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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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緊張と緩和

おれは、おれと闘っているのか。

いや、そんなことをどれだけ考えたって、そのことに意味はない。

意味があるのは、闘うことだ。

闘い続けることだ。

夢枕 獏 「新・飢狼伝 巻ノ二」



先日、日銀の白川総裁が食事に来られました。常連のお客様に白川総裁と高校で同級生だった方がおられて、ご会食の場にうちの店を選んでくださったのです。当日、エスコート役の読売新聞社の方から、総裁は皆さんより10分遅れで到着されるからよろしく、とお電話がありました。そして、「緊張することはありませんよ、普通の方ですから。」と付け加えられました。なんせ日本の金融界の頂点におられる方のご来店ですから、緊張するなと言われてもなあ、とちょっと困惑したのですが、でも、メニューの内容はすでに決まっているし準備もできていたから、むしろ大切なのは、いかに普段通り仕事をこなすか、ということではないかと思ったのです。
 こういうことをお話すると驚かれる方が多いのですが、毎回、営業時間前は緊張します。シェフと呼ばれるようになって随分時がたちましたが、それは当初からかわっていません。お客様の期待に応える仕事ができるかどうか、不安でいつも落ち着かない。もちろん食事が始まってしまえば、そんな不安は吹き飛んで、とにかく全力で走り抜けることだけを考えるようになるのですが。
 言い換えれば、ぼくは緊張なしに仕事を始めたことはありません。同じく、どなたに対しても、その日できる最高の仕事をしようとしています。それがぼくの普段の仕事だから。それ以上もなければ、それ以下もありません。どなたであろうと、ぼくは全力でなすべきことをなすだけです。
 自分との闘い以外のなにものでもないと思います。時に、体力に気力が追いつかないことがあります。疲れてしまって、もういやだと思うことがあります。でも、扉一枚隔てた向こう側でお客様がぼくの料理を待っているのだと思うと、投げ出すわけにはいかんだろうと自分に言い聞かせます。まだやれる、まだ行ける、だってお前はミチノだろう?
 才能というのは結果論だと、昔ぼくの友人が言っていました。やってみなければわからない。そして、ぼくは今、思います。どうやら、自分には才能があったみたいだ。なぜなら、ぼくはいまだに投げ出すことなく、同じ場所にとどまって闘い続けている。
 なんとか、その夜もぼくはいい仕事をすることができたようです。お帰りのとき、白川総裁に名刺を出してご挨拶すると、間髪を入れずといったタイミングで総裁も名刺をくださいました。そして、「道野さん、」といきなり名前を呼んでおっしゃいました。「いや、とてもおいしかったです。また来ます。ありがとう。」。
 大変な時期だというのに、笑顔を絶やさず、周囲を和やかな雰囲気にさせるお人柄は、まさに高潔という言葉がふさわしいと思いました。
 ほら、一所懸命頑張ったらええこともあるやん。張り詰めていた気持ちが緩和して、ちょっといい気分になれた夜でした。それに、店の出入り口付近に止めた車のなかで、屈強なSPふたりが人通りに目をひからせている場面なんて映画みたいで、ちょっと楽しかったしね。


緊張と緩和_d0163718_1347884.jpg
# by chefmessage | 2011-11-08 13:55
 大阪の商工会議所が主催する、プロの料理人対象の「大阪 食のグランプリ」という行事があって、今年は2回目なのですが、それに応募しました。和・洋・中華・菓子という4部門で優秀な作品(料理)を選び、まずそれぞれの部門賞を決め、それから総合のグランプリを選ぶ、という催しです。予選というのはレシピと出来上がり写真での選考。本選は実技です。
 で、先に結果を書きます。ぼくの料理は佳作(次点)でした。予選落ちで本選には出場出来ず。本人としては結構真面目に取り組んだつもりだったので、最初は呆然、その後、苦笑い。そうか、オレの料理はレシピと写真で判断すると佳作なんや。現場で実際に作って、審査員の皆さんに食べてもらって、そのときに勝負が決まると思っていたから、その前に落とされるなんて実は想像していませんでした。がっかりやなあ。
 で、こんな話を思い出しました。
 昔、ハリウッドかどこかでチャップリンのそっくりさん大会があったそうです。例の、山高帽、よれよれスーツ、ちょび髭にドタ靴姿の人たちが世界中から集まった。そして入賞者が決まっていざ表彰ということになったとき、実は本物のチャップリンが参加していたことがわかりました。その人は、なんと3位だった

 料理は食べてもらって、はじめて意味があります。その結果、人をがっかりもさせるし、感動もさせることができます。でも、お店をやっているなら、まずお客様に来ていただかなければ話にならない。だから、食べログで高得点の店になりたいという気持ちはよくわかるし、ミシュランの星を獲得したいと熱望することは他人事とは思えません。残念ながら実際問題として、それが集客数の目安になっているのだから。
 でも、前回も書きましたが、それが目的となることには賛成できません。すくなくともぼく自身には、そんな余裕はありません。今日のお客様をどれだけ幸せにできるか、どれだけ元気づけることができるか、それで精一杯だから。善をもって力の限りつくす、今はそれしかないから。  でも、そのような毎日を送っていると、自分の仕事が、これまでよりよくなっているという手ごたえがあります。確実に落ちていく体力に反比例するかのように、まるで残った時間を愛おしむかのように、ぼくの料理はおいしくなっている。失敗して時間を無駄にしたくないから、丁寧で精緻な仕事をこころがけていることもあるのでしょう。このまま最後まで走ろうぜ、と魂がささやきます。応、と肉体が言います。たとえ人には3位にしか見えなくとも、本物の自分を見つけて、自分の存在を肯定しよう。 
 だから、今回佳作に選んでくださった方々には、残念賞を差し上げます。タダでミチノのおいしい料理を食べれたのに残念でした、って、これはやっぱり負け惜しみですかね。

 
敗戦の弁、あるいは本物とは何か、ということについて。_d0163718_19364998.jpg

# by chefmessage | 2011-11-01 19:45
うちの店のマネージャー、原 光(はら ひかる)が遅ればせながらソムリエ試験に合格したので、お祝いに、御影ジュエンヌに食事に行ってきました。前回のメッセージに書いた、大川センパイのお店です。
 当日、ぼくたちが席に着いた時間には、もう店内は満席状態。ランチタイムはいつもそんな感じみたいで、お昼にお客様が来ない店のオーナーとしては、まことにうらやましい。さてさて、飲み物が運ばれてきて、食事が始まりました。
 最初に赤ピーマンのムースが出てきました。いまや古典になった「ランブロワジー」の名作です。次にやってきたのは、例の、海の幸のサラダです。これには毎回、打ちのめされます。きれいでおいしくてボリュームもある。まいりました。
 続いてフォアグラと魚料理はマナガツオ。炭火で焼いたマナガツオはふっくらとしておいしい。メインはチョイスで、ぼくはマダムと二人で白金豚のロースト。その後、デザートが3品でて、コーヒー。
 食後、センパイと雑談。早速、サラダについて質問しました。「あれの仕込みは何時から始めるの?」。というのも、盛ることは慣れればそれほど難しいとはおもわないけれど、準備が大変だろうと想像したからです。答えは、「朝の7時半から」。そうでないと、その日のランチ分が間に合わないそうです。
 ジュエンヌはきっちり満席でも16席です。なのに調理のスタッフはシェフ以外に4人!多分、全員でとりかかるのでしょう。「サラダをやらなかったら、うちの仕込みは激減すると思います。」とセンパイは言います。だから一度、人手が足らないときにサラダをやめたことがあったそうです。そのときのお客様のブーイングはすごかったらしい。あれがないのなら来なかった、とまで言われた、とマダムも苦笑していました。
 料理人の立場からすると、同じ料理を多少の違いはあれ、来る日も来る日も作り続けるのはけっして面白いことではありません。でも、ぼくは思うのです。それがあれば逆にお客様を呼べる、そのような一品を作り上げた、そのことは素晴らしい。
 よく観察すると、構成するアイテムは、ぼくが始めて出会ったころからさほど変化はしていません。旬の野菜が入れ替わるくらいでしょうか。でも、その図柄は時に応じて変わっています。食器も変えています。最新こそ最善、になっています。そこに、センパイのたゆまぬ努力が現れていると思います。
 だから、今話題のミシュランバブルなレストランの名前を出して、それの追随ですか、という言われ方をすると、センパイのそれでなくとも怖い顔がもっと険しくなる、というマダムの言葉には大いに肯けます。
 大川センパイの料理は、自分をことさら大きくみせるために作り上げた料理とは根本的に違うものだと、ぼくも思います。
 こういう例えが適切かも知れません。機能を突き詰めていった結果、美しく見えるものと、最初から美しいと思われるであろうデザインだけを目指して、結果的に使いにくいものになってしまったものとの差。
 あるいは、研究に打ち込んだ結果与えられたノーベル賞と、ノーベル賞を取るためにする研究の違い。
 今年、念願のミシュランの星を取ったあるレストランが、仲間を集めて盛大なパーティーをやった、という話を聞きました。そんなことで喜ぶより、もっと人に喜んでもらえる仕事ができる人間になったほうがいい、なんてことを言うから、ぼくはミシュランには縁がないのでしょう。
 別れ際に、大川くんいくつになった?と聞いたら、51歳という返事。若いなあ、とぼくが呟くと、そんなこと言うのミチノさんだけやわ、と大川マダムに笑われました。
 でも、ぼくたちはわかっています。いくつになっても、目指す場所は同じだと。
見た目は絢爛、でも細部はしょぼい、この歳になると意地でもそんな仕事はしたくない。それよりもむしろ、口にしたとき、すでに心を揺らす料理を作りつづけたい。昨日より今日、そして望むべくは明日はもっと。
 ミチノさん、後を付いていきますから、とセンパイが言います。うん、まかしといて、と答えます。空を仰ぐとうろこ雲が見えました。もう秋なんや。
 ふいに思いました。オレはまだまだやれるで。心がここちよくゆれています。
 
 
 
# by chefmessage | 2011-10-25 20:10