ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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前回、30年ぶりの友人との再会について書きましたが、その後記録更新、なんと高校卒業以来38年間も音信不通だった元同級生達が食事に来てくれました。そういう時期なのかなあ、なんだかミニ同窓会の連発です。
 今回は、関西学院高等部時代の仲間達。これまでも時々来てくれていた損保関連の会社に勤めるN君が、吹田市役所に在職しているS君と、健康食品販売の会社を経営しているO君を誘ってご来店。3名の予約だったのですが、他の二人が誰かN君は教えてくれなかったので、当日はちょっと緊張、というのも、なにしろ会っていない期間が長すぎます。それが誰か即座に思い出さないと、来てくれた人に申し訳ない。で、ご対面。
 S君はすぐにわかりました。顔つきも体型もそれほど変わっていなかったから。あいかわらずおしゃれで、でもそのセンスが高校生のときの彼を彷彿させるものだったので、なんだかほほえましかった。問題はもう一人のO君です。まず髪型がない!その部分に関していえば、すっかりたそがれています。だから判断材料は顔だけなのですが、彼の場合、もともとが老け顔だったのが幸い(?)して思い出せました。お!O君やないか。
 食後、これまでのお互いの経過を報告しあい、そう言えば、あの時こんなことがあったそんなこともあったか、という昔話で盛り上がり、次いで先生方の思い出話が始まります。その中で、昨年の3月に91歳で亡くなられた尾川正二(おがわ まさつぐ)先生の名前が挙がりました。
 ぼくと同じく勉強嫌いだったO君でさえ、「あの人は宝やった。」というほど素晴らしい先生でした。現代国語の担当でしたが、生徒のぼく達ですら、高校如きで教えるのはもったいないのではないかと思っていたほどです。
 尾川先生は第二次大戦中に、二十代でニューギニアに歩兵として参戦。上陸した4,320名の兵士のうちわずか60名しか生還できなかったそのうちの一人として、その当時の模様を「極限の中の人間ー極楽鳥の島」という本に著し、第1回大宅壮一ノンフィクション賞を受けられました。この本をぼくは高校生のとき初めて呼んだのですが、ほんとうに衝撃でした。みなさんも是非読んでいただきたいと思うのですが、その内容は、ぼく達戦争を知らない子供達にはかなり重い。生き延びるためには戦友の亡骸さえ口にしても許されるのか否か、という話まで出てきます。でも、さすがに国文学者、論文の書き方の著書もある尾川先生の文章は端正で格調高く、それが全体の重苦しさを和らげてくれています。
 でも、教室ではいつも淡々と物静かに授業をなさっておられました。わかりやすく楽しかった。そして、自分という人間が少し深くなれたような気持ちになれる授業でした。
 ある日のこと。黒板に「矜持」という言葉を書かれて、「誰か、これ読める者いるかな?」と尋ねられました。教室内を沈黙が支配します。ま、ダメ元と思って、ぼくが挙手。「読み方はわかりませんが、中原中也の詩では、ほこり、と読み仮名が振ってありました。」と答えました。尾川先生、微笑されて、「道野はよく本を読んでいるんだな。いいことだな。」と仰いました。普段、あまりほめられたことのない高校生だったぼくは少しうれしかった。
 「これは、きょうじ、と読む。意味は道野が言った通りだ。いい言葉だから、覚えておくように。」。そして、その言葉は、ぼくにとって大切な言葉になりました。
 その後、ぼくはある事件の首謀者と目されて、関西学院大学への推薦を取り消されるという処分を受けることになるのですが、これは確かに自分の蒔いた種でもあったので、仕方のないことだったと今では思います。そうして、失意のなかで卒業を間近に控えたある日、尾川先生がわざわざぼくの教室に来られて、ぼくの右の上腕部をぎゅっと掴み、ぼくの目をしっかりと見据えて、「道野、自分の才能を大事にするんだぞ。」と仰いました。
 その後、噂で、職員会議において尾川先生が、ぼくの推薦取り消しの処分に強く反対されたということを聞きました。
 もう30数年前のことです。でも、そんなことが確かにあったと、旧友達との再会がぼくに思い出させてくれました。

 また同窓会があるからミチノ、一回くらい顔出せよ、そうや、みんな待ってんぞ、そういう温かい言葉をかけられて、一人ひとりと握手して、楽しい一夜は終わりをつげました。4年後の同窓会は出席者の数が増えるだろうということです。なぜなら、定年を迎えた人間が結構いるだろうから。そうか、紅顔の美少年だったおれたちも定年を迎える年齢になったんや。でも、ぼくには定年はないし、そんな気持ちもありません。ただ、ふと思うのです。ぼくは、尾川先生が見つけてくださった自分自身の才能を大事にしてきたのだろうか。
 ぼくが今、この手に握っている才能はほんとうにか細いものです。日の光が反射してやっと確認できる程度の蜘蛛の糸です。それは多分、尾川先生が認めてくださったものとは別のものでしょう。でも、ぼくはそれが切れないことを祈りながら、それを手繰って、最後の最後まで上っていきたいと願っています。
 先生の著書、「極限のなかの人間」にこんな文章があります。
[ことばにうつすのはむずかしいが、自分を支えていた根源のものは、自分自身に対する責任のようなものであった。それは逃げないということである。・・・・中略・・・おれにもまだ、何かか残されているはずだ、果たすべき何かがある、そんな気がしていたのである。]

旧友達の話を聞くと、「子供はもう独立したから」とか、「娘は二人とも嫁いだことやし」とかで、順当に行っていればそういう世代なんだろうなと思わされます。でもぼくの子供達は、長男で中学生、長女と次女はまだ小学生です。それを話すと、「え、大変やないか!」とみんなに言われます。しかし、ぼく自身はそう思ってはいません。
 だからぼくはこうして命がけで仕事ができる。家族のためではなく、自分の責任をきっちり果たせる人間になってやる、そういう矜持がぼくを動かしています。幸い、それが出来るステージも与えていただきました。だからたとえ、よすがとするものがか細い才能でしかないとしても、ぼくはそれを握り締めてこの人生を全うしてやると、そう思っています。
 尾川先生もきっと笑って許してくださるような気がするのですが。

 一年が終わろうとしています。もうすぐ新しい年が始まります。そんな時期にぼくは、噛み締めた歯の隙間からそっと息を吐きながら、自分自身に対してこう呟きます。
 「本当の戦いはこれからやで。」。
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by chefmessage | 2010-12-14 18:25