ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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八ッちゃんの笑窪

 この歳になりながら、ぼくは同窓会というものに未だ一度も出席したことがありません。仕事柄、土・日に休みが取れないということもあるのですが、それよりも大きな理由は、ぼくがかつての同窓生、あるいは先生方に、いい印象を持たれていないと思い込んでいるからです。今、振り返っても、恥ずかしくて赤面するような学生でした。
 小学生のころはまだしも、中学・高校時代となると、もう最悪。勉強はしない、授業には出ない、部活はさぼる。あげくに数度の停学に留年。実際、実の母親が高校の卒業式のとき、「恥ずかしいから行きたくない」とまで言いきる体たらく。さすがに大学に入学してからは多少は反省の色をみせたのですが、それにしても決して人様に自慢できるものではありませんでした。
 だから、むしろその頃の人間関係から遠ざかるようにぼくは生きてきたような気がします。それなのに、料理人になって自分の店を構えて、ちらほらと雑誌やTVなどに顔を出すようになると、その頃の友人達がパラパラ来てくれるようになりました。
 当時の悪友連ばかりではなく、けっこうぼくを白眼視していたはずの優等生たちも。
 ぼくは不思議でなりませんでした。そこで、かつての優等生のひとりが食事に来てくれたときに尋ねました。「オレって、嫌われ者じゃなかったか?」。「そんなことないで。同窓会で集まったら、必ず道野のことが話題に出てな、みんな会いたがってるで。」。
 そうなんですか、とぼくは思って、なんだかすこしうれしくなりました。でも、いまだに、かつての同窓生から予約が入ると不安になります。
 先日も、高校時代の知り合いから電話があって、びっくりする人を連れていくから楽しみにしとって、と告げられて、内心ビクビクでその日を迎えたのです。
 その人は年配の紳士でした。鋭い一瞥にたじろぐワタシ。誰やろか。
 開口一番、「道野、久しぶり。」と仰います。なんとその人は、中学時代の歴史の先生。サッカー部の顧問にして、当時ダントツの熱血ぶりで名高かった尾崎八郎、通称、尾崎の八ッちゃん(失礼!)でした。45年ぶりのご対面!
 何を言えばいいのか、しどろもどろでご挨拶して、とにかく厨房に逃げ込みました。

 順調に料理は進んでいきます。でも、デザート前になって、マネージャーの原から「若い女性、涙ぐんでます。」という現場報告が入りました。その日のメンバーは、高校時代の同級生の村上くん、尾崎先生、共通の知り合いらしき親子3人(両親とおじょうさん)の5人構成。どうもお嬢さんの進路相談の話し合いをかねての食事会であったようなのですが、尾崎先生の熱弁にお嬢さんが感極まった様子。センセイ、いくつになっても熱いなあ、とぼくは感心してしまいました。
 そして、食後のご挨拶。驚いたことに、尾崎先生はぼくのことをとてもよく覚えておられる。45年間、接した生徒は、それこそ星の数ほどもいただろうに。だから、ぼくは尋ねました。「何故、そんなにぼくのことを覚えてるんですか?。」。
 「道野、お前な、中学生のくせに我流を貫く奴やったやろ。それに、こっちの言う理論の隙間を的確に、それも笑いながら突いてきたやろ。そんな生徒、忘れるかい。」
 そして笑顔で話は続きます。
 「オレがお前のことどついたんは、お前が目立つやつやったからや。目立たんやつどつくのは、効率が悪いからな。そやから、お前、自分が悪くないのに、ようどつかれたやろ。」。
 今なら、絶対に問題になるであろう会話が続きます。
 「ということは、オレは見せしめにどつかれとったんですか。」と笑って言うと、尾崎先生は、「そや、学年でお前のこと知らんやつおらんかったからな。」と返します。喜んでいいのか、悲しむべきなのか。でも、ぼくはそのとき、尾崎先生の上あごのあたりに、ちいさな窪みがあるのを発見しました。そうだ、この人は笑顔になると、そのあたりに笑窪ができるんだ。だから、ぼくはこの人が嫌いではなかった。
 突然、45年前の尾崎先生の姿が思い浮かびました。黒い髪はスポーツ刈りで、眼鏡をかけていなかった顔は、目つきが鋭くて精悍だった。背筋がまっすぐ伸びて、声もはりがあって。授業は厳しくて、礼儀にもうるさくて。
 思い出しているぼくも中学生にもどっていました。
 新婚早々だったから、奥様のことを話すとき、照れくさそうだった。買ったばかりの車を眺めては満足そうだった。硬派だけれど、物分りのいいところもあって、最終的には温情で対処してくれて、そして、最後にはいつも笑っていた顔には笑窪があって。

 あれから45年もたったのか。いまだにぼくは、自分の人生を肯定することができません。これでよかったのだろうか。後悔なんて柄じゃないのに。
 尾崎先生はどうなんだろう。でも、センセイ、70過ぎても熱く語って若いお嬢さん泣かせているし。ぼくはぼくで、いまだに負けん気ばかりの料理人だし。
 結局、ぼく達はやんちゃなまま生きてきたのでしょう。それは多分、ぼくの拙い人生で失ってはならないものだったのでしょう。尾崎先生は、ぼくにそれを気づかせてくださった。やっぱりこの人、心底センセイなんや。

 その夜、帰宅の途上で、ぼくはすこしうれしくなりました。オレって、自分で思うほどいやな奴ではなかったんや。それは、勇気となって、これからのぼくを支えてくれるような気がします。ちなみに尾崎先生は、神戸にある啓明学院の理事長・院長をなさっておられます。「センセイ、たくさんの生徒達に慕われて、幸せな人生じゃないですか。」と別れ際に言ったら、センセイはうれしそうに「うん。」。やっぱり、笑窪がありました。
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by chefmessage | 2013-10-01 12:31