ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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伝えたいこと

 8月のお盆明けに三日間お休みをいただき、和歌山に家族旅行に行ってきました。小さなルノーの2ドアに総勢5人が乗り込んでいるから窮屈で、1時間おきに休憩を取っては車から降りて足を伸ばし、周参見というところまで約3時間、そこから山道を走ること45分で、到着したのは古座川荘という古びた温泉宿です。七川ダムという山に囲まれたダムに張り出すような形でポツンとある小さな旅館で、ぼくの実弟の広泰が経営しています。不景気の影響がここでも顕著で、観光客の減少からかなりの苦戦を強いられている様子ですが、バス釣り用のレンタルボート屋もやっていて、その利用客が増えつつあるようで、今後はそちらに主軸を移すつもりだと語っていました。
 幸い、我々の滞在中は他のお客さんがいなかったので、(弟には幸い、ではないでしょうが。)けっこうのびのびと過ごすことができました。ぼくの両親も来ていて、久しぶりに会うぼくの子供たちも楽しそうでした。
 ぼく達が到着してすぐに父が、孫たちのために探しだした取って置きの場所に連れて行ってやる、と自慢げに語るので案内してもらった川辺は本当にきれいな場所で、澄み切った流れが目にも鮮やかでした。泳ぐことがなによりも好きな子供たちは、ゴーグルをつけて早速、川に飛び込みます。もう30年近く水着すら身に着けたことのないぼくは、その水の冷たさに恐れをなして用意していた川釣り用の竿と仕掛けを取り出します。針にミミズをつけて投げ入れると、オイカワやウグイの入れ食いです。でもやっぱり暑い。我慢できなくなって水着に着替え、恐る恐る川に入ります。身を切るような冷たさです。躊躇しているとうちの奥さんが子供たちに声をかけます。「ほら、みんな見てごらん、パパが泳ぐよ。」3人の子供たちが見ているからもう後にはひけません。ざぶっと入って泳ぎ始めました。やっぱりいい気持ちです。ゴーグルも借りて潜ってみます。そこは別世界で、耳がじんじんとなって周りに泡がはじけ、川底の岩や木や、石にくっついている小魚までもくっきりと見えます。ああ、この感じ、ほんとに久しぶりだなあ。
 子供の頃、夏の日曜の早朝、鮎釣りに出かける父にせがんでよく同行させてもらいました。車のなかで夜が明け始める、その時間帯の景色と音の変化が好きでした。そして釣り場に到着すると、父はとにかく自分の釣りのことで夢中になります。ぼくは昼食までほったらかし。でも、子どもごころながら、そんなもんだと思っていたので気にはなりませんでした。ぼくはぼくで川遊びに夢中です。
 ある日、父と行った有田川でのこと。ぼくは川遊びをしていて、川の向こう側に渡ろうとしていました。そのとき、足元の石がぐらっと動いて足を滑らせ、ぼくは流れに巻き込まれてしまいました。体が渦を巻く流れのなか、くるくる回っているのがわかるのですがどうしようもありません。意識が遠のいていきます。でも幸いなことにその淵はカーブしていたので、ぼくは対岸にたどり着くことができました。岸に這い上がって水面を見ると小さなナマズみたいなのが群れになって泳いでいました。そうそう、これはゴンズイといって刺されると痛いんだ、などと考えながら上流の父を見ると、なにも気づかなかったように釣りをしています。ぼくはほっとしました。ぼくがおぼれたことが知れたら、もう連れてきてはもらえないかもしれないと懼れたから。
 でも父は知っていたようです。それから何年もたって、母がこう言って父をなじっていたのを覚えています。「あんたは息子が溺れていても助けようとしなかった人やから。」。多分、父はその日の顛末を母に語ったのでしょう。そのとき母はとても憤ったのでしょう。そしてそれ以降、諍いごとがあったときにはその言葉が母の常套句になったのでしょう。
 その母が、古座川荘での一日目の夕食のとき、ぼくに向かってこう言いました。「あんた、誰やったかなあ。」。
 認知症がすすんでいるのは聞いていました。でも、これほどとは思ってもいませんでした。愕然としました。
 おれになにができるのか。こころはあの日流れに巻き込まれたぼくの体のように激しく、でもなすすべもなく回ります。
 迷惑ばかりかけたと思います。心配ばかりさせたと思います。でも、それになにも報いられないまま母の記憶は遠ざかっていきます。どうすれば感謝の気持ちを伝えることができるのか。自分のふがいなさと無力が身をさいなみます。
折にふれ書いてきたことですが、自分が料理人としてやってこれたのは母のおかげだと思います。好き嫌いの多いわがまま息子に、それでも毎日懸命に手料理を作り続けてくれたその忍耐強さがぼくに反映している。それがわかっているのに、ぼくは母に感謝の気持ちを伝えることができません。そして、もう一つわかっているのは、それを伝えたとしても母は、たとえ以前の状態であっても「今頃何言うてんねんな。」とやさしく笑うだけでしょう。
 彼女は彼女の拙い人生を精一杯生きた、ということでしょうか。
ならばぼくも、父母に対する感謝の気持ちを内に秘めて、精一杯生きるだけです。
 料理人として己に恥じない人生を全うしようと思います。そうすることで子供達に、なんの見返りも求めず、言葉にならないなにかを伝えたいと思います。

 それにしてもうちの子供達、蛙の子は蛙、なのでしょうか。ぼくがなにかを釣る度にこう聞いてきます。
「ねえパパ、その魚、食べられる?おいしい?」 楽しかったなあ。人生、つらいことばっかりとちゃうで。

 
 
 
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by chefmessage | 2010-08-30 14:18

青年は荒野をめざす

高名な食の評論家である畏友のK氏が、「今、モードスパニッシュ(現代スペイン料理)がすごくいい。」と仰るので、早速、奈良の富雄にあるアコルドゥというお店に予約を入れて行くことにしました。連休明けの火曜日ということで、その日が定休日であるプログレヨコヤマの横山淳シェフに同行を求めたところ快諾を得て、楽しみも倍増です。もちろん美しい女性と同伴の方がもっと素敵なのでしょうが、君子危うきに近寄らず。次点の人選としては最善でしょう。彼との料理談義には得るところが多いので。ただ、問題は彼もぼくも髪型が同じポニーテールで、服装もお互いあまり堅気っぽくない。周囲の視線が気になるところです。
 まあ、それはさておき、当日は現地集合ということで、ぼくは時間的なことからマイカーで向かいました。第二阪奈道路を学園前というところで出て北上するのですが、周囲は田んぼばかりです。この道でほんとにいいのかな、と不安がつのり、確認の電話をいれようかと思っていたら少しずつ交通量が増え始め、やがて近鉄らしき高架が見えてきました。その下に、赤いレンガ造りの洋館が垣間見えます。あれか?近づくにつれ、その威容に驚かされます。すぐ側まで行ったら、横山君のこれまた威容が見えたので、ああやっぱり。それにしても、想像していた以上に立派な建物です。広い駐車場と庭園まであります。すごくうらやましい。
 車から降りて、横山君と中に入ります。天井が高くてバンケットルームまであり、その仕切りの壁にはアンティークのステンドグラスが並んでいます。見とれながら席に着きます。その席もテラスルームです。おしゃれやなあ。横山君、なんかオレたち場違いな服装やで。
 それにしても横山君がやけに落ち着いているのでその理由を聞くと、このお店のシェフとはかつて同じところで働いていたことがある、とのこと。今日は横山君と来て、本当によかった。これでシェフに平気で質問できます。食事していると多分、いっぱい疑問がでてくると思うので。
 そして祝祭が始まりました。料理8品とチーズ、その後デザートが2品。
 すべてにとても手間がかかっています。発想も自由で瑞々しい。料理の数が多いから、おいしいものもあれば、ちょっと?のものもあります。でも、全体的にはバランスがとれていて素晴らしい。横山君にシェフの年齢を尋ねると30代後半とのこと。若いのに偉いなあ。
 食事のあとシェフとお話しました。真面目な方でした。芯にまっすぐなものがあるのが窺えて、これまたうらやましかった。オレ、この年になって、こういう人を相手にどう戦えばいいのだろう。
 食事を終えて、横山君に感謝と別れを告げて帰宅し、それ以来ぼくはずっと悩み続けました。
 自分の店を持って20年が過ぎました。当初は世のフランス料理に一石を投じようと奇抜な料理を連発しました。それが受けて、一時は、アヴァンギャルドだ異端児だと持てはやされました。でも、ぼくはわかっていました。そして不安でした。いつか自分が流行遅れになり、忘れ去られていくだろうと。そして実際にそうなりました。
 福島に移って、再度、全力投球をしようと決意しました。そして声高らかに、ミチノは今もここにいる、と告げようと。
まず、おいしい料理を作ろう。そして、今の衣装を身に纏わせよう。
 この一年、休む間もなく努力しました。そして、ある程度自分で納得いくようなものが出来るようになった、そう思っていたら、まだその先があったのです。
 アコルドゥのメニューにこんな料理名が記されていました。
「寄せる波、岩場と砂。磯の香りと波の音 普遍的で永遠のもの。」
 それはデザートなのですが、あしらわれたプラリネ状の粉末に濃度の付いた透明の液体が注がれると、それが粉末を巻き込んで、確かに寄せては引く波のように見えます。一つ一つはさほど難しいものではないのですが、その構成が素晴らしい。料理が風景になっているのです。いったいこれは何なのか。
 ぼくは美味しさを求めてきました。それを如何に今風に盛るかに腐心してきました。でも、そこに風景や、その向こうにある詩的なもの、哲学的なものまでは表現し得ていない。
 そこまでやらないといけないのだろうか、という疑問はあります。いったいどれだけの人が理解できるのか、という商業的な思惑もあります。でも今、それをやっている人間がいるのなら、そしてそれに感銘を受けている自分があるのなら、ぼくはもう一歩前にでないといけないと思うのです。
 50歳の半ばを過ぎて、これまで積み上げてきたものをばらばらにし、再構築するというのは大変な作業です。本当に苦しい。体力的にも非常に厳しい。でも、いくつかの料理を完成させつつあります。朝起きて、疲れて眠るまでずっと考えつづけ、今、試作の真っ最中です。でも、8月20日から一月間やる予定の一周年ディナーには間に合う予定です。 これまでで最高のコースメニューをご披露します。
 横山君やアコルドゥの川島シェフにも是非来ていただこうと思っています。そして、彼らに感じてもらえるものが一つでもあったら、ぼくは本望です。詳細はHPに載せていきます。みなさんも是非、お越しになってください。みなさんの笑顔が見たいから、ぼくは料理を作り続けています
 
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by chefmessage | 2010-08-04 15:46