ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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9月15日の産経新聞夕刊

 産経新聞から依頼があって、現在の心境みたいなことを書かせていただきました。9月15日の夕刊に掲載されたのですが、産経新聞をとっておられないかたのために同じ文章を転載しました。

「今から3年前、54歳のとき、医師から、いつ心筋梗塞を起こしてもおかしくないと告げられました。「心筋梗塞になったらどうなるんですか?」と尋ねると、「最悪の場合、死にます」。そのとき、自分も死ぬんだ、という当たり前のことを再確認したのです。
 手術を受けての退院後、19年営業した豊中の店を閉め、大阪市福島区に移転する決意をしました。北摂という地域の、絶対数の少ないお客さまをいかにひきつけ店を維持するか、そのことばかり考えて朽ち果てていってよいのだろうか。これがオレのフランス料理だ、そういうものを世に知らしめなければ、死んでも死にきれないのではないか。そう感じ、広い範囲から人が集まる新しい舞台で、それも激戦区といわれる場所で、もう一度、初心に帰って戦おうと思ったのです。
 でも、移転した当初は途方に暮れました。自分のフランス料理とは何か、が見えなくなっていました。周囲の若手のやっている今の料理が理解できないのです。
 いわゆる「分子ガストロノミー」(ガストロノミーとは「美食学」のこと)の台頭です。料理を科学的に分析し、これまで経験と勘に頼っていた部分を数値として形式化します。たとえば卵の中心が何度になれば半熟という状態になるのか。そのためには何度の湯で何分ボイルすればよいのか、それをすべて明らかにします。ではなぜ分子、という言葉がつくのか。
 黄身の状態が問題になるからです。たとえば、中心が60度になればよいのなら、なにも沸騰した湯で、短時間で調理する必要はありません。65度でボイルし続けて結果的に中心が60度になればよいのです。そうすれば激しい温度差による分子の破壊が軽減されます。風味が損なわれにくいし、とろみなどの食感がかわってきます。生卵に近い味わいなのです。但し、調理時間はかなり長くなります。そのように食材の変化を分子レベルでとらえるから分子ガストロノミーとよばれるのです。最初はこれが理解できませんでした。
 そして、レシピに登場する聞きなれない健康食品や食品添加物。多機能ミキサーや加減圧調理器などの使ったこともない機械。液体窒素で瞬間冷凍させたオリーブオイル! あるいは先の卵の理論の応用編である、火が通っているのかどうかわからない焼き加減の魚や肉。すべておまかせで、延々と続くミニサイズの料理のコース。何故、こんなことをするのだろう。どこがいいのだろう。わからないから、食べ歩き、調べ、聞き…。
 でも、全然楽しくないのです。解るし出来るようにはなったけど身につかない、というか。やっぱり無駄に年くったかなあ。でも、そうではない、とぼくのこころが言います。やっていて楽しくないのは、それがおいしいと思えないからだ、と。
 ぼくは、自分がおいしいと思うものしか作れない。そしてそのおいしいという感覚は、母親から受け継いできたものだとぼくは思っています。彼女が毎日毎日、子供達の成長を願ってつくってくれたその努力の積み重ねがぼくの土台になっている。新しさが全てではない。むしろ、受け継いできたものを大切に育てて、次の世代に手渡すべきだと思うのです。
 どんな状況にあろうとも、あきらめないで、そのとき自分にできることを精一杯やろう。そして、大切な私流のフランス料理を築きあげよう。残された時間内に、自分が思い描く場所にたどり着けるかどうかはわかりません。でも、すくなくとも近づいている、その気持ちがいつの時代でも、希望と言われるのではないかと思います。」

 
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by chefmessage | 2011-09-19 20:42

秋の夜長に

犬好きと猫好きに分かれるように、人は、南好きと北好きに分かれるのではないかと思うことがあります。うちのマダムは南派で、60歳を過ぎたら沖縄に移住して暮らしたいと言っています。俺もついていくの?とたずねると、来たければ来ればいいという返事。どうも彼女の老後の計画にぼくは存在していないみたいです。すこしさびしい気もするのですが、今、本当に一所懸命生きているいる彼女を見ていると、それもいいか、と思えます。それに、オレは北派やし。
 20数年前、北海道は旭川で1年間だけですが暮らしたことがあります。ハーヴェスト・ロードハウスというレストランでシェフをやっていたのですが、けっこう楽しかった。冬の寒さも積雪による生活の不便さもそれほど辛くはありませんでした。むしろ、年間を通じて吹く風の清冽さが好きでした。とくに冬が来る前の、凛として張り詰めたような秋の空気がとても好ましく感じられました。
 そのような季節にひとつの出来事があって、ぼくは今もそのときのことを昨日のことのように覚えています。
 それは、百貨店の西武が企画した時計の展示会で、ぼくの働いていたお店を一軒貸切にして、来店した顧客に食事もしてもらう、という催しでした。せっかくだから気合入れていこう、ということで最上の食材とシャンパンを用意しました。
 ところが、予想に反してお客さまの入りがいまひとつ。どうも不穏な雲行きになってきました。どう考えても、仕入れた食材が余ってしまいます。当時、血気盛んだったミチノシェフの機嫌が悪くなっていきます。「これ、どないすんねん。」。場違いな大阪弁が響きます。そのとき、展示会の責任者と思しき方がこう言ってくださいました。「シェフ、余ったらぼくたちが食べますから。」。
 日本シイベルヘグナーという会社の皆さんでした。その夜、食事のあと、元来時計好きだったぼくはみなさんと大いに時計談義で盛り上がりました。なにげなくはめさせていただいた時計が1500万円もするブランパンのリピーター(チャイムで時刻を知らせる複雑機構)で驚いたこと。将来、独立したら店名をトゥールビヨンにしようと思う、と語ったこと。そのご縁で、数ヵ月後、ヴァシュロン・コンスタンタンの広告にも出させていただきました。(そう言えばあのとき、ギャラの代わりにオメガを一本あげます、と言われたような気がするのですが、もう時効ですね。)。
 みなさん本当に時計が大好きで、こだわりの人たちで、夜が明けるまで話していたいと思いました。
 その後、各時計ブランドがいろんな会社に分かれて、それに伴い人も移動してしまったため、みなさんとも連絡がとれなくなっていたのですが、ぼくが豊中で「ル・トゥールビヨン」を開業したとき、そのなかのおひとりが来てくださいました。スウォッチグループに移ってブランパンを担当しておられたSさんでした。そのときいただいたダニエルズ博士の「ブレゲのアート」という本は、今も大切にしまってあります。
 そのSさんが、ほんとうに久しぶりに福島のぼくの店に来てくださいました。電話では何度かお話していましたが、顔あわせはあのとき以来だから、ほぼ20年ぶりです。
 またもや、いきなりの時計談義です。一緒にこられたOさんとおっしゃる方もデパートで長年時計の販売をしておられたとかで、熱く語る語る。失礼して料理にかかりました。
 食後は名刺交換会。Sさんはボヴェというスイスの高級時計を扱う会社の社長になっておられました。腕にしている代表作を見せていただきましたが、いい時計でした。
 通常はケースの右にある竜頭とクロノのプッシュボタンが文字盤の真上にあります。懐中時計の意匠を再現しているのでしょう。歴史のある会社の作品であることを強烈にアピールしています。そしてバックスケルトンから見えるローターの青色の美しいこと。
 その夜、ぼくは明け方まで眠れませんでした。その時計が欲しくなったこともあるのですが、それ以上に、今のぼくには到底手が出せない代物であることが悲しかった。
 Sさん、じゃあぼくも一本買わせていただきます。そう言えない自分がすこし辛かった。もちろん、それがつまらない見栄であることは十分理解しています。時計にまわすくらいならほかに有効なお金の使い道はいっぱいあって、優先順位でいくと、それは月よりも遠い。
 それでも、秋の夜長が白々と終わりに近づいたころ、ぼくはひとつの結論に達し、納得して眠りにつきました。
 この仕事をずっと続けてきたから、Sさんとの変わらぬ友情も長年保ち続けることができたのではないか。それならば、ぼくはこれからも「ル・トゥールビヨン」という店名に恥じることのないよう努力を続けよう。そして、負け惜しみではなく、いつの日かボヴェを腕に巻こう。
 福島に移転してもまた来てくださったSさんにこころから感謝です。でも、もうひとつ問題があります。明後日の夜、三重県伊勢市の河瀬さんが食事に来られます。ボン ヴィヴァンというフランス料理店を営みながら、併行してアンティークの時計店もやっていた豪腕の人です。そのこだわりもまた並ではありません。だから、
 ぼくの睡眠不足は、もうしばらく続きそうです。そして、北海道に移住なんて夢のまた夢。ぼくは体力の続く限り働きつづけることでしょう。ま、それもいやじゃないけどね。
 
 
 
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by chefmessage | 2011-09-09 18:10