ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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メロディ

    きみのこと 忘れないよ
    いつだって 楽しくやったよ
    メロディ 泣かないで
    あのうたは こころから 聞こえてるよ

           玉置浩二「メロディ」

 阪急西宮北口駅の近くに「マイ夢」というちょっとダサいネーミングの小さなスナックがあって、実はぼくはその店の常連の一人でした。といってもひと月に一度か二度くらいしか行けなかったけれど、そこで歌うことがなによりのぼくのストレス発散だったのです。ミチノがスナックでカラオケ?なんだかイメージ湧かないな、と思われるかもしれませんが、ぼくはそのお店が大好きでした。

 最初に行ったのは18年くらい前だったと思います。その頃、生まれて初めてテレビの料理番組に出演しました。それも30分出っぱなしだったから随分緊張したのですが、その番組の脚本を書いていた方とアシスタントディレクターの女性に連れて行ってもらいました。
 ビルの急な階段を上がって扉を開くと、本当に小さなお店で、でも店内はお客さんでぎっしりでした。そして誰かが歌いだすと、みんなが備品のタンバリンやらカスタネットやらを持って伴奏します。その中心で実にリズミカルにコンガを叩きながら見事にハモっているオッチャンかオバチャンかよくわからない(とよちゃん、ごめん。)女性がいました。その人が、そのお店の主、ママのとよちゃんでした。若いころにレコードデビューし、今でも現役の歌手だと脚本家が説明してくれました。
 「あんたも歌い。」そう言われてこわごわマイクを持って歌いはじめると、いきなりとよちゃんがハモってきました。それが実に心地よい。お客さんたちもチャカポコと打楽器で伴奏してくれます。自分が上手になったような気分で初回から熱唱してしまいました。歌い終わると、とよちゃんが「なかなかやるやん。」と評してくれました。
 それ以来、ぼくはそのお店でだけ歌うようになりました。レパートリーも増え、持ち歌もできました。友達も増えたな。
 震災で住まいががれきの山になって、高齢のお母さんと途方に暮れていたとよちゃんを、ぼくなりに支えようとし、励まそうとしたこともあったけど、それ以外はほとんどぼくが励まされてきました。辛い時、悲しい時、疲れた時、それだけではなくてうれしいときも。そういえば、家内がはじめて身ごもったとき、最初に報告したのも、とよちゃんでした。いつも「マイ夢」に行って、とよちゃんと歌うことでぼくは勇気をもらいました。

 12月になってから、「遅なってゴメンな。」と福島の店にも食事に来てくれました。その前に乳ガンの手術で入院したのを知っていたから、ちょっと元気がなかったけれど、これから少しずつ良くなっていくんだろうと思っていたし、本人もそう言っていたから、あまり心配しないようにしようと思っていました。でも、その数日後、彼女の訃報が届きました。予想もしていなかった喘息の発作で心肺停止。
 お通夜に行って、彼女の眠っている棺の小ささに驚きました。こんなに小柄な人だったんだ。こんな小さな体で、あんな素晴らしい歌、歌ってたんだ。
 不思議と、涙は出てきませんでした。それは今でもそうで、薄情なのかな、と思うのですが、どうもそうではないようです。
 悲しみという川があって、ぼくはその前で、ぼくのこころから聞こえてくる彼女の歌声に耳を傾けています。それがまったくかすれていく様子がないから、ぼくには彼女が亡くなったとは思えない。どこかに旅行にでも行っていて、だからまた会えるような気がするのです。それほど彼女の歌はぼくのこころに沁みこんでいる。そしてかわらぬ勇気を与えてくれている。
 きっといつか、しみじみと泣きながらぼくがその川を越える時が来るのでしょう。そして彼女の歌声は次第次第に小さくなっていくのでしょう。その前にぼくにはしなければいけないことがあります。 

 去年、ぼくは19年守り続けた豊中の店を人に譲りました。様々な事情で住む家も失いました。でも、応援してくださる方もいて仮住まいを得、小さいながらも福島区に店も持てました。どこで道を間違えたんだろう、いままでの努力はなんだったんだろう、そう思って本当に苦しかったけど、幸運にもぼくは再出発のチャンスを得ることができました。もう後はありません。捨てるものは捨て、学ぶものは学んで、ぼくは最後まで走り抜けるつもりです。そうしながら、大切な家族も守っていきたい。でも、55歳という年齢が壁になってもいます。だから、ぼくはまだその川を越えられない。ぼくにはまだ、あなたの歌が必要だから。
 
 12月17日の朝日新聞に、コムデギャルソンの川久保玲さんのインタヴュー記事が掲載されていて、その中に川久保さんのこんな言葉がありました。
「自分が活動的に何か新しいものを生み出せば、それについて何かを感じたり、元気が出たりする方もいらっしゃるでしょうし、それがこの世の中を変えていくことに少しでもつながるならと思うからです。」
 ぼくの仕事は川久保さんのそれと比べるのもおこがましいほどちっぽけだし、才能もそうだけど、でも少しくらいは人を元気にすることができるのではないかと思います。励まされて励まして。それが人の道なら、とよちゃんと同じように、ぼくもそれを全うしたい。

 昨年に引き続き、人が亡くなった話で年頭を始めるのはいかがなものか、とは思いましたが、闇があるから光がある、そう考えて敢えてこんな文章を書きました。でも、ぼくは今、闇と光の間にいて、こころにあるメロディに耳を澄ませています。そうすることで、やがて光はもっと輝きを増すような気がして。
 そういえば、「マイ夢」を出て家に帰りついたころに、とよちゃんは必ずメールをくれました。いつも同じような文章でした。「その腕がある限り大丈夫。頑張れよ。」。
 今の世の中、表立って「頑張れ」とは言えないムードがあります。でも、言わないことも励ましなら、ぼくは今こそ声を大にして言いたいと思います。
 おれも頑張るから、みんなも頑張れよ!逆境に負けんなよ!!

 ぼくは悲しみという川を泣きながらではなくて、微笑みながら渡ろうと思います。

ミチノ・ル・トゥールビヨン  オーナーシェフ 道野 正
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by chefmessage | 2010-01-18 12:23