言います。「それが本当みたいや。風呂上りに突然倒れて、尼崎の労災病院に運んだけど手遅れやったらしい。おれもこれから行くから、お前も労災病院に向かってくれ。」。唐突にその電話は切れました。

 その夜は3月だというのに真冬のように寒くて、風のない暗い空から重い雪がまばらに落ちてきます。その中を車を走らせながら、これがなにかの間違いでありますようにと祈りつづけました。たどり着きたくない思いとは裏腹に、車は労災病院に着きます。駐車場に入ったら一番手前に、父の車が、車線に対して斜めに停めてあるのが見えました。几帳面な父らしくない停め方だったので、ぼくはそのとき、弟は本当に死んでしまったんだ、と悟ったのです。それからの数日間の出来事は、いまだに思い出すだけでも悲しくて、ここに書くことはできません。

 それをさかのぼる6年前、ぼくはこんな相談を父にしました。「こういう時に本当に申し訳ないんだけど、おれ、フランスに行きたい。30歳過ぎて、今行っておかないともうチャンスがないかもしれない。」。父はこう答えました。「わかった。なにかあったら伸治の骨はおれが拾ってやる。だから心配せずに行ってこい。」。
 その頃、弟は政治犯として韓国の刑務所の独房にいました。当時留学していた延世大のキャンパスから突然連行され、大学に浸透している北朝鮮のスパイの一人という濡れ衣を着せられて。それはまったく事実無根だったのですが、偶然と悪意が積み重なって、彼をそのような境遇に追い込んだのでしょう。
 そんな彼をなんとか救出しようと、ぼくの家族は必死でした。だから、フランスに料理の修業に行きたいなんて言える雰囲気ではなかった。でも、そんなときに限ってチャンスはやってくるんですね。思い悩んで、でもやっぱりフランスに行きたくて、だめもとでぼくは相談したのです。結果は先の発言で、出発の日、父は数十万の現金まで用意して手渡してくれました。

 そんな状況でぼくのフランス修行は始まったのですが、トゥルニュスのル・ランパールでクリスマスを迎える直前、厨房のぼくあてに電話が回されてきました。日本からだ、と言います。誰かな、なんでここの電話番号がわかったのかな、と考えながら出ると、それは父からでした。「よく電話できたね。」というと、「おお、調べるのたいへんやったわ、ま、そんなことより、正くんにクリスマスプレゼントや、今、電話かわるからな。」と言います。なんだろうと思っていたら、電話口にでたのは、韓国にいるはずの弟でした。「兄貴、心配かけたけど無事戻ってきたから。」。その声を聞いた途端、涙があふれてきました。あとからあとから。もうなにも喋れなかった。電話を切ったあと、トイレに駆け込みました。そしてひたすら泣きました。号泣とはこういうことか、と思いました。落ち着いたので、顔を洗って厨房に戻ると、フランス人たちが心配そうにどうしたどうした、と聞いてきます。詳しく説明なんてフランス語では到底無理だから、久しぶりに家族の声を聞いたから泣いてしまった、とだけ言うと、みんなが笑いながらぼくの肩をそっとたたいていきました。
 フランスから帰ってきたときも、弟は空港まで迎えにきてくれたな。

 何年かたって、もういいだろうと思えるときが来たら、あのときのことをじっくり聞かせてもらおうと思っていたのにな。
 だから、ぼくは60歳になったらシェフ業を引退して、物書きになろうと思っていました。弟のことを詳細に調べなおして、それを綴ることで彼の無念をはらしたかった。それがぼくの義務だと思っていた。というのも、彼が亡くなった3月14日は、ぼくと彼の誕生日だったからです。「今日は兄貴の誕生日やな。」「あんたもやないの。おめでとう。」それが彼との最後の会話だったと、母から聞いたから。

 でも、ぼくはあと5年で引退なんてできそうにありません。人生最後の大勝負がもうすぐ始まります。そしてぼくは、真っ向から受けてたとうと思っています。
 今、ぼくは一人ではないから。
 やさしいやつだったから、彼は言ってくれるのではないでしょうか。「兄貴、むしろ家族のために全力投球しろよ。」
 父母は健在ですが、随分年老いました。あれから18年、欠かしたことのない弟の月命日の墓参も、そろそろ無理になりそうな気配です。ですが、父に相談したら、彼はきっとこう答えるでしょう。「伸治のことはわしに任せて、正くんはやりたいようにやったらええがな。」
 だから、ぼくは引退しません。そして、ル・トゥールビヨンは不滅です。

                       あなたの場所から私が
見えたら きっといつか
会えると信じ 生きていく
                           「涙そうそう」


お知らせ

 どなたか、ぼくの豊中のお店を引き継いでやっていただけませんか。改装して3年足らず。とてもエレガントなお店だと思います。好条件出します。ご興味ある方、ミチノまでご連絡ください。

レザール・サンテ!  オーナーシェフ 道野 正
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by chefmessage | 2009-06-18 04:01