ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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<   2014年 12月 ( 2 )   > この月の画像一覧

 12月の6日と7日に、元プログレ ヨコヤマの横山淳シェフと二回目のコラボディナーを行いました。このコラボは、今年の3月にあったぼくの還暦パーティーで、横山シェフが料理を提供してくれたことに端を発しています。
 彼が、週に3回の腎臓の透析をしなければならない病気を患い、断腸の思いで自店を閉めたことをぼくは知っていたので、無理しなくていいからと引き止めたにも関わらず、彼は数品の料理を用意して持参してくれました。それだけでもぼくはありがたく思っていたのに、そのときの彼の料理が素晴らしくて、なんだか生命力に溢れているような気がして、ぼくは瞠目したのでした。
 彼はあきらめてはいない。その料理に対する熱意は、重い病気を凌駕しようとしている。
 
 長い間、ひとつの仕事を続けるというのはとても難しいことです。ましてやぼく達の仕事は流行的な側面がかなりあるから、いつまでも良い状態は続きません。次々と新しい才能が生まれ、もてはやされ、それに従って以前のものはどんどん忘れ去られていきます。それに抗って、前衛の位置をまもるのは至難の業という他はありません。ぼく自身、何度も何度も、自分の時代と役割は終わったのではないか、と苦しみました。今でも、その呪縛から解き放たれてはいない。毎日、苦しみながら歩んでいる、といっても過言ではないのです。だから、もしぼくが横山シェフのように重い病に見舞われたなら、ぼくは多分、あきらめてしまったと思います。でも、彼は打ち勝とうとしている。
 だから、ぼくはそのパーティーの席上で、彼に「一緒にフェアやろう」と持ちかけたのです。安易な同情ではなくて、ぼくは彼に同調したかった。
 一度目のフェアは大好評でした。是非次回を、という声がたくさん寄せられたので、今回、二度目が実現したのです。
 
ぼく達の共通の傾向として、とにかく人のやらないことをやりたがる、というところがあります。これはかなりきわどい分野で、ともすれば奇を衒っただけのものになってしまい、食べ手に無用な混乱、ときには不快感まで与えてしまいます。食材の連結や、味とか香りとか食感のバランスをとるのが非常に難しい。へたをすると、「こんなことしない方がおいしいのに」という批判を受けてしまいます。だから、ぼく達は細部に至るまで計算しつくさねばなりません。何度も自問自答を繰り返して練り上げていきます。
 そのことに関して言及するなら、横山シェフはいまやぼくの手強いライバルとなっています。完成度は、むしろ今のほうが高くなっている印象です。純粋に自分の料理に向き合っている。だから、彼とのフェアはお互いの笑顔とは裏腹に、真剣勝負です。そこに同情の入り込む余地はありません。全力で相手を叩きのめす気魄が必要です。
 前回もそうだったのですが、今回もぼくは必殺技を用意しました。それは「仔牛腎臓のローストとタラの白子のパンケーキ」。

 これは北海道の河原正典シェフが、地元のイタリアンの鈴木シェフと、自店の「メランジェ」で開催したコラボで出した料理が元になっています。この料理はぼくにとっては衝撃的な一品でした。家畜と魚類の内臓を一皿に盛る、というのは前代未聞ではないか、と思ったのです。そして、自分ならどうするかと考えたとき、すごく難しいと感じました。
 二つの料理をただ単に一つの皿に盛る、というのならさほど難しくはありません。でも、それぞれが連結して、皿の上にある全てを一緒に食べたときに全く別の次元に食べ手を誘う、というぼくの理想論に照らし合わせると、その実現には途方もない工程が必要になると思えました。
 そもそも、この二つを結びつける必然性もないし、蓋然性も乏しいのです。組み合わせそのものがすでに常軌を逸している。平たく言えば、「そんなことしなくていい」部類の料理なのです。でも、だからこそやってみたい。
 まったく結びつかない素材同士の接着剤には何をつかえばいいのか、緩衝材を何にするか、バランスはとれているか、縦横の強度に問題はないか、そして、円は閉じているか。それはまるで設計図です。頭のなかで建物を完成させていく感じです。そして、フェア開催の2時間前になって、ようやく完成。
 とはいうものの、素材そのものに抵抗のある方には、この料理はまったく無用の長物です。だから事前にコース内容を公開し、当日もメニューを印刷してお渡しし、食材の変更にはお応えするつもりだったのですが、残念ながら、二日間で3名の方の料理がほぼ手付かずで戻ってきました。そのことに関しては申し訳なく思っているのですが、結果的には好評でした。挑んでよかった、今ぼくはそう思っています。

 どなたかの著作の孫引きですが、「一色しかないなら、それは色ではない」という言葉が記憶に残っています。人の性癖を色にたとえるなら、ぼくや横山シェフは、料理界ではすこし色合いの違うタイプなのでしょう。でも、そういう異なった色がなければ、この世に色はなくなってしまう。それは寂しいことだし、なにより自然の摂理に反しています。この世界は、色があってはじめて世界として成り立つのだから。
 だからぼく達は、自分達の個性をより一層、鮮明にすべきなのでしょう。それがぼく達の役割かもしれないから。

 ぼく自身、オーナーシェフになって26年がたちました。そんなに長い間やってこれたのは、ぼくがあきらめずに自分の役割を果たそうとしてきたからではないかと思ったりもします。この線より後ろにさがったら、自分は終わってしまう、そう思って踏ん張ってきました。でも、例えば水鳥がじっとしているように見えて実は水面下で水かきのついた脚を絶えず動かしているように、ぼくはずっと足掻いてきたのです。ぼくは止まらない、ずっと足掻きつづけて踏みとどまりたい。だから、ぼくは若い料理人達の料理に触れ、敬意をはらってその話に耳を傾け、専門書も読みネットでも検索し、ときには今回のようにコラボをするのです。そして、そのときにこころのどこかに小波が立ったら、ぼくはその原因を調べ、検証し、自分の持つ引き出しを次々開けて思考し、再構築します。いつか、足掻いた足の後ろに土が溜まり、それを踏み台にして自分自身がさらに一歩前に出る、そんな日を夢見て。

 フェア当日は、横山シェフのお店のかつての常連さんたちが集って、サーヴィスを務めてくれた横山千晴さんとの話が盛り上がり、みんなとても楽しそうでした。またやってね、その声がある限り、ぼくは彼等とのコラボを続けようと思います。そして、その度ごとに挑めるとするなら、ぼくは横山夫妻と当日来て下さったすべてのお客様にこころからの感謝の言葉を伝えなければなりません。ぼくはあなたたちから勇気をわけてもらいました、と。
 来年も、ぼくは足掻き続けようと思います。そして、最後まで踏みとどまるつもりです。これが、今年最後のぼくのメッセージです。どうかみなさん、来年もよろしくお願いいたします。
 
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by chefmessage | 2014-12-09 21:41
 12月の6日と7日に、元プログレ ヨコヤマの横山淳シェフと二回目のコラボディナーを行いました。このコラボは、今年の3月にあったぼくの還暦パーティーで、横山シェフが料理を提供してくれたことに端を発しています。
 彼が、週に3回の腎臓の透析をしなければならない病気を患い、断腸の思いで自店を閉めたことをぼくは知っていたので、無理しなくていいからと引き止めたにも関わらず、彼は数品の料理を用意して持参してくれました。それだけでもぼくはありがたく思っていたのに、そのときの彼の料理が素晴らしくて、なんだか生命力に溢れているような気がして、ぼくは瞠目したのでした。
 彼はあきらめてはいない。その料理に対する熱意は、重い病気を凌駕しようとしている。
 
 長い間、ひとつの仕事を続けるというのはとても難しいことです。ましてやぼく達の仕事は流行的な側面がかなりあるから、いつまでも良い状態は続きません。次々と新しい才能が生まれ、もてはやされ、それに従って以前のものはどんどん忘れ去られていきます。それに抗って、前衛の位置をまもるのは至難の業という他はありません。ぼく自身、何度も何度も、自分の時代と役割は終わったのではないか、と苦しみました。今でも、その呪縛から解き放たれてはいない。毎日、苦しみながら歩んでいる、といっても過言ではないのです。だから、もしぼくが横山シェフのように重い病に見舞われたなら、ぼくは多分、あきらめてしまったと思います。でも、彼は打ち勝とうとしている。
 だから、ぼくはそのパーティーの席上で、彼に「一緒にフェアやろう」と持ちかけたのです。安易な同情ではなくて、ぼくは彼に同調したかった。
 一度目のフェアは大好評でした。是非次回を、という声がたくさん寄せられたので、今回、二度目が実現したのです。
 
ぼく達の共通の傾向として、とにかく人のやらないことをやりたがる、というところがあります。これはかなりきわどい分野で、ともすれば奇を衒っただけのものになってしまい、食べ手に無用な混乱、ときには不快感まで与えてしまいます。食材の連結や、味とか香りとか食感のバランスをとるのが非常に難しい。へたをすると、「こんなことしない方がおいしいのに」という批判を受けてしまいます。だから、ぼく達は細部に至るまで計算しつくさねばなりません。何度も自問自答を繰り返して練り上げていきます。
 そのことに関して言及するなら、横山シェフはいまやぼくの手強いライバルとなっています。完成度は、むしろ今のほうが高くなっている印象です。純粋に自分の料理に向き合っている。だから、彼とのフェアはお互いの笑顔とは裏腹に、真剣勝負です。そこに同情の入り込む余地はありません。全力で相手を叩きのめす気魄が必要です。
 前回もそうだったのですが、今回もぼくは必殺技を用意しました。それは「仔牛腎臓のローストとタラの白子のパンケーキ」。

 これは北海道の河原正典シェフが、地元のイタリアンの鈴木シェフと、自店の「メランジェ」で開催したコラボで出した料理が元になっています。この料理はぼくにとっては衝撃的な一品でした。家畜と魚類の内臓を一皿に盛る、というのは前代未聞ではないか、と思ったのです。そして、自分ならどうするかと考えたとき、すごく難しいと感じました。
 二つの料理をただ単に一つの皿に盛る、というのならさほど難しくはありません。でも、それぞれが連結して、皿の上にある全てを一緒に食べたときに全く別の次元に食べ手を誘う、というぼくの理想論に照らし合わせると、その実現には途方もない工程が必要になると思えました。
 そもそも、この二つを結びつける必然性もないし、蓋然性も乏しいのです。組み合わせそのものがすでに常軌を逸している。平たく言えば、「そんなことしなくていい」部類の料理なのです。でも、だからこそやってみたい。
 まったく結びつかない素材同士の接着剤には何をつかえばいいのか、緩衝材を何にするか、バランスはとれているか、縦横の強度に問題はないか、そして、円は閉じているか。それはまるで設計図です。頭のなかで建物を完成させていく感じです。そして、フェア開催の2時間前になって、ようやく完成。
 とはいうものの、素材そのものに抵抗のある方には、この料理はまったく無用の長物です。だから事前にコース内容を公開し、当日もメニューを印刷してお渡しし、食材の変更にはお応えするつもりだったのですが、残念ながら、二日間で3名の方の料理がほぼ手付かずで戻ってきました。そのことに関しては申し訳なく思っているのですが、結果的には好評でした。挑んでよかった、今ぼくはそう思っています。

 どなたかの著作の孫引きですが、「一色しかないなら、それは色ではない」という言葉が記憶に残っています。人の性癖を色にたとえるなら、ぼくや横山シェフは、料理界ではすこし色合いの違うタイプなのでしょう。でも、そういう異なった色がなければ、この世に色はなくなってしまう。それは寂しいことだし、なにより自然の摂理に反しています。この世界は、色があってはじめて世界として成り立つのだから。
 だからぼく達は、自分達の個性をより一層、鮮明にすべきなのでしょう。それがぼく達の役割かもしれないから。

 ぼく自身、オーナーシェフになって26年がたちました。そんなに長い間やってこれたのは、ぼくがあきらめずに自分の役割を果たそうとしてきたからではないかと思ったりもします。この線より後ろにさがったら、自分は終わってしまう、そう思って踏ん張ってきました。でも、例えば水鳥がじっとしているように見えて実は水面下で水かきのついた脚を絶えず動かしているように、ぼくはずっと足掻いてきたのです。ぼくは止まらない、ずっと足掻きつづけて踏みとどまりたい。だから、ぼくは若い料理人達の料理に触れ、敬意をはらってその話に耳を傾け、専門書も読みネットでも検索し、ときには今回のようにコラボをするのです。そして、そのときにこころのどこかに小波が立ったら、ぼくはその原因を調べ、検証し、自分の持つ引き出しを次々開けて思考し、再構築します。いつか、足掻いた足の後ろに土が溜まり、それを踏み台にして自分自身がさらに一歩前に出る、そんな日を夢見て。

 フェア当日は、横山シェフのお店のかつての常連さんたちが集って、サーヴィスを務めてくれた横山千晴さんとの話が盛り上がり、みんなとても楽しそうでした。またやってね、その声がある限り、ぼくは彼等とのコラボを続けようと思います。そして、その度ごとに挑めるとするなら、ぼくは横山夫妻と当日来て下さったすべてのお客様にこころからの感謝の言葉を伝えなければなりません。ぼくはあなたたちから勇気をわけてもらいました、と。
 来年も、ぼくは足掻き続けようと思います。そして、最後まで踏みとどまるつもりです。これが、今年最後のぼくのメッセージです。どうかみなさん、来年もよろしくお願いいたします。
 
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