ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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<   2010年 06月 ( 3 )   > この月の画像一覧

先日、北海道の恵庭から大量のグリーンアスパラが送られてきました。数少ないぼくの同志社神学部時代の友人、辻中明子さんからのプレゼントです。彼女がご主人とともに恵庭の島松伝道所というところで牧師をしていることは、以前のメッセージで書いたことがあるのでご記憶の方もおられると思います。そして、牧会(教会活動)の運営の一環として、信徒の皆さんと野菜を作ってそれを販売していることも書いたのですが、昨冬は彼女のところのユリ根でポタージュを作って、それがうちのお客様にはとても好評でした。
 さて、アスパラです。実際はぼくの、というかこちらでの感覚でいうと、実はアスパラの季節はすでに終わっています。だから、ぼくの頭のなかでは過去になっているのです。でも、辻中さんたちの労働の成果がここにあります。これをおろそかに扱うわけにはいきません。だから、ぼくは頭のどこかにあるスイッチをポンとオンにします。料理モードに突入。
 北海道から来たアスパラ、北海道といえばラベンダー。ラベンダーといえば何故か果物のビワが思い浮かびます。
 昔、フランスで修行したジャン・バルデというお店では、杏とラベンダーを組みあわせてタルトにしていました。その応用で帰国後、ぼくは金柑とラベンダー、その後、ビワとラベンダーという組み合わせで色んなデザートを作りました。だから今の季節になると、ぼくの頭のなかではラベンダーといえばビワになるのです。でも、料理には使ったことないな。
 ならば、糖度を下げたラベンダー風味のシロップを作ってそれでビワをマリネすればいいのではないだろうか。でも、冷たいシロップに漬けても味や香りは浸み込まないから、シロップの温度を上げてみようか。ただ、そうすると今度はビワそのものの味がぼやけるかもしれないし、歯ごたえもたよりなくなるし、色もかわるかもしれない。それなら、皮と種を取り除いたビワをボールに入れて熱いシロップを注ぎ、すぐに氷をあてて冷やそう。シロップに変色を防止するためのレモン汁も入れよう。
 そうして出来たビワに、さっとボイルして氷水で冷やしたアスパラをドレッシングであえて添える、と。甘みと酸味のバランスはこれでよし。次に、それと同じ皿に盛るものを考えよう。おー。岡山の加藤さんにいただいたインカの目覚め(小さな黄色のジャガイモ)があるではないか。北海道といえばジャガイモ、うん、なかなかよろしい。そのジャガイモにはビーツ(ロシア料理のボルシチにはいってる赤いカブみたいなもの。)をあわせよう。聞くところによるとビーツを最初に栽培したのは北海道とか。で、ジャガイモとビーツをボイルした後、サイコロ状に切って、粒マスタードとショウガであえましょう。これは、いつか見たアメリカの料理本に載ってた組み合わせで、何度かやったことがある。とここまで考えて、はっと気づきます。なんや、野菜ばっかりやんか。 これまでの経験上、いくら素晴らしい野菜の料理を考えても、たんぱく質がある程度なければお客様は納得しません。食べた気がしない、あるいは特別感がないというのがその趣旨です。
 何がいいのだろう。雰囲気としては魚介類でしょう。海老?帆立貝?スモークサーモン?どれでもいいような、ということは、どれもピンとこない、ということで、いったんスイッチはオフにします。というのも、オーバーヒートが心配なので。
 翌日、魚屋で脂ののったサバが目にとまりました。自然にスイッチが入ります。あ、サバのマリネがええやん。 フランス料理でサバを使うんですか?と聞かれますが、マックロー・ヴァンブラン(サバの白ワインマリネ)というのはけっこうポピュラーな料理です。ただ、フランスの作法通りにやると火が入りすぎ、酸強すぎであまりきれいじゃないし、食感も日本人好みではありません。ということで、ここはシメサバの感覚で仕上げます。これなら、ショウガにぴったりだから、ビーツとジャガイモのサラダと好相性です。で、サバの生臭さをラベンダーが消し、ラベンダー風味のビワを食べると甘さを抑えるためにドレッシングであえたアスパラに行き、その歯ごたえに飽きて違う歯ごたえのビーツとジャガイモに行き、マスタードの酸味つながりでサバにいって、生臭さからラベンダーに行き、と一つの皿のうえで、環状線ができあがります。円は閉じられたのです。
 円が閉じられるとストーリーは完結します。これが料理の完成形です。行ったら戻れること、飛び上がったら着地すること。そうしないと落ち着かないので、お客様は満足しない。

 以前、高名なチェロの演奏家とお話をしたとき、その方がこんなことを仰っていました。「演奏家は作曲家が何を考えていたのかを想像し、それを忠実に再現するのが仕事です。だから、神がかり、という表現はありえない。」と。
 芸術家は作曲家であって、演奏家はむしろ職人である、とそのようなご意見だったとぼくは思います。
 翻って、料理人の場合。
 上の文章を読んでいただければお分かりいただけると思いますが、ひとつひとつのパーツの完成度、ということに関しては、技術や知識、あるいは経験則がものをいうので、これはもう完全に職人の世界です。でも、組み合わせ、ということに関してはどうでしょうか。
 前に、料理の面白さは、時として思いがけないほどよいものが出来あがることがあるところにある、と書きました。(回りくどい文章ですみません。)何かが降りてきたのではないか、そう思う一瞬がある。とすれば、これは芸術なのかもしれません。
 ただ、とても大きな問題が一つあります。料理には必ず食べ手がいるということです。その人を感動させない限り、素晴らしい芸術もただの自己満足でしかありません。
 永遠のロッカー、矢沢永吉がインタビューでこんなこと言ってました。
 「作曲家がこねくりまわしたような曲はだめなんだ。だれでもが口ずさめるような曲じゃないと。」
だから、ミチノの料理は広く受け入れてもらえないのか、ぼくは永ちゃんのお言葉を聞いてそう思いました。

 さてさて、そのようにしてサバとアスパラの一皿の試作品ができあがったわけです。それが、今回の写真です。これはプロトタイプなので、盛り付けなどは変化するかもしれませんが、だいたいはこの通りで7月のメニューで登場します。
 ぼくとしては、島松伝道所の辻中さんと信者のみなさんの努力に報いるべく、頑張ったつもりです。
残念ながら、北海道は遠いのでお出でいただけないかもしれませんが、これをお読みになって興味をもたれ方がおられましたら、是非一度食べてみてください。そして、自己満足なのかどうか教えてください。悩める子羊にご教示いただけましたら幸甚でございます。よろしくお願いいたします。最後に。
 辻中さん、北海道のアスパラとてもおいしいよ、ありがとう。
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by chefmessage | 2010-06-25 12:20

夜曲

仕事が終わって車で自宅に帰るとき、この頃はよく矢野真紀という歌手のCDを聞いています。あまりメジャーな人ではないし、それほど上手でもないかもしれないけれど、こころをこめて歌ってます、というのがひしひし伝わってきて結構ぼくは好きです。この人の「夜曲」という曲は、なぜかぼくのカラオケでの定番だし。
 その矢野真紀が去年の9月に突然活動停止宣言をしてぼくはとても驚いたのですが、でもこころのどこかで、ありうるだろうなと妙に納得もしました。あの歌い方じゃ持たなかったのかもしれないな、と。
 「窓」という曲があって、彼女が作詞者であるさだまさしとデュエットする動画をYouTubeで見たのですが、息を合わせようと顔を向けるさだまさしを彼女はほとんど見ていません。御大が、作詞者がすぐそばにいるのに、歌っている間彼女はほとんど視線を合わせようとしない。いつものように額にしわを寄せ、いつものように視線を宙にさまよわせている。これは、決して彼女を非難しているわけではありません。それが矢野真紀という歌手なんだとぼくは思っているから。他を顧ず全身全霊で語りかけているその姿勢にぼくは魅かれているから。
 でも、疲れるだろうな、と思うのです。ぴんと張った糸のようだから、強い精神力がいるだろうな、とも。
 いつも誰かを勇気づけようとし、いつもだれかを励まそうとする、でもその分、自分もどこかでエネルギーを補給しないともたないとぼくは思うのです。彼女はそのエネルギーを十分補給できなくなったのではないか。
 それはコンサート会場を埋める観客の数かもしれないし、拍手の強さかもしれない、あるいはもっとビジネスライクなCDの売り上げだったかもしれない。
 それが、自分の拙さであり、極端にいえば才能のなさであると思いこんで自分を追い詰めたなら、張り詰めた糸は切れてしまうかもしれません。そして、これはぼくの想像の範囲に過ぎませんが、自分の歌が、自分自身が必ずしもこの世に必要でないかもしれないというところまで行ってしまったら、休みたくもなるでしょう。
 でも、本当にそうなのだろうか。
 あの中島みゆきにも「夜曲」という曲があって、その中に「街に流れる歌を聞いたら気づいて 私の声に気づいて」という一節があったと記憶しているのですが、あの大歌手にもそういう気持ちがあるようです。でも、彼女は歌い続けています。
 そう、問題は歌い続ける、ということなのではないでしょうか。なにがあっても続けてやるぞ、という気持ち。
 あきらめてはいけない、投げだしてはいけない、そうしてしまうと今まで自分が一生懸命やってきたことが全部うそになってしまう。
 だから。
 料理を作る仕事をずっとやってると、思いがけず、どう見ても自分の力だけではないと思えるようなものができることがあります。そういうものは、また、まちがいなくお客様に伝わります。それがとてもうれしいから、ぼくは料理を作り続けています。そしてそんな瞬間はやり続けていないと訪れません。
 一人でもお客様が来てくださる限り、一人でも拍手を送ってくださる限り、ぼくたちは続けるべきではないだろうか。 もう一度、矢野真紀の生の声を聞きたいと思います。勝手なことばかり書いたけど、ぼくは、一生懸命は必ず報われると信じたいから。
    
     [永遠など 誰も求めず
      短かすぎる 瞬間(とき)を生きてる]
                   矢野真紀「夜曲」
 
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by chefmessage | 2010-06-18 12:20

花を活ける

お店の花を自分で活けるようになって、もう随分たちます。豊中の店の最初のころはプロにお願いしていたので、とても立派で、でも請求書も立派すぎてやがて負担に耐えられなくなって、それなら自分でやってみようと思ったのが始まりです。
 でも、チューリップとカーネーションの違いがわかっても桔梗と竜胆の違いがわからない(今でも間違えますが。)人間には難しかった。まず、どこで買えばいいのかがわからない。いつも買い物をする豊中の豊南市場には何軒かお花屋さんがあって、そのうちの一軒、当時取引をしていた魚重という魚屋さんのそばのお店で適当に買っていたのですが、結構なお値段のわりには日持ちがしません。でもまあ、そんなものなんだろうと思っていたら、ぼくの魚釣りの師匠、「吉野」の中谷さんがある日こう言いました。「ミチノくん、お店には失礼かもしれんけど、あそこの花屋、あんまりようないで。」。
 曰く、同じ花でも目利きが仕入れしたものは日持ちがちがう。多少値が高くても、そちらのほうが途中で枯れず咲ききるので、むしろ得だ、と。では、師匠はどこがお勧めですか、と問うと、同じ豊南市場の生田農園だとおっしゃる。「うちはカサブランカしか買わんけど、あそこの花はええで。」カサブランカのラが巻き舌の発音で、なんだか得意そうです。「師匠、でもオレ、あそこ苦手やねん。」「なんでや。」。というのも。
 以前、そこのお店で立派なキングプロテアを見かけて、それ一本いくらですかと聞いたら、店のご主人は笑うだけで口をきいてくれなかった、それがトラウマになって、ここでは花は絶対に買わないと誓ったことがあったのです。その話をすると師匠はこう言いました。
 「そら、あんたがややこしい奴やと思われたからや。あのお兄ちゃんはプライドの高い人で、自分の売る花に自信を持ってるから、いやなやつには売りたないねん。」「オレ、そんなややこしい奴に見える?」「まあ、普通やないやろ、その格好は。」。
 たしかに、頭はポニーテールでピアスもしています。夏にはよく和柄のアロハ着ているし、冬には犬ぞりの刺繍が入ったジャンパーとか着ています。だからといって、売ってやらん、というのは如何なもんか。「それなら、わしが一言、あの人はそんなややこしい人とちゃうって言うといたろ、わしの紹介やったら必ず売ってくれるから。」吉野の師匠はやはりちょっと得意げな口調でそう言ってくれました。
 それからぼくは、その生田農園でお花を買うことになりました。しゃべってみると、やはりちょっと風変わりではあるけれど実に親切なお兄ちゃんで、お花は師匠の太鼓判通り素晴らしかった。まず一本一本の茎が長くて太い。買うときに必ず、持ってみてください、と生田さんは言います。確かに、ずっしりと重い。そして日持ちがする。
 それからはずっとお花は生田農園です。ただ、ぼくのことを師匠からどう聞いたのかわからないけれど、ミチノセンセイと呼ぶのにはいまだ戸惑いますが。(ぼくの服装に変化はありません。)。
 生田さんのところでお花を買って活けるようになって、少しは上達したような気がします。なにより以前とは違って、花を短く切れるようになりました。それまではもったいなくて切れなかった。だから、長い花ばかりで座った位置から見ると茎ばかりが目立っていました。でも生田さんに「いい花はばっさり切って貰った方が長持ちします。」と教えてもらってから気が楽になって、長短の変化がつけれるようになりました。また、この花は短めで水深く、とか、この花とあわせるのはこの組み合わせで、とか教えてもらって、今は少しはみられる活け花ができるようになった気がします。
 この頃は、お花で、また別の楽しみが増えました。我がミチノの私設応援団団長のカトーさんが、実家の岡山の野菜と一緒に花もくださるようになったからです。
 多分、広大な敷地のなかに咲いているいろんな花を切って集めてくださるのでしょう。なんという名前かわからないけれど、野の花の数々を活けてみると、そこに小さな庭ができあがるみたいで、とても可憐です。切花を集めて活けるのとはまた別の美、野趣みたいなものが漂って、以外に優雅です。それを自分の店に飾るととても気分がいい。
 そんなところも、ぼくのお店の良さだろうと、ぼくは密かに思っています。
 たとえややこしい奴に見えても、態度がデカくても、言葉が悪くても、どうか安心してください。ぼくはこころからお客様をもてなそうと毎日努力しています


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by chefmessage | 2010-06-10 19:00