誰がために鐘は鳴る
2004年 09月 16日
で、ある朝のこと。食事中に、何気なくマダムに「家族の寝ている姿を見ると、これからは女房・子供のためにがんばらなあかんなあ、と思う事がある。」という発言をしたところ、思わぬ反論にあいました。曰く、「あなたは、自分のために頑張るのであって、それは私たちのためではないのではないか。」。なんという正論。手ごわい奥さんにしばし沈黙のシェフ。
でも僕は、普通このような発言をお父さんがするときそこに含まれていると思われる、自分のことはさておいてまずはお前たちのためにこんなにも頑張っているんだよ、というおしつけがましさ、というか、自己保全のための論理のすり替えをしようと、そういう事を言った訳ではなかったし、それは僕自身も嫌うところなので、ちょっと困ってしまいました。彼女の言うことはもっともなことで、それがわかっているのに、なぜ僕はそういう発言をしたのか。
そこで、そのような自分のこころの動きを分析するために、。マダムにしばし休戦を申し入れ、解明にのりだしました。で、解ったこと。
かつてコックさんになりたてのころ、僕の憧れは、銀座マキシムのシェフでした。麓から高い山の天辺を仰いで、でるのはため息ばかり。当時の僕にとって、あの店はまさしくフランスでした。居並ぶ燕尾服のサーヴィス陣、テーブルの間を回るバイオリン奏者、ワゴンサーヴィスで盛られて自分の前に差し出される夢のような料理の数々。フランスに行ったことのないフランス料理の駆け出しコックは、もし銀座マキシムのシェフと同等の技術、理論を身につけることができたら、一週間で死んでもいいと、こころの底から思っていました。それから25年。今、もし銀座マキシムのシェフに、と請われたら、僕は辞退するだろうと思います。本当に申し訳ないけれど、あのお店では、僕の料理はできない、と思うから。
昔から僕は見栄張りで、着飾ることが好きでした。知られざる名品、みたいなのを探しだして身につけたり、所有するのが好きだった。物欲も強かった、というか、今でも強いと思うのですが、随分いろんな物に興味を持って、自分なりに追求してきました。時計、車、洋服、靴、かばん、万年筆、めがね、などなど。殆どプロ並み、というところまでいかないと気がすまなかった。たぶん、いつも自分以上の自分になりたかったのだと思います。そして50歳になって、気がつくと、欲しいものがもうあまりない。無くはないけど、無理してまで手にいれようとは思わない。むしろ、気楽なものでよいし、それらはもう既に余るほどあるのです。
僕は、自分という人間の輪郭をある程度把握したのかもしれません。。だから、もう無理しなくてもいいのかもしれません。つまり、僕は、もう自分のために頑張れない、というか、もう飽和状態というか。
それなのに、これから面倒みなければいけない家族がいる。ならば、それを善しとして、やってやろう、と。今度は、家族のために、そのことを励みにして、一人だと行けなかったもっと高いところまで登ってやろうと。あれ、
やっぱり、自分のためですね。
まあ、とにかく、その意気込みのあらわれた新メニュー、自信あります。試してみてください。