ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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亀の子

ぼくのお店がある福島区にラ・ブリーズというビストロがあります。以前、このページにも登場した北川達夫くんが、パティシエールの妹とイタリアン出身の弟、そしてときどきおかん、という構成でやっているお店です。
 その北川くんはかつて、フランス料理を真剣にやりたいという触れ込みでぼくの豊中時代のお店で働き始めました。なかなか熱心な働きぶりで、将来はシェフ任命もありか、というところまできて、いきなり、これからはイタリア料理だと思います、と宣言して辞職し、イタリアへ行ってしまいました。まったく迷惑な従業員で、だからぼく自身としてはあまりよい印象は持っていなかったのですが、その彼が福島で店をやると連絡してきたので、あ、そう、とぼくは適当に答えました。正直、面倒くさかったのであります。
 でもまあ、近所のことだし一度顔でも出すか、と訪れて食事してびっくり。フランスもかくや、と思わせる骨太なビストロ料理でした。濃い味、盛大なボリューム、そして廉価。なかなかおいしい!いつのまにこんなに料理が上手になったのか。
 なにより熱心さが伝わってきます。フランス料理、とりわけビストロ料理が大好き、という気持ちが伝わってきます。まことに熱い料理です。ぼくのところで修行した痕跡はかけらも見当りません。
 ぼくは、ビストロ料理は好きだけれども、自分が作ろうとは思っていません。それはシャルキュトリー(お惣菜屋)に任せて、ぼくはもっと独創的な、自分にしか出来ない仕事を追い求めてきました。例えば、ブーダンノワール(豚の血のソーセージ)を使ってまったく新しい料理は作りたいけれども、ブーダンそのものを作りたいとは思わない。煮込み料理もしかり。枠組みがしっかりしていて、そこからはみだすことがむしろマイナスになるような料理にはあまり興味がありません。
 だから余計に、彼の料理は新鮮でした。今時、こんなに一所懸命ビストロ料理を作る人間がいるのか。そこでぼくは彼の料理をこう名づけました。ビストロ原理主義。いやな意味ではありません。むしろ愛すべき頑固さゆえの命名です。
 おそらく、いろんなお店を渡り歩いて、自分の向かう方向を探し続けてきたのでしょう。そして、プラスになると思えるものを少しずつ溜め込んできたのでしょう。その歩みは亀のように鈍重だけれども、結果、ゆるぎないものになっていったのでしょう。ぼくは自分にない力に、いつのまにか敬意をいだくようになりました。以来、彼とは親しくお付き合いさせていただいています。
 何事につけても、努力し続けてきた人間をぼくは尊敬します。そして思います。自分も負けてはいられない、と。
 おかげで、ぼくも力をもらって、このごろは感じます。今日の自分の料理が、これまでの最高であると。そして、それを更新していこうと。
 狭苦しい厨房で、ときどき登場する愛すべきおかんの機関銃の如き喋りに応戦しながら、大汗かいて仕事している北川くんの姿が目に浮かびます。そのすがたにぼくはこう語りかけます。頑張れよ、亀の子。いつかうかれているウサギたちを追い抜けよ。
 みなさんもどうか、骨太ビストロ料理を味わいにいってください。きっと元気がもらえることと思います。
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by chefmessage | 2011-06-28 11:40

神の子

十数年前のことになるのですが、その頃京都で「パリの食堂」というお店を経営していて、今にいたるビストロブームの先駆者となった早川佳毅くんからこんな電話がかかってきました。「うちでスタジエやっている高校生が、次はもっと本格的なレストランで働いてみたい、といってるんですが、道野さんのところでお願いできませんか。」。
 フランス料理が大好きな男の子で、夏休みとか冬休みとかを利用して、レストランで見習いをやっているのだとか。なんかオタクっぽいなあ、と思ったのですが、かつてともにフランスで時を過ごした親友の依頼だし、無給でいいということだし、まあいいか、くらいの気持ちで承諾しました。
 あれは冬休みだったのかなぁ。その子がやってきました。見れば、おめめくりくりのかわいい男の子です。まあ、適当にやってんか、とスーシェフ(二番手)に任せて、彼のスタジエ(見習い)一日目が始まりました。
 ぼくは基本的に、手取り足取り教えるタイプではないのですが、やはり慣れない人間が同じ仕事場にいると気になります。リズムの乱れが生じる、というか仕事の流れが滞るからです。統率する立場からすると、それはけっこうイライラする、はずなのに、その日はそれが感じられません。あれ、と思って見ていると、件の高校生、すんなり場にとけこんでいるのです。まるで随分前からうちの厨房にいるみたいに、むしろ滞りがちなところを見つけては嬉々として手伝っています。ぼくは内心、とても驚きました。まるで、料理を作るために生まれてきた子のようです。ひょっとして、こいつは神の子か?もしそれなら、ぼくはとうてい彼にはかないません。そしてその日、帰宅したぼくはマダムにこう言いました。「オレ、いつかあの高校生に、逆に料理を教わる日が来るような気がする。」。これが杉本敬三との出会いでした。
 その敬三が10年に及ぶフランスでの仕事を一旦終え、日本に帰ってきました。挨拶にやってきて、東京で店をやります、と言います。その抱負を聞いているとこちらまで楽しくなってきます。ガンガンいったらんかい、と無責任にけしかけます。ど真ん中に直球投げて、これがフランス料理じゃ、と言うたらんかい、とあおります。新しい時代がやってきそうな気がしてわくわくしてきます。年齢差なんてお構いなしで熱く語り合い、固く握手してその日はお開きとなりました。
 でも、それから数日して、あの大地震と津波が東北を襲いました。
 敬三の東京での出店計画は当分見合わせることになりました。
 池田にある奥さんの実家を拠点に、それでも出張料理などをして忙しそうにしていた敬三から、ドイツに渡るという連絡が入りました。新規開業のホテルからエグゼクティブシェフに来てほしいという依頼があったそうです。そして、その前にうちの家で、うちの家族のために料理を作りたい、と言います。世話になった恩返し、らしい。
 それはとても嬉しい申し出ではあったのですが、ぼくは一瞬躊躇しました。うちの子供たち、本格的なフランス料理って食べれるんだろうか。食べれない、とか言って残したらどうしよう。
 勿論、彼らはぼくの店で、ぼくの料理を何度も食べています。同年齢の子供達よりは慣れているでしょう。でも、ぼくは彼らの好みをわきまえて毎回献立を考えてきました。とくに末娘の臨(のぞみ、小学校の5年生)は、好き嫌いが激しいし。
 でも、せっかくの敬三の申し出です。お互い何事も経験だから、よろこんで来ていただこう、そう考えて受けることにしました。
 当日の料理は、マッシュルームのギリシャ風、バイ貝の冷製、あわびのクリーム煮、鳩と海老のソテーなど。あわびの肝とフォアグラのリエットなんかもあって、とても豪華でした。料理しながら、一緒に食べながら、敬三と思う存分料理談義。マダムはデザートの話で、夫婦共々、教わることが多かった。マダムが、いつかあなたが言ってた日が本当にに来たんだね、と言いました。あれからもう十数年が経ったのか。その間、ぼくも敬三もひたすら料理を作り続けてきました。敬三は神の子らしくまっしぐらに、俗人のぼくはあれやこれや迷いながら。
 シェフの年齢的なピークは30代後半から40代前半だと言います。それなら、敬三はまさしくこれからだし、ぼくはとっくにシニアトーナメント入りでしょう。でも、彼と話していてぼくがうれしかったのは、ぼくもまだまだ枯れていないことを認識できたことでした。食事の最後に、敬三がこう言いました。いつかぼくが店を持ったら、シェフ、いっしょにフェアやってくださいね。うれしいな。そのとき、ぼくは死力を尽くして、彼とわたりあおうと思います。
 ところで、ぼくの子供達、けっこうもりもり、おいしいおいしいと言いながら食べていました。では、問題の臨はどうだったか。どうも鳩だけは苦手だったようです。何故?と聞いたら、こんな答え。「鳩の匂いの味がするから。」。ようわからんなあ。
 それでも、彼らにとってはいい思い出になったと思います。そしていつか、あの杉本敬三が、うちの家で料理作ってくれたことがある、と自慢できる日が来るでしょう。そのとき、ぼくはまだ現役でいるのか。ともあれ、敬三、ありがとう。
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by chefmessage | 2011-06-26 20:54