ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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映画のような話

 これはフェイス・ブックにも投稿した話なので、それを目にされた方には内容が重複することになるのですが、どうしても詳細が書きたくなったので、よろしければ今一度お読みになってください。

 それは40年くらい前のこと。ぼくには親友がいました。彼は成績もよく、明朗快活で学級委員タイプ、ぼくはといえば、落ちこぼれの不良学生、本来ならば水と油ほど違う高校生だったのですか、何故か気があいました。
 彼は何代か続いたカツラ屋の一人息子で、当時心斎橋のど真ん中にあった彼のお家、というかビルに、ぼくはよく泊まりに行きました。
 一階の作業場では、彼のお母さんが職人さんたちとカツラを作っています。カツラといってもいわゆるウイッグではなく、時代劇の女優さんがかぶっているいるような本格的な日本髪のものです。入り口の扉を開けて、彼が大声で「ただいま」と言うと、彼のお母さんが「お帰り!」「ごはん食べといで」と、元気に言い返します。カバンを放り込んで、ぼくたちは意気揚々、街に繰り出します。そして、お好み焼き、ハンバーグ、それからカツサンド、最後にコーヒーと、食べ物屋さんのハシゴをします。とにかく、二人ともよく食べた。いずれも心斎橋の名店なので、どこの料理もおいしかった。ただ不思議なことに、どの店でも彼はお金を払わないのです。「ごちそうさん。」と言うだけ。そして、「次、行こか。」。
 「お金、払わんでエエのか?」と聞くと、「ツケといたらエエねん。」と言います。ぼくは呆気にとられました。そして、老舗の持つ底力に畏怖しました。
 彼の部屋に戻って、夜遅くまで馬鹿話をして騒ぎました。本当に彼との付き合いは楽しかった。それは、ぼく達が別々の大学に進むまで続きました。
 それから数年たって風の噂に、彼が大学を中退したと聞きました。しばらくして、気になったぼくは心斎橋の彼の実家を訪ねたのですが、そこは何故か中華料理店になっていて、どう見ても、彼の家族が住んでいる様子はありませんでした。そして、彼の行方は、誰に聞いてもわからなくなった。
 いったい彼はどこに行ってしまったのか。どこで、どうして暮らしているのか。ぼくはずっと気になっていました。これほど探しても見つからないということは、もう彼は亡くなっているのではないか、とさえ思っていたのです。

 ある日、フェイス・ブックに友達リクエストがひとつ入っていて、それは彼とはまったく別の、でも同姓の人でした。その時、ひょっとしたら、とひらめいたのです。あるいは彼もフェイス・ブックをやってるんじゃないか。ダメもとのつもりで検索しました。すると・・・
 まぎれもなく彼が、美しい金髪の女性と並んで写真に写っています。ぼくは思わず叫びました。「おい、見つけたぞ!。」。

 スタンフォード大学卒業、エマーソン・カレッジ教授!専攻は生物統計学。
 うそやろ。大学教授ということはPh.D(博士号)もとっているのでしょう。スタンフォードもエマーソンも、ともにアメリカの超名門校です。驚きました。死んだとさえ思っていたのに。
 すかさずメッセージを送りました。翌朝、返ってきた返事に、涙が出たとありました。うれしくて眠れなかったとも。
 そして、ぼくは悟ったのです。彼は行方不明になったのではなくて、日本にいる友人達と連絡をとる余裕もなかったのだと。すさまじいほどの勉強量だったのでしょう。そうして彼は、熾烈な戦いに勝ち続けてきたのでしょう。日本を振り返るどころか、より深くアメリカという国に溶け込むために、彼はあらゆるものをかなぐりすてて突き進んできたのだと、ぼくは思うのです。
 すごい奴やなあ。

 その彼から、今日、新しいメッセージが届きました。辞書を片手に読みました。
「道野くん、ぼくは今、気がついたよ。きみと過ごしたときに、君が語ってくれたことが、ぼくの人生における心の核になっている、と。ぼくはすべてをいまだに理解しているわけではないが、きみは今でもぼくの師匠だよ。」。おおよそですが、そのような内容でした。
 なんということなのでしょう。確かに、当時のぼくは風変わりな高校生で、わかりもしない哲学書をいつも読みかじっていました。そして、自分とは何か、ということをいつも考えていました。例えば、人間は水の入ったコップなのではないか、とか。
 体は入れ物であり、そこに様々な価値判断の基準という水が注ぎこまれているとするなら、それらはどこから来たのか。それは、自分で選んだものか、それとも他者が強制的に詰め込んだものか。ならば、すべての価値判断を放棄すれば、本来の自分を発見できるのか、などなど、まあ、そのようなたわいもないことです。
 多分、そのころのぼくは、そんな愚にもつかない論議に夢中だったのでしょう。そしてぼくは、結局、料理人になりました。自分とは何か、ではなく、何になるべきか、という答えを求めて。ぼくも未だに全てを理解したわけではありません。だから、彼に師匠などと言われると、本当に困ってしまいます。

 でも、ぼくは彼と再会できて、ひとつだけわかったことがあります。ぼくは、最後まで料理そのもので勝負するべきなんだ、ということ。
 レストランの成功は、場所であるとか、雰囲気であるとか、あるいはサーヴィスにあるとか。それ以上に、不可視な、運というものに左右されるというのが、多くの人たちの結論です。でも、運なんて、それこそ雲をつかむような話です。だから、
 彼が、どんなときもひたすら自分を信じて、一歩一歩登りつめてきたように、ぼくも自分の力量と才能を信じて、料理というたった一つの武器で、正面から最後の戦いを挑むべきなのでしょう。

 Prof,Satake You are great,my best friend.
勇気をありがとう。きみの懐かしい大阪で、会える日を楽しみにしているよ。


 
 
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by chefmessage | 2014-04-18 18:37

還暦だから武者修行

 1年以上続いた奈良での仕事を終えて、解放感でいっぱいの春です。
 週に5日、早起きして豊中の自宅から車で自分の店に向かいます。仕入れがある場合は、いつもの豊南市場に寄ってお買い物。店に荷物を降ろして、近くに借りているガレージに車を入れ、JR環状線で鶴橋へ。そこからは近鉄です。大和八木の次の駅、耳成まで。
 この近鉄がなかなか曲者で、特急に乗る場合は乗車券とは別に特急券を買わなければなりません。これが結構高くて、毎日だと馬鹿にならない。でも、特急優先でダイアが組まれているから、時間を節約しようと思えば乗らざるを得ません。でも、もっとストレスがたまるのが、土曜・日曜。周りは、伊勢神宮や志摩・賢島に出かける旅行者ばっかりなのです。みなさん、旅への期待でうきうきしています。笑顔であふれる観光列車。その中でひとり、仕事に向かうわたし。なんでヴィスタカー(2階建ての客車。小学校の修学旅行以来です。)乗って働きにいかなあかんねん、と、はなはだ気分がよろしくない。このまま宇治山田まで行って、伊勢のボンヴィヴァンで食事したろか、と何度思ったことか。
 帰路は逆の道程で自店に戻り、夜の営業に従事します。本当に時間に追われる毎日でした。だから、指折り数えて終わる日を待ちました。収入が減って、経済的にかなり苦境に立たされるのは明白で、はっきり言って恐怖ですが、それでも待ち遠しかった。そして、ぼくは解き放たれました。

 はらはらと満開の桜から花びらが散り、春風に舞っています。この季節になると、いつも坂口安吾の「桜の満開の下で」を思いおこします。桜の根元には魔が潜んでいる。その魔にそそのかされるように、ぼくは旅に出たくなります。人生の再出発である還暦も迎えたことだし。
 よし、とぼくは自分に気合を入れます。武者修行に出たろ!
 自分の世界を構築し、それをいかに進化させるかだけでぼくは半生を費やしてしまいました。人生も残り少なくなってしまった。それなら、これまで得たものの真価を世に問うてみよう。だから、ぼくは今、いろんな料理人にコラボレーションのフェアをさせてくれるよう申し入れています。ベテランもいれば若い人もいます。フランス料理、イタリア料理、洋食に和食。道場破りの気持ちで挑みますが、あえなく返り討ちにあう危険性もある。それでも。
 何かを得て、そこから生まれたものを返し、さらに何かを得て、また返し。そのようなことが、呼吸するように自然にできたなら、ぼくは更なる高みへ自分を導けるのではないか。

 まず第一弾は、元プログレヨコヤマの横山淳くんと。
 彼がアミューズ、オードブル一品、魚料理を担当し、ぼくがオードブル一品、メインの肉料理、そしてうちのマダムがデザート担当。サーヴィスはうちの原と横山千晴さんが行います。
 横山くんは現在、腎臓病で透析を受けており、週の半分しか仕事ができません。そのため、自分のお店も閉めざるを得なかった。でも、彼はやはり生粋の料理人です。その創作意欲は病を得ても衰えをみせてはいません。むしろ、内圧は高まっているように見受けられます。相手に不足はありません。ともに前衛を自認してきたふたりです。いい仕事ができるのではないかと思っています。

 還暦パーティーのときの挨拶で、ぼくは「もう一花、咲かせてみせます。」と言いました。それを実現するために、ぼくは一歩踏み出そうとしています。どうかみなさん、応援してください。ぼくもまた、なにかをみなさんにお返しできるようにがんばるつもりです。
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by chefmessage | 2014-04-02 18:17