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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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今、ぼく達に出来ること

阪神大震災のときのことです。今もぼくが所属している千里飲食会が当時、交代で被災地に炊き出しに行っていたのですが、理事さんの一人がある日、ぼくにこんなことを仰いました。「ミチノさんのところはフランス料理やから、炊き出しは難しいよね。」。その時、その言葉を聞いてぼくは即答しました。「できます。させてください。」。
 震災当日、ぼくの店は定休日だったのですが、激しい揺れと家具が倒れる音で飛び起きたぼくは、家の事はさておき、とりあえず店の様子を見に行きました。店のあるマンションの外壁の一部は崩れ、タイルの部分にたくさんひび割れができています。恐る恐る店の扉を開けると、濃厚なワインの匂いがします。「あ、やられた。」。ワイン庫に向かうと、扉の外にまでワインが流れ出ています。通路をはさんだ両側のラックに寝かせてあったワインの相当数がすべり落ちて、通路はさながらワインの川でした。でも、それ以外は皿やグラスが何個か割れていただけ。幸い、ライフラインはすべて生きていたので、翌日からの営業にはそれほど支障はありませんでした。
 でも、これでいいのか、と心苦しかった。こんなときに、何もできない自分の職種が疑問でしかたなかった。だからぼくは炊き出しの要請にすぐに応じようとしたのです。
 行く先は東灘のクリスチャンセンターでした。千里中央の中華のお店から提供を受けた10キロのジャガイモをピューレにし、マスタードソース、店で焼き上げた20キロのローストポークを湯で温めれば食べれるようにそれぞれ真空パックにし、池田のイタリアンのお店から託された自家製パンを持って。
 被災地にいたるまでの光景と、被災地周辺の様子は今でも語るのが辛い。何度か通いました。それくらいで、何かをしたつもりにはならなかったけれど、何もしないではいられませんでした。
 昨日、東北地方太平洋沖地震がおきました。テレビに流れる各地の映像を見ていて、寝たのは朝方でした。そのせいだけではないのでしょうが、今日は仕事をしていても体に力が入りません。ふわふわと漂っているような感じです。そして、ずっと考えています。何かできることはないだろうか、と。
 場所が遠いし、広範囲に被害が出ているので、前のように炊き出しに行くのは困難です。だったら他にできることは。思いつくのは義援金をしかるべき機関に送ることくらいでしょう。でも、それなら送れる金額は些少でしかない。
 では、お客様にも協力していただく、というのはどうだろうか。というのも、阪神大震災のとき、来られたお客様が、「こんなおいしいもの食べている場合ではないんやろうけどね。」と仰っていたのを思い出したからです。
 本来、美味しいものを食べることと災害とは何の因果関係もないと思います。でも、そう仰ったお客様の気持ちもわからないではありません。だったら、協力していただくことは悪いことではないのではないか。
 そんなことを考えて、マダムやスタッフと話し合いました。その結果、なにかお持ち帰りできるものを作って買っていただき、その売り上げを全額義援金として日本赤十字社に送ろうということになりました。
 一日でも早く始めたかったので、作りなれたクミン風味の金平糖を小さな袋に詰めて¥210で並べることにしました。ポップを作る時間がなかったので張り紙はぼくの手書きです。そしてとりあえず並べたところ、これが昼の営業時間だけで完売!気持ちが少しあたたかくなりました。
 
 そんなことくらいで何かしたような気になるなよ、そんな声が聞こえてくるようです。こんなことやってます、と公開すれば、ネットでああだこうだと書かれるのが関の山でしょう。でも、何もしないではいられません。
 あの圧倒的であまりに理不尽な破壊の光景と、悲痛な叫び、沈鬱な表情、嘆きと悲しみの前で、ぼくたち一人ひとりに出来る事はあまりに小さく無力でしかありません。でも、自分にできることをやり続けたら、寸断された道路が1ミリずつでも修復されるかもしれません。随所にあふれている瓦礫をひとつでも取り除く手助けになるかもしれないし、破れた魚網を繕う何センチかの糸くらいにはなるかもしれない。あるいは、荒廃した田畑に蒔く種一粒でも提供できるかもしれません。そして、避難所の学校で「怖い!」と言って片寄せあって泣いていた子供達に絵本の1冊もプレゼントできたなら。それだけでもいいと思うのです。それをみんなで続けられたなら。

 なんだか今回はけっこう支離滅裂な文章です。やはり動転しているみたいです。でも。
店で食事した後、ぼくの手書きのポップが目に留まったら、金平糖一袋、買ってください。

 
 
 
 
# by chefmessage | 2011-03-13 22:53

答を探して

空はまだ見えないか 星はまだ見えないか
振り仰ぎ 振り仰ぎ その都度こけながら  
(中島みゆき)

 シェフと呼ばれるようになって以来一番たくさんされた質問は、「同志社大学の神学部を卒業したのに何故料理人になったのですか?」というもので、それについては何度か書いたことがあるので重複するところがあるかもしれませんが、もう一度書こうと思います。
 そもそもぼくが入学する以前は、神学部の入学試験を受ける際には所属する教会の牧師の推薦状が必要でした。つまり、大前提として敬虔なクリスチャンであることが必須条件であったわけです。それが、60~70年代にかけての学生運動の成果(?)としてなくなり、神学部も一般生徒とかわらない条件で入試が受けれるようになりました。それに伴い募集数も増加し、いわば一種閉鎖的であった学部の門戸が解放されることになったのです。その一回目がたまたまぼくの入試試験の年度でした。
 だから、今回は合格しやすいのではないか、と考えた人間も多数いたようです(ぼくもその一人でした。)。ただ、結果的には受験者数も増えたので、合格の倍率はかえって高くなったのですが、実際、そうして神学部に合格して、二年次に他の学部に移った生徒もたくさんいました。
 そんな年だったので、少ない生徒数ながら色んな人物がいて楽しかった。けっこう自由な雰囲気だったと思います。
 けれども基本的にはキリスト教布教の人材を養成するのが目的の学部ですから、卒業後の進路としてはまず教会の牧師、あるいはキリスト教系の学校の教師、というのが大多数を占めます。だからぼくも四回生になったとき、悩みました。牧師か、教師か。
 でも、そのどちらにも自信がありませんでした。ほんとにおれに出来るのか?
 いずれにしても語る仕事です。それは問題はないかもしれません。母親に、「男のしゃべりはみっともない。」と常々言われる子供だったので。でも、おれに語る資格なんてあるのだろうか。ましてや、人を導いていいものなのか。
 なんか胡散臭いよな、というのが本音でした。それより、もっと確かな仕事の方がいいのではないか。
 というようなことを考えていたとき、たまたま、当時お付き合いをしていた女性と彼女のバイト先のレストランに食事に行くことになりました。そこで生まれて初めてフランス料理なるものを食したのでありますが、正直、おいしかったのかどうかわかりませんでした。なんかややこしい食い物やなあ。
 食後、シェフが出てきてくださったので、何気なく、「こんな職業もいいですね。」と言ったところ、即座に「やめとき。」と言われました。「この仕事は、わしが白やと言ったら、大卒の君が黒やと思っても通りません。理不尽な世界やからきっと辛抱できひん。そやからやめとき。」。そのとき、これや、と理不尽にも思ってしまったのです。そんな世界で一人前になれたら、自分は他人に対して胸を張って言えるのではないか。人間、やりたいことやればいい、と。
 そして卒業後そのレストラン、京都市北区の「ボルドー」に無理を言って就職させてもらいました。なにしろつてはそこにしかなかったから。今でも、そのお店の大溝隆夫シェフには本当にご迷惑をおかけしたと思います。なにしろぼくは林檎の皮もむけなかったから。 あれから30数年、シェフと呼ばれるようになって21年たちました。一応、目標には到達したわけですが、だったら胸を張って人に自慢できるかというと、これがそうでもないんだなあ。
 自分は道を間違えたのではないか、そう思ったことは何度もあるし、世の中に必要とされていないのではないかと、これは今も時々思います。なんや、全然進歩してないやん。
 料理人になった根拠は説明できるのですが、結果はまだ先送りです。でも、ひとつだけ言えることは、自分は料理人としてこの人生を全うするであろうということです。そして、多分、後悔はしないでしょう。
 
 今朝、郵便受けに一通のハガキが入っていました。そこには、北浜のフレンチの名店「ラ・クロッシュ」が今月の26日で閉店すると書いてありました。
 ぼくはこのお店に一度も足を運んだことがありません。食事に行ったマダムの話を聞いたとき、行くまい、とこころに決めたからです。それは何故か。ぼくは羨ましかったのです。周りにはたくさん人が歩いててね、窓から川が見えてね、とっても綺麗なお店だった。
 そんなところに店を持ちたい、ぼくはほんとうにそう思いました。当時、ぼくの店は成績が芳しくなく、苦しんでいたのでよけいそう思ったのでしょう。そうして、羨ましがるであろう自分が許せなかった。だから平常心で行けるようになるまで我慢しようと。
 なんだか、自分のことのように辛い気持ちです。勿論、オーナーシェフの川田さんはもっと辛いだろうけれど、ぼくも人事とは思えません。おれがこんなに頑張っているのに先に白旗あげるなよ。おれの憧れの店をたたむなよ。
 でも、答はまだ先送りです。彼とはきっとまた会える。同じ土俵で、お互いを称えあえる日がきっと来る。

 随分遠くまで来たような気がします。でも、それが昨日のことのようにも思えます。
 本当は、何故料理人になったのか、まだ答を見つけていないのかもしれません。だから、川田さん、その答を見つけに行こうぜ!





 


 
# by chefmessage | 2011-02-22 20:46

傘がない

毎年のことですが、元旦は自宅で一人で過ごします。家族はマダムの実家に帰省中。ぼくは31日まで店にいて、2日から仕込みをしないといけないので、いつごろからかそういう習慣になりました。朝から晩まで、この日だけは一歩も家から出ずに本を読んだり、借りてきたDVD見たり、音楽聴いたり。その合間に食べて飲んでお風呂に入って。
 ぼくたちの仕事は常に食べ手を意識しながら進めていくものなので、基本的にひとりぼっちになることはありません。それに、職場を離れても、いつもどこかで料理のことを考え続けています。常時、アンテナが開きっぱなし、みたいな感じでしょうか。だからぼくにとって元旦の孤独は、年に一度のオフ日という得がたい一日なのです。
 で、ちょっと動画でも観るかとパソコンを立ち上げて、まずはYouTubeでUAの「買い物ブギ」のライブを。なんか違うなあ、という感じだったので「数えたりない夜の足音」へ。そうそう、こうでなくっちゃ。次に井上陽水の「傘がない」UAバージョンを。これがなかなか良かったので、それでは久しぶりに本家を聞くか、ということで井上陽水の「傘がない」を。
 これが結構たくさんあったので、ベストテイクとサブタイトルのあるどこかの女子大でのライブ版にしました。久しぶりにみる陽水さん、けっこうおじさんです。でも、歌いだしからバキンと声が出ています。思わず引き込まれます。聞きほれているうちに間奏。ここでぼくは感動的な場面に出くわしました。歌っている途中で感情が激したのでしょうか、陽水の肩から喉にグッと力が入って、次に歯を噛み締め、出てくる息を留めようとするかのように一瞬頬を膨らませます。まるで泣き出したいのをこらえているかのようです。おい大丈夫?でも、その一瞬の後、彼は最後までハイテンションのまま歌い終えます。
 「傘がない」が流行ったとき、ぼくは高校生でした。だから、そうとう古い曲です。陽水本人にしてみれば、何百回どころか千回以上も歌った曲でしょう。なのに未だ、歌うときに感情が激することがあるのか。ぼくはそのことに激しく感動しました。それにもう一つ。でも彼はその感情に流されず、それをコントロールして最後まで堂々と歌いきった、ということ。プロだなあ、と思いました。
 そんなことがあって元旦は平和に過ぎ、ぼくの毎日が再び始まったのですが、正月休みの代休だった11日から13日の間に2軒のレストランに食事に行きました。ユニッソン・デ・クールとアキュイールです。いずれも若い注目株のシェフのお店です。
 福島に移転して最初のころ、若手シェフのお店に食事に行くたびに気持ちが動転しました。自分のこれまでの怠慢と勉強不足を思い知らされたような気がして。なんとか追い付きたい、そう思って必死で情報を集め、試作に試作を重ねました。でも、やるほどに迷い、自分の進む方向が見出せず辛かった。あれから1年。
 今では多少、冷静に分析することができるようになったようです。そして思ったこと。大切なのは、斬新さではなくむしろ丁寧さではないか、ということです。
 かつての自分の仕事を振り返ると、ぼくはある程度構想ができあがった段階でもうメニューに載せる、ということをやっていました。細部の煮詰めはやりながらしていけばいいか、と。でも結局完成に至らず、中途で放り出した料理がどれだけあったことか。でも、今注目されている若手達の料理は違います。細部の構図まで出来上がっていてそこから始まっている。だから、完成度の高いものが最初から並んでいます。それはもう見事なくらい。そしてそのことは多いに見習うべきだと思います。
 でも、だからといって同じ店に何度も行こうという気にはなりません。これは何故なのか。
 多分それが今の流行なんだろうと思うのですが、料理がすべて小さい。そして何品もでてきます。それでは起承転結が読めない、というか流れがつかめません。それは丁寧な文章で綴られてはいますがショートショートの連続で、長編小説ではないのです。それはそれで一つのジャンルだとは思うのですが、すべてではない。例えば、ワイン好きには好ましくないのではないかと思うのです。どの料理にどのワインを合わせればいいのか判断できない。しかたがないからその時の気分で飲みたいものを選んでも、あう料理とあわない料理がでてきてしまいます。それなら、レストランにおけるソムリエの役割とは何なのか。研鑽して積み上げてきた力量をどこで発揮すればいいのか。また、彼らとその日のワインを吟味するお客様の楽しみはなくなってしまうのか。
 奥深さに欠ける、と言ったら叱られるでしょうか。でもそれがぼくなどにはリピートに繋がらないような気がするのです。
 でも、長編小説を書くには時間がかかります。今の時代にはそれがだめなのかもしれません。すぐに結果がでないと評判にならないのかもしれない。
 ただ、評判になろうがなろうまいが、世の中には長編が好きな方もいるだろうし、それが書きたい人もいるでしょう。それなら、ぼくが書いてみようか、と。
 幸い、料理人として過ごしてきた時間の堆積はたっぷりあります。そこに埋もれているものを現代の基準にあてはまるよう蘇らせて組み上げることはそれほど難しいことではありません。あるいはそのことで新しい感情が沸き起こって、高揚するかもしれません。
 あくまで歌うのは今の自分であり、まとっているのは現代の衣装です。大切なのは、いつも瑞々しい感性を失わないことでしょう。そして、それをコントロールし、最後まで朗々と歌い上げることでしょう。
 新しい一年が始まりました。困難の中での航海であることは変わりません。けれども、海図をもとに過たず進路を見据えれば乗り切れる、そう信じて生きていくつもりです。
 「傘がない」からといって途方にくれず、君に会いに行こうと思います。
 
 
 
 
# by chefmessage | 2011-01-19 18:28