天国の扉
2003年 08月 13日
夜明け前に釣り場に着いて、名人秘伝の仕掛けを作成し、テレビの出演料で買ったのでNHK号と名付けた新品のロッドに、同じくギャラ丸と命名したリ-ルをセットし、仕掛けを繋いで、タバコ一本ふかした後、あたりが明るくなりはじめるとともに第一投。緊張していたのか、ねらったポイントの少し手前に着水。すぐに巻いてキャストしなおそうか、とも思ったのですが、まあ一投目だからいいか、と流したのです。手前まで仕掛けが来たので、巻き上げようとリ-ルに手をやってロッドを立てたとき、竿先が下流に向かって一気に引っ張られました。反射的に合わせたその瞬間、川の表面で青黒いものがグワッと渦を描きました。その波紋の大きいこと!それを目にした時、背筋を何かが駆け登って頭から空へと抜けていきました。天国の扉が開きました。僕は、ただ魚とのやりとりにのみ存在しています。彼が走れば、それに合わせて緩み、彼が止まれば、力を漲らせます。押しては引き、引いては押し、その繰り返しが忘我のうちに続いて、彼が岸辺に身を横たえたとき、扉は閉じ、僕は僕に戻ります。体長90センチ超、重さ8キロのオスのイトウです。それが冒頭の写真です。今年の6月、場所は北海道北部のある川。名前が明かせない理由は、後述。
実際、それを釣り上げるまで、何年かかったことでしょう。いつかは釣ってやる、と思いながら、何回寄り道したことでしょう。網走での、雄武でのサケ釣り、紋別での、大雪ダムでのマス釣り、不発、不発、不発。毎回同道して案内してくれる、旭川は「メランジェ河原」の河原君に、一体いつになったら大物釣らすねん、と言ったのは、15センチしかない虹マスを釣ったときでした。それがこたえたのでしょうか、探し回って、彼がついに巡り会ったのが、イトウ追い続けて20年、我々が今、名人と尊称している東海林 毅さんでした。名人は、河原君が講師をしている旭川調理師学校の肥田校長の義理のお兄さんで、肥田先生のご紹介でお目通りがかなったのですが、イトウ釣り入門の条件として、1,釣った川の名前とポイントは黙秘すること。2,仕掛けは他人に教えないこと。釣り場に残すことも厳禁。以上約束してもらえますか、ということで、イトウという幻の魚の名前にすでに頭がクラクラしている我々は平身低頭、了解いたしました、つきましては是非とも、というこで、めでたく弟子入りを許されたのでした。
そして、実際に名人に連れられて釣りに出かけたのが、去年の9月。名人の道具一式お借りし、川の中に立ちこんで直接指導を受けました。しばらくして、じゃ、僕もやります、と言って、別の竿で、名人は僕の1メ-タ-ほど横で第一投。みごとな遠投のあと、スッと 竿を立てるやいなや、「来たっ!」。エ-ッ、嘘やろう、なんで?とびっくりしている僕に名人は「竿、換えましょう。」。これにはあわてました。でも、あわてながらも無事、魚を岸まで寄せれたのは、僕の海釣りの師匠こと、豊中の中谷さんの薫陶のおかげだと思います。大物との冷静なやりとりは、中谷師匠に教えられて慣れていましたから。でも、以外だったのは、イトウって、川の真ん中で踏ん張るのです。海の大物、例えばスズキとか黒鯛とかは、針がかかると闇雲に走るのですが、イトウはどっしりとして踏ん張ってみせる、そうなるとこちらはどうしようもなくなるのですが、そのへんの威風堂々ぶりが、アイヌの人達に、川の神様とあがめられたところなのかと思います。でも、これでは、自分で釣ったことにはならない。で、同じ年の11月に再度挑戦するも惨敗。その後、自前のロッドとリ-ル持参の、今年6月の釣果となるのです。
そして、満を持してのこの9月。改装なって随分雰囲気のよくなった「メランジェ河原」での、道野・河原フェアは絶賛の嵐で無事終了し、翌日、釣り初日の夕方一度ヒットがあったのですが、早あわせで仕掛けぶっちぎられ、捲土重来の翌朝、場所を変えて、名人に教えられたポイントに向かいました。でも、その場所には一度実績のあるマイポイントがあるもんだから、いつも運転手を勤めてくれるメランジェのマネ-ジャ-平田君を労う気持もあって、「一匹くらい釣ってこい。」と、余裕かまして名人ご指定ポイントを譲り、僕は本命と決めていたところに向かったのです。ところが、水位が下がっていて、状態がよくない。そうか、名人これをよんでいたのか、と思って平田君のほうを見ると、彼のロッドが弓なりになっている。一瞬、胸中をよぎる後悔!でも、焦りまくる平田君の姿をみて、コ-チする事にしました。そして、釣り上げた70センチ。すこし小振りですが、紛れもないイトウです。よかったな、と悔しさ飲み込んでかけた言葉に彼、なぜか反応せず。思わずムッとしてよくよく見ると、彼、震えていました。そうか、こいつも天国の扉開けたのか。
その後、2回場所を変えたのですが、時間切れ。今回は、不発に終わりました。でも、平田君の釣果で、何故か納得。次は、来年という事で帰阪したのです。
再び、熱い大阪で仕事が始まった昨日、お客さんで友人の、箱屋のヤマピ-こと好青年山田君から電話がありました。うちの店で結婚式挙げてくれて以来のつき合いなのですが、入院したという知らせを聞いて心配していたのです。心臓に人口弁を入れる大手術だったそうですが、やっと退院できることになった、という報告でした。よかったなあ、と言うと、彼が、「シェフの料理食べにいけるようになるぞ、と夫婦で励まし合ってたんです。退院したら、真っ先にお店行きます。」と応えました。そのとき、背筋が熱くなって、なにかが頭の先へと駆け抜けていきました。山田君、釣りといっしょにする訳じゃないんだけど、と僕はこころの中で思いました。ここにも、僕の天国の扉があったよ。