ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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料理人の日々

うちのお店ではディナーの電話予約をいただいたときに、「ご記念日を兼ねたお食事でしょうか」とお聞きするようにしています。そもそもフランス料理というものが日本では日常食ではなくて、晴れの日の食事という印象が強いため、お誕生日とか結婚記念日などのお祝い事のご利用が多いからです。だから前もってそのことがわかっていたなら、例えばデザートのお皿にメッセージを書いたり、お誕生日ならそれにロウソクも立てて、ぼくたちもいっしょにお祝いすることができます。



 ある日のこと、電話の声から察するに、やや年配の男性からディナーの予約が入りました。例によってお聞きすると、「特別なことは必要ない」とおっしゃる。「それではお待ちしております」とマネージャーは電話を切りました。しばらくして、また同じ男性から電話がかかってきました。「一緒に食事に行く人が誕生日なので、やっぱりデザートのプレートにお祝いのメッセージと、その人の名前を書いてやってください」とのこと。そして、その日がやってきました。



 想像していたよりもご年配のご夫婦でした。静かに食事を楽しんでおられます。ときどきお話をされておられますが、料理は一定のスピードで淡々と進行していきます。やがて魚料理になったのですが、そこで速度がゆるやかになった。



 うちのお店のディナーはコースのみです。全体的な分量は経験に基づいて計算していますが、食事の量には個人差があります。少ないというご意見はあまり聞かないのですが、人によっては多い場合もあります。だからマネージャーに「メイン料理の量は少なくしましょうか?」と聞いてもらうことにしました。すると、女性の方だけ少なくしてほしいとのこと。調節してお出ししました。



 デザートの前に客席に出て「量はいかがでしたか?大丈夫でしたか」とその女性にお聞きすると、「ちょうどよかった」とおっしゃっていただけたので一安心、一つ目のデザートが運ばれます。次にメインのデザート、お皿にお誕生日のメッセージとお名前が書かれているのを確認して、ロウソクを灯し、その方の前にそっと置いて、「お誕生日おめでとうございます」と声をかけました。



 びっくりしたご様子で、目を見開いておられます。それから、ご主人の方に視線を移された。ご主人は一つうなずいて、無言で微笑んでおられます。すると、奥様のお顔に笑顔が広がりました。それまでの、ちょっと物憂げな表情とはまるで別人になったかのような良い笑顔。



 食事が終わり、「お帰りです」というマネージャーの声に促されて、再び客席にでました。お二人が帰り支度をされています。奥様は足が不自由なご様子で、差し出されたご主人の腕に手を回してゆっくりと歩いてこられます。「よいお誕生日になりましたね」と声をかけました。すると奥様は立ち止まり、ぼくに右手を差し出されました。最初、何のことかわからなかった。でも、思わず握手をすると、奥様の握る力が強くなった。ぎゅっ、という感じではなくて、ふんわりと。温かい気持ちが流れ込んでくるようでした。



 ぼくたちの仕事はほんとに小さなものです。自分はもっと大きな仕事ができたのではないか、職業の選択を誤ったのではないか、いつもこころのどこかで、ぼくはそんなことを考えていました。若いころは有名になりたかったし、お金持ちにもなりたかった。でも、今のぼくは、これでいいのだと思っています。



 今日できることを悔いなくやりきること。そのことで、少しでも人を元気にすること。そんなことの繰り返しの中でぼくは、生きるということがどういうことなのかを学んできたように思います。



 これが世界の片隅の、ちっぽけな「料理人の日々」です。そしてぼくは、ずっと料理人でいようと思っています。


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# by chefmessage | 2018-10-30 19:06

 京都の川端丸太町に「ラニオン」というレストランがあります。宮野多門くんと奥さんの恭子さんがふたりで営んでいる小さなビストロです。

 この宮野くんとは不思議な縁があるようで、彼が若いころに修業した数件のお店はすべてぼくが紹介しました。「誰かいませんかねぇ」というシェフやオーナーから依頼があるときにタイミング良く「どこか人を探しているお店はありませんか?」と彼がやってくる、「では宮野、行ってみるか?」、そういうことが数年おきに何回か続きました。だから彼とはいまだに親交があります。寡黙な職人肌の男で、それを奥さんがしっかりと支えている、いかにも町のレストランといった風情で、ぼくは彼のお店がとても好きです。料理は正統派のフランス料理で、派手さはないけれどもしみじみと美味しく、シェフの人柄がよく表れている。デザートはともに調理師学校で学んだ奥さんが作っていて、サーヴィスも彼女がこなす、家庭的な落ち着いたお店です。


 話は変わりますが、その「ラニオン」とは全く対照的なお店のシェフの対談を先日聴きにいきました。大阪のミシュラン三ツ星店。お相手は、かつてそのお店で務めた経験を持つ一つ星のレストランのシェフ。けっこう辺鄙な場所で、スタートも午後の11時というのに、会場は若手の業界人でいっぱいでした。

 メインゲストのシェフはおしゃれです。いかにも高価そうな腕時計とアクセサリー。そういえば会場になったお店の駐車場に眩いスポーツカーがあったけれども、多分それもそのシェフのものなのでしょう。

 司会者が「レストランをやろうと思ったときの目的はなんでしたか?」と質問すると、「ミシュランの三ツ星をとることですね」と間髪入れずに即答。実はその時点で、ぼくは自分がアウェイだな、と思ったのです。

対談ということなのですが、ほとんどの時間は三ツ星シェフの独壇場です。成功談に交えて苦労話も挿入されます。それでなくとも狭い会場に人がぎっしりいるもんだから蒸し暑いのに、高揚感と熱気が満ちています。みんなが食い入るようにゲストの姿を見ている。ときに趣旨のよくわからない質問があるのだけれども、それにもゲストは熱心に答えている。ぼくのとなりの女性はずっとメモをとっています。この雰囲気、なにかに似ているなぁ。ひとりしらけているぼくは考えます。そして、答えを見つけてつぶやきます。「レストランビジネスってマルチ商法か?」。

 ミシュランの三ツ星をとること、それはまぎれもない成功でしょう。それにともなって来客数は爆発的に増えるだろうし、世界中から様々なオファーがくるようになる。必然的に売り上げは増し利益がでるようになります。それは、とてもいいことだと思います。それでなくとも店の規模とは関係なしに、あれもこれもとやりたいこと、やらなければならないことが常にあるような職種です。それをどんどんかなえることができる。しかし、それが究極の目的だとはぼくには思えない。それだけがレストランの成功例だとも思えない。それはごくまれな一例であって、決してすべてではない。


 「ラニオン」はどうでしょうか。

 ミシュランの調査の対象にはなりにくいような気がします。食べログの点数というのもどうなんでしょうか。それでも経営が順調ならかまわないのですが、彼らの暮らしぶりはいたって質素です。それなら、彼らは敗者なのか?


 「ラニオン」にオープン当初からずっと来られているお客様がいます。70歳をいくつか超えられた紳士で、ワインについてもお詳しいから、宮野夫妻はそのお客様とお話しするのが毎回楽しみなんだそうです。そのお客様の言葉が朝日新聞の「天声人語」に取り上げられていました。

   「多くの人が石ころだと思って見向きもしなかったものを拾い、10年、20年かけて磨き上げ、ダイヤモンドにする」。


 「ラニオン」は石ころではありません。でも、「ラニオン」の素晴らしさを発見して通い、宮野夫妻にとっては育ての親とも言える役割をその方がしてこられたとするなら、上述の言葉は双方の関係にもあてはまるのではないかと、ぼくは思います。

 これは、レストランとしての素晴らしい、そして幸せな成功例のひとつといってもよいのではないでしょうか。

 その紳士とは、今回のノーベル医学・生理学賞を受賞された本庶佑先生です。


 「ノーベル賞を取るための研究はない。研究の成果に与えられることがあるだけだ」。

ある受賞者の言葉です。


 本庶先生は、いろんなことが一段落したら、また「ラニオン」に行かれるのでしょう。そして宮野くんからお祝いのシャンパンをふるまわれることでしょう。そんな光景が目に浮かんで、ぼくもとても幸せな気分になります。そして、こころでこうつぶやきます。「宮野、キミは星ではない、ダイヤモンドだ」。


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# by chefmessage | 2018-10-04 18:38

祈り

 桐野夏生の小説「OUT」の中で、弁当屋のパート勤めをしている主人公の主婦が、自宅で風呂場のタイルの目地を磨き立てるシーンがあります。休みの日にそれをすることで気持ちが落ち着く、そんな内容でした。ぼくも、それと同じようなことをしたことがあります。10年くらい前のことでしょうか。

 多分その夜はノーゲストだったのだと思います。といっても、そのころはそういうことが多くて、一生懸命やっているつもりなんだけれども、何をやってもお客様がこない。何か取材でもあれば好転するのではないかと思っても、そんなものは都合よくきません。編集の人に問い合わせても、「ミチノさんには新しい切り口がないから難しい」という返事ばかり。かといって、いまさら違う仕事に就くこともできないし、でも家族がいるし。

 フランス料理の世界にも、実は流行り廃りがあります。それはけっこう目まぐるしい。運よく昇り詰めることができても、その地位は盤石ではありません。とくに急激に上昇すると、滑り落ちるのも早いような気がします。でも、そこで人生が終わるわけではありません。むしろそこからが長い。流行というのは恐ろしいものです。華やかな時代が過ぎてしまうと、後は何をやっても、どんな優れた仕事をしても見向きもされなくなります。過去の栄華にすがるといったものではありません。むしろ、人並みですらなくなったような気持になります。その状態が延々と続きます。

 でも、ぼくはあきらめたくなかったのです。自分の時代は終わった、もう役目はすんだのだと思い込もうとしても、自分の存在意義を失いたくなかった。祈るような気持ちで毎日を耐えていた。そんな夜。

 お風呂に入っていて、ふと足元をみるとタイルの目地に黒いところがありました。だから、ブラシで磨き始めました。裸のまんまでごしごし、端から端まで。何かしなければ自分が保てなかったのでしょう。それは、他人からすればずいぶんと奇異に見えただろうと思います。全面やり終えてシャワーで洗い流して、風呂から出たぼくは、すこし気分が楽になった。

 桐野夏生さんの描写は、だからすぐに理解ができました。どこにも持って行きようのない哀しみ、そういうものを誰もが抱えているのではないか。

 あれから10年、ぼくは今でも店をやって、料理を作っています。耐えながら、少しづつ前にでてきたのかもしれません。見捨てることなく支え続けてくれたマダム、従業員、そしてお客様のおかげもあります。でも、ぼくはまだ納得していません。ぼくはもう一度世の中に認めてもらいたいと思っています。流行り廃りなどに左右されない、一つのことをやり続けて悔いのない人生を人は送れるということを。

 懇意にしていただいている玉川奈々福さんという浪曲師がいます。彼女の折々の言葉にぼくはずいぶん薫陶を受けたのですが、なかでもこの言葉が胸に響きました。「手を抜くということを私は知らない」。「目の前に一人でもお客様がいれば、わたしは全力でその人を楽しませようとするから」。

 

 ぼくの店にはミシュランの星はありません。多分、人が気にする食べログの点数なんて大したことないだろうし、アジアのベストレストランのランキングとかにはまるで縁はないでしょう。それは仕方のないことです。ぼくはそういうもののために、どんな努力もしたことがないし、これからもしようとは思っていません。そんな流行り廃りの世界に、もうこの身を置きたくないから。ぼくはひたすら、来てくださったお客様のために料理を作ってきました。それも、自分が納得し、自信を持ってこれがぼくの料理です、と言えるものを作ってきたし、これからも、そうありたいと思っています。例え数少ないお客様であっても、ぼくは全身で朗々と歌うばかりです。

 そしてこの年齢になって、ぼくは自分の料理が、今までにないほど完成度を高めていると感じています。まるで呼吸をするようにぼくは考え、作っている。ただ残念なことに、年齢的な肉体の衰えは隠せません。それでも、最後まで全力疾走、それがぼくの願いであり、そして祈りです。


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# by chefmessage | 2018-04-21 18:37

親父の背中

 今でも不思議に思うのですが、けっして身体が丈夫ではないうちのマダムは、なぜか出産に関しては三人とも超安産でした。中でも印象に残っているのは、二人目の長女のときです。

 長男が初産だったのですが、それが短時間で済んだので、産婦人科医から「次はもっと早くなるから」と言われて、二人目を身ごもってからは常に気にかけていました。だから、産気づいたマダムをすぐに同じ病院に車で連れて行ったのですが、到着すると、夜も遅かったので看護師さんしかいません。とにかくマダムを分娩室に運び込み、前回同様立ち合い出産ということで着替えようとしていると、看護師さんが、そんなにあわてなくてもすぐには生まれませんよ、とぼくに言います。いや、前回先生に早くなると言われたからと抗弁すると、まあ、そこで座っといてください、一旦、自宅に帰ってもらうかもしれませんからと、軽くいなされました。大丈夫かな、と心配していると、案の定、看護師さんがすぐに顔をのぞかせて、「ご主人、すぐに着替えて中に入ってください」とぼくに声をかけました。あわてて用意をして分娩室に入っていくと、看護師さんが手を洗ってくださいと言います。手を洗ったらこっちに来てください。「赤ちゃんが出てきそうやからグッと押さえててくれる、助産婦さん呼んでくるから」。そして二人っきりになった分娩室で、思わず言葉がもれました。「なんでオレ、こんなことせなあかんねん」。笑っていると助産婦さん登場。それから45分で、元気な女の子が産声をあげました。ちょっとぐったりしていましたが、横たわったマダムはぼくに向かって、あろうことかVサイン。そして言いました。「楽勝だぁ」。先生をはじめ、その場にいる全員が大笑いした一夜でした。

 その子が19歳になりました。子供のころから勉強が大嫌いで、塾に行かせれば逃亡する、家でマダムが勉強させようとすれば泣く。とにかく、何かをさせようとしても嫌がるので、彼女が中学生になったときにマダムが宣言しました。あの子は生まれるときから生命力が強かった、だから信じて好きにさせる、もう何も言わない。

 高校生になってからは熱心にバイトに励んでいました。私はお小遣いもお年玉もいらない、そう言って平然としていました。そして、そのバイトで貯めたお金と奨学金で、彼女は今、専門学校に通っています。

 この頃は夜に、リビングの大テーブルで勉強している姿をよく見ます。ぼくたちが住んでいる家は古い一軒家なので、リビングが一番温かいからです。初めてその姿を見た次の日、ぼくとマダムは顔を見合わせて言いました。「あの子、勉強してたよな」。

 ぼくは帰宅するとまず食事をするのですが、そのとき勉強している彼女にこうお伺いをたてます。「横でご飯食べていいですか」。

 クリスマスには、店の皿洗いに来てくれました。23日と24日の二日間、実に根気よく仕事をしてくれました。手が空くと、ぼくたちが料理している姿をじっと見ている。これは気のせいかもしれませんが、それ以来、ちょっとだけぼくを尊敬してくれるようになったみたいです。

 今年のお正月のことです。その日は恒例の、家族で実家に行ってぼくの父と昼ご飯を食べる日。一人暮らしのぼくの父は、91歳で足が不自由ですがあいかわらず雄弁です。名古屋の大学に通っている長男も帰省して参加しているので、爺さんは上機嫌です。口の端っこにマヨネーズがついていてもかまわずしゃべりまくります。すると、長女がティッシュをとって、すっと近づいて、爺さんの口をやさしくぬぐいました。あれ、この子はこんなことが自然にできるんや、ぼくは驚きました。そして、ちょっと感動した。

 高校生のころは、家では、スマホをさわっているか寝ている姿しか見たことがなくて、本当にこの娘はどうなるんだろうかと、ぼくはイライラしたり心配したり。でも、マダムが好きにさせようというから、ぼくは黙って辛抱していました。でも、19歳になったこの頃の彼女のときおり見せる表情が、思慮深い一人の女性に見えるときがあります。そして、本当はこの子はいつも、両親や兄弟をやさしい気持ちで見ていたのだと思う。自分なりに、大切にしようとしてくれていたのだということに、愚かな父親はやっと気づいています。

 だから、これからこの娘がどんな道を歩んでいくのかずっと見守りたい、そして、自分にできることがあれば全力でそれを成し遂げたいと思うけれども、命に限りがある以上、それはできない相談でしょう。では、ぼくにできることはなんだろうか。

 人は親の背中を見て育つ、と言います。それなら、ぼくはずっと見られても恥かしくない後ろ姿で居続けよう。そして、子供たちが勇気を必要としたときに、思い出して頑張ろうという気持ちになってくれる生き方を最後までしようと思います。

 でも、長女がある日、こんなことを言ったことがあります。「お父さん、無理しなくても大丈夫だよ。子供たちを信用していいから」。そのとき、ぼくはこう言いました。「そうじゃない。子供たちを信用しているから、オレは無理をするんだよ」。

 前に向かって進む親父の背中を、押し続けてくれるのは子供たちです。励まされているのはこっちやな、と親父はそっと苦笑いです。


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# by chefmessage | 2018-03-02 20:37

終わりと始まりと。

 今年1年間は、ケータリングによく出かけました。主にお昼ですが、小さな子供さんがいたりお年寄りがおられて、誕生日などのお祝いの食事会をしたいけれどもレストランにでかけられないからお家でやりたいという依頼を受け、料理を作りに行ったのです。うちの店はスタッフが充実しているので、よほど忙しくないかぎり昼間はぼくがいなくても問題ないから、ぼくひとりが車に荷物を積み込んで出かけていきました。

 初めての場所、それも見ず知らずの方のお家で料理を作ってお出しするのですから、出かける前はけっこう不安です。道具やお皿は揃っているか、台所の広さはどうだろうか。あらかじめ電話でいろいろとお聞きしてそれなりの準備をしていくのですが、やはり想定外の出来事は起こります。それでもなんとか対処して、苦情が出たことは一度もありませんが、楽しく仕事ができるときもあれば、そうでないときもあります。でも、店の中に閉じこもっていてはわからないことをたくさん学ぶことができたし、なにより、普段は入り込むことができない人さまのお家で料理を作ることでたくさんの方とお知り合いになれたことは自分の気持ちにプラスになったと思います。

 でも、それももう来年はできなくなりました。従業員が一人退職する予定で、人の補充も難しく、営業中は店にいなければならなくなったからです。だから、12月中旬に受けた依頼が最後のケータリングになりました。

 その日の依頼は6名様。1歳のお嬢ちゃんの誕生日のお祝いです。食事のスタートは午後12時。40分前に近くのコインパーキングに車を置いて台車を出し、荷物を積み込みます。そこで電話を入れてお相手のマンションのお部屋へ。到着して準備を始めます。でも、台所に6人分のお皿を並べて料理を盛るスペースがありません。さて、どうしたものか。見回すとリビングに、子供さんが食事をするための低い折り畳み式テーブルがあります。お借りできますか?はい、どうぞ。ということで、冷蔵庫の前の隙間にそれを設置しました。そのようなことをやっていると奥様とご主人がやってきて、小声でぼくに話しかけます。実は、

 今日の出席者の一人に情緒不安定な女性がいて、とにかく思いついたことをその場でそのまま言葉にするから、もし気に障ることがあっても悪意はないから聞き流してください、と。わかりました、ということで食事のスタートです。始まってみると、とにかくぼくは仕事で精いっぱい。慣れない場所で悪戦苦闘、全部ひとりでやらなければならないし。

 一品目はポタージュです。具材をいため、牛乳の泡を作り、ちゃぶ台に皿を並べ、ひざまずいてポタージュを注ぎ。その間にパンも温めなければなりません。できあがったら運んで。

 さて、次の料理の用意をしようとしていたら、「おいしい!」という女性の大きな声。みなさん慣れている様子で、そうだね、とか相槌打ちながら楽しそうに食事しておられます。次はサーモンのキッシュとサラダ。また「おいしい!」と同じ方の声。その後を引き継ぐように奥様のお父さんが、いろんなキッシュ食べたけど、これはほんとに美味しいな、とか言っておられます。続いて魚料理、今日は天然の真鯛で、付け合わせに大根が添えてあります。お出しすると、今度はひときわ大きな声で、「この大根おいしい、こんな大根今まで食べたことない、どうやって作るんやろ、わたし大根って好きじゃなかったけど、これはおいしい、スーパーに行っても大根って買わへんけど、これからは買おう、だいたいお味噌汁でも大根が入ってたらいややったけど、こんな大根やったらいくらでも食べられる、、、」と延々と話が続きます。そして、メインの肉料理が出て。そのころになっても、まだ大根の話が続いています。やっと、「でも、お肉もおいしいなあ」。

 しばらくみなさん沈黙。やっぱり牛肉は一番人気で、食べるのに夢中、という感じです。すると、「わたし、さっきまでしんどくて横になっててん」と話が再びはじまりました。「でもな、おいしい料理食べたらすごく元気になってきた。おいしいものたべたらこんなに元気になるねんな。わたしももっと料理するようにしよう。料理ってすごいな」。

 あ、オレの料理で元気になってもらえたんや、それがとても新鮮な印象となってぼくのこころに広がりました。そうか。

 

 今、おもてなしとかホスピタリティという言葉がトレンドのようです。外国人の訪日客が年々増えているのは、そこにひかれてではないか、それならそれを分析し、もっと積極的に広げようということなのでしょう。ぼくの仕事も、その言葉が重要な意味を持つ職業です。でも、ぼく自身はすこし違う。もちろん人を喜ばせたいという気持ちはありますがそれ以上に、ぼくは自分自身のためにこの仕事をやっているように思います。

 そういう風に書くと不思議に思われるかもしれません。でも、ぼくという人間が社会、あるいは世界とかろうじてつながっていられるのは、ぼくが仕事をしているからだとぼくは考えています。だから、ぼくの作る料理に優れたところがあるとすれば、それは強さからくるのではなく、弱さからきています。自分という脆弱な存在が生きていることを、それが間違いでないことを、ぼくは料理という手段で訴えようとしているのです。でも、その声が小さくて、人に届かないかもしれないから、もっといい仕事をしなければならない、それを長い間ぼくは続けてきました。もっと高く、もっと深く、そしてこの声が誰かに届くようにと。

 メインのお皿を下げて、最後のデザートの準備をしながら、ぼくはうれしかった。声が届いた、と思った。そしてそれを感じた人が元気になることでぼくも元気になった。自分は一人ではない、そしてあなたも一人ではない。仕事をするということはそういうことではないかと思います。そして、生きるということも。

 デザートを出し終えて洗い物を済ませ、後片付けをして、最後に作業した場所を磨き上げます。来た時よりもきれいにして帰る、それがプロの矜持だと思うからいつもそうするように心がけているのですが、その日はとくに念入りだったような気がします。最後のサーヴィスに全員の記念撮影のカメラマンを務めて、本日のお仕事は終了。ありがとうございましたとお礼を言って帰ろうとすると、その女性が大きな声で、「色んな人に来てもらったけど、今日は最初から最後まで全部おいしかった。完璧やったわ。」。いや、完璧なんてとてもとても、こちらこそ、と言おうとしたけれども、うまく言葉にできなかったから、深々とお辞儀だけしてそのお家を後にしました。

 駐車場で車に荷物を積み込みながら、ほっと一息。1年続いたケータリングが終わりました。でも最後に、思いがけないご褒美をいただいたような気分でした。この仕事、やっててよかったな。

 今年1年がもうすぐ終わろうとしています。そして、新しい年がやってきます。終わりは次の始まり。ぼくにとっては64回目の未来がやってきます。でもいつか、終わりがほんとうに終わりとなる時が来るのでしょう。その時まで、ぼくは声を上げ続けたいと思います。ぼくの声があなたに届くように、そして、あなたの声もぼくに届くように、と。


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# by chefmessage | 2017-12-25 16:38