ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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蟻の誘惑

 これまでと重複する内容になるとは思うのですが、まず自分のことを書きます。

 ぼくが大阪の豊中市というところで自分のレストランを構えたのは、26年前です。とにかく無我夢中で走り始めました。だれもやったことのないフランス料理をやりたい、そんな衝動がぼくを突き動かしていた。温かいものを冷たく、冷たいものを温かく、デザートみたいな料理、料理みたいなデザート、魚料理の手法で肉料理、あるいはその逆。アイデアが息苦しいほど湧いてきて、厨房のカレンダーはいつもぼくのメモで埋まっていました。「実験料理」。評論家の山本益博氏が、当時のぼくの料理をそう表現されてましたが、本当にそんな感じの毎日だった。そして、それが受けたのです。ぼくはいきなり時代の寵児になりました。取材がどんどん押し寄せてくる。期待に応えようと、ぼくはあの手この手で攻める。そんな状態が5年くらい続きました。でも、一人の能力には限界があります。段々アイデアがつき始めます。やがて、ぼくは立ち止まらざるを得なくなった。それ以上進めなくなったのです。でも、声が聞こえるのです。「さあ、次ぎは何をやってくれますか?」。
 やろうとすれば出来なくはない、でも、これ以上進むと、それは誰も理解できないものになってしまう。果たして、それが料理と言えるのか?人を驚かせることはできる。面白がってもらうこともできる、でも、それが自分の望んでいたことなのか?
 もう一度、料理の原点に戻ろうとぼくは思いました。やっぱりぼくは、おいしい料理を作りたい。人が素直に笑顔になって、喜んでくれる料理が作りたい。でも、うまく戻れないのです。何かがずれてしまっている。時を同じくして、世間のぼくに対する論調が変化し始めました。曰く、「ミチノの才能は尽きた」、あるいは、「ミチノの時代は終わった」。気がつくと、10年の歳月が流れていました。
 それから10年。ぼくが生き延びてこれたのは、家族がいてくれたからです。家族のためにも、このままでは終われない、その執念がぼくを支えてきたのだと思います。そして、大阪市内に店を移して6年。ぼくはやっと自分を取り戻しつつあります。

 前置きが随分長くなりましたが、やっと本題です。今話題のNOMAについて。
 ぼくはNOMAに行っていません。なのに、どうのこうの言うのはおかしいと自分でも思います。でも、行きたいという気にならない。問題はそこなのです。だから、これから書くことはあくまでぼく個人の感想にすぎません。それを前提にして書き進めたいと思います。
 NOMAの料理本は、出版される前にイギリスのPHAIDONに予約注文し、購入しました。手にして、ぼくは深く感動しました。北欧の過酷な冷たさ、ぬくもりの大切さ、そのようなものが料理を通じて伝わってきたから。風土が生み出す料理はこんなにも美しいのか、と思ったのです。翻って、NOMAが現在東京で展開している料理・・・
 先に登場した山本益博氏が、NOMAのシェフについて、こういう風に書いておられました。「地球を外から眺める宇宙飛行士の料理人」。ぼくは深く首肯せざるを得ませんでした。
 宇宙食を口にして、ラベルを読んで、そういえばそんな味だ、そんな感覚。

 食品加工、ということに関しては、日本の技術は素晴らしいと思います。例えば、マイクロソフト元CTOが書いた「MODERNIST CUISINE」という料理本には、日本企業の食品添加物がけっこう頻繁に登場します。ぼく達の想像をはるかに超える技術が、現在進行形で進められているのです。でも、その土台にあるのは、あくまで人間本来のもつ感覚であろうと思うのです。すなわち、美味しいという記憶。味だけではなく、形や香り、あるいは食感や温度。でも、宇宙船のなかで料理するのは難しいだろうから、宇宙食を開発する。それはあくまで科学技術であるとぼくは考えます。さまざまな困難を克服し、人間の生存を可能とする技術。それはレストランで口にするものとは根本的に異なっているのではないでしょうか。
 ぼくがかつて懊悩し、ここから進んではいけないと考えた一線を越えた料理、それが東京のNOMAの料理であるようにぼくには思えてなりません。もちろん、ぼくに才能がなかったから、そこより先に進めなかったということはあるのでしょうが、では現在のNOMAの料理にどんな未来があるというのか、ぼくには想像もつきません。そして、世界のベストレストラン1位という栄光が何時まで続くのかも。
 果たして勝者は誰なのか、敗者はだれなのか。次に続くのはどこのだれなのか。そこに見られるのは資本主義の原理だけ、であるならば、レストランの料理はすべて宇宙食化していくような気がします。

 岐路に立って判断を迫られる、それは一つの道を究めようとするならば、必ずぶち当たる壁だと思います。例えばコペンハーゲンに留まるか、東京に進出するか。
 ぼく自身はそこで立ち止まりました。そして長い間、その場所で苦しみました。でも気付いたのです。道は分かれてなんかいない。最初から一つしかない。それは、自分の仕事が人を元気にする、人を喜ばせる、ただそれだけで良い、ということ。そのためだけに、自分の全てを投げ打つ、ということ。

 ぼくは蟻の誘惑には惑わされません。それが、東京のNOMAに行きたくない理由です。

 最後に、今とても気に入っているアメリカの詩人、エマーソンの言葉を引用して終わろうと思います。「Success」(成功とはなにか)の最後の文章です。

   そして、たった一人でもいいから、あなたが生きていてくれてよかったと
   思ってくれる人がいるということを知ること
   それが出来たら、人生は成功だったといえる。
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by chefmessage | 2015-02-25 17:46

マダムのこと

 ある日のこと。マダム(ぼくの奥さんです)が予約の電話を受けていたときに、こう言っているのを耳にしたのです。「ご結婚記念日のご会食ですか。よろしいですねえ。」。ぼくはその時突然、自分達の結婚記念日がいつなのか知らないということに気づきました。そして、少しうろたえました。人の結婚記念日のお祝いを何十回、何百回としてきた自分達が、それを一度もしたことがないというのはいかんのではないか。しかし、かといって、それがいつだったかなんて今更ながら聞けません。ちょっとおそろしい。
 そこで一計を案じて、うちのスーシェフ(副料理長)にお願いすることにしました。「なあ、それとなく結婚記念日がいつやったかマダムに聞いてくれへんか。」。
 うちのスーシェフは在職6年目にして、いまや片腕と呼んでも差し支えない有能な女性なのですが、ときに冷淡な物言いをするのが玉に瑕です。「そういうことは自分で聞いてください。」と、にこりともせず一言でバッサリ。
 そのとき何を着ていたか思い出そうとしました。そうすれば少なくとも季節くらいはわかるだろうし。で、多分秋だったな、と見当をつけて、そこから適当な月を選んで。そして、さりげなさを装ってマダムに聞きました。「オレ達の結婚記念日って10月やったよな。」。
 マダムは案の定、ちょっと視線を斜め下あたりに向けて、今更何よ、という感じで「そうだよ。」と言います。よしマグレが当たった、ここで一気に攻めないかん、ということで、これも当てずっぽうで「20日やったな」と言うと、「違います」。「あ、19日か」。「違います」。「そうや18日や」。そこでマダム、無言。やっとわかったわ。ほっと胸をなでおろしたその日は10月19日、時すでに遅しかなと思いましたが、すかさず予定を聞いてレストランに予約を入れました。結婚記念日だから、と申し添えて。

 当日はクッキングスクールの講師の仕事があったのですが、12時過ぎには終ります。ぼくは終了後、ちょっとおしゃれしてそのレストランへ向かいました。
 「ラ・シーム」の料理は相変わらず絶好調、そしてデザートになりました。お皿に、おめでとうのメッセージが書かれています。シェフの高田くんも厨房から出てきて、テーブルの横でニコニコしながら拍手してくれます。ぼくも照れ笑いしながら、マダムの方に向かって手を叩いています。なんだかオレ、すごくいい人みたい。でも、まったくそうではないことを不意に悟った出来事が数日前にあったのです。それは、ひとりで帰宅していたときのこと。

 ぼくは、毎朝仕入れに行く必要上いつも自動車通勤なのですが、その車には4枚のCDしかつんでいません。ポール・マッカートニーが1枚、寺井尚子が1枚、陽水が2枚。それらを気分でローテーションして聞いていますが、その時は陽水でした。曲は「嘘つきダイアモンド」。この曲は何年くらいにリリースされたんだろうと、ぼくは考えはじめました。1995年くらいだったか、そのころ何があったんだろう、あ、地震や、そうや地震、たいへんやったなあ、でも、うちの奥さんはそのときインドに行ってたんや、あれ?その翌年から一緒に暮らし始めたから、おいちょっと待てよ、もう19年になるのか?そんなに長い間一緒にいるのか、しまった!
 なにがしまったのかよくわからないけれど、ぼくはその時、そう思ったのです。突然、若かった頃の彼女の顔が思い浮かびました。そして、結婚式のときの和装姿、初めての子供を妊娠したときのうれしそうな顔、それから次々と子供が産まれ、一人を背負い、二人を自転車の前後ろに乗せて走っている姿、そして現在の顔。
 それに比べて、オレは今まで何をしてきたのだろう。
 実はマダムのお誕生日すらうろ覚えで、3人の子供の生年月日もよく覚えていません。自分では苦労してきたつもりだけど、本当は仕事にかこつけて自分のことばかりしてきたような気がします。でも、マダムはどうでしょう。朝早くから起きて子供達のお弁当を作り、朝ごはんを食べさせて学校へ行かせます。洗濯して掃除して、それから一人で店へ行ってデザートの仕込みをして、営業時間にはサーヴィスの仕事をして、また仕込みをして午後4時くらいに帰宅します。途中で買い物して、晩御飯作って、子供達の面倒をみて。夜の営業が忙しいときには、居残りです。定休日は、デザートの本を見て、わからないことはネットで検索し、新しいデザートを考え、デパートでデザート関連の催事があるときにはそれにも出かけて。そういえば、認定試験合格した、れっきとしたソムリエールでもあるなあ、そんなこと考えていると、不意に哀しみみたいなものが押し寄せてきて、ぼくは車のハンドルをきつく握り締めたのでした。

 罪滅ぼしというにはあまりにささやかすぎる、自分は決していい人なんかじゃないな、ぼくはラ・シームでそう思っていたのです。それにしても、19年目で初めての結婚記念日のお祝いというのはあまりに遅すぎやしませんか、旦那。でも、ちょっとだけいいこともしたような。少しだけほっとしたような。

 よく、「もし生まれ変わったら、今と同じ配偶者とまた一緒になりたいか」という質問を耳にすることがあります。それを思い出しては一人で考えることがあります。ぼくにとっては、彼女と結婚できたことは人生最大の幸運だと思っているから是非に、とは思うけれども、彼女はどうだろうか。
 冷静に考えると、彼女はもっと幸せになってしかるべきだろうと思えてなりません。なにより、ぼくは甲斐性がなさすぎます。だから、次がもしあるならば、ぼくとは出会わないほうがよいのではないだろうか。でも、そんなことは考えても仕方がない。ぼく達にとっては、すくなくとも今が大切なのだから。

 1月のマダムのお誕生日も食事に行きました。実はそれも第一回目。でも、これからは少なくとも年に二回、結婚記念日と彼女のお誕生日にはお祝いをしようと思っています。I-phoneに、子供達の生年月日とともにメモしておいたから。

 ぼくは多分、逝く時に何も残してあげれないでしょう。それが今更ながら悔やまれてならないのですが、だからぼくはせめて彼女に、そして子供達に誇りに思ってもらえるよう、最後まで真っ当な人生を歩んでやろうと思います。
 
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by chefmessage | 2015-02-01 14:39