セイン・カミユと私
2005年 03月 04日
3月19日と26日、ともに土曜日ですが、以前1年間レギュラーを務めていた「みかさつかさ」に出演します。時間は夕方の5時から、チャンネルは4です。久々の登場で多いに懐かしく、楽しくやらせていただいたので、多分、すごく面白い番組になっていると思います。ただ、はしゃぎすぎて手元が不如意になり、スタジオが煙だらけになったり、ひっくり返した鶏肉が焦げたりで、担当ディレクターに、「シェフ、喋ってばかりでなく、ちゃんと仕事してやー。」と叱られましたが。でも、一発本番で、慣れない調理器具を使い、そのうえ全員相手に喋るのですから、結構むずかしいんです。まあ、上手に編集してくれているとは思いますが。
この番組は僕にとって初めてのレギュラー出演だったので、本当にたくさんの思い出があります。
立場的にいえば、僕は芸能人ではないけれど、シェフとしては素人でもないわけで、いわば中途半端。製作側にとっても扱いにくかったと思います。だからこちらも、状況判断が難かっ
た。出過ぎると、プロデューサーには、芸能人ではないのだからほどほどに、と釘を刺され、ひっこむと現場のディレクターからは、面白くない、と言われ。それに、一本録り終わってほっとしていると、休む間もなく、さて次の週はどうしましょう、ということが延々と続き、こちらは本業じゃないからテンションを持続させるのが大変。というわけで、どちらかというと、つらい思い出の方が多いのですが、そんななかで、それでもあの仕事をやってよかった、と思えるのが、他のレギュラーメンバーと親しくなれたことでした。
僕以外の当時のメンバーは、まず、かとうかずこさん。
どちらかというと外見とは裏腹に、実にさっぱりした気さくな方でした。番組宣伝のとき、「ミチノさん、そこんとこ、もっと大声で言ったほうがいいわよ。」などと、演技力のない僕!にも丁寧に指導してくださいました。なにしろ、マネージャーもプロダクションもついていない(当たり前田のクラッカー)、相談相手もいない孤軍奮闘の僕を、その道のプロとして、折りにつけ助けてくださったので、本当にありがたかった。今でも時々、お店に食事に来てくださいます。
そして、セイン・カミユ。
一度、知り合いの三姉妹に、サイン貰ってきて欲しいと、Tシャツ3枚託されたことがあります。これって、いつも顔合わせていると、以外と頼みにくいものなんです。でも、セイン気軽に受けてくれて、一人ひとりの名前と、それぞれ異なったメッセージを書いてくれた。嬉しくって、次の収録のときに、お礼にワイン一本もっていって、セイン、これこのあいだのお礼だからと手渡そうとすると、彼、受け取らない。いいよシェフ気を使わなくっても、と言う。そう言わずに取ってくれよ、と頼んで、やっと受け取って貰いました。その次の収録日、セインが僕のところに走ってやって来て、「このあいだのワイン、すごくおいしかったよ、ありがとう、でも、サインなんて僕の仕事だし、遠慮しないでね、日常茶飯事だから」と言う。思わず、僕も言いました。「セイン、ほんまに外人か?」
するとセインが答えました。「僕、漢字の熟語、結構得意だよ。」
皆さん、テレビでセイン見ていて、好印象持っておられると思います。彼、普段でも、ホントにいい男です。
以上、僕の苦闘の日々は、この二人のおかげで楽しい思い出になりました。
そして、先日の収録。199回目と200回目だったそうです。それを区切りに、セインが降板すると聞いていました。かとうさんは、僕と同時期に降りていたのですが、その後も、セインは残っていたのです。その日は無事終了して、後はセインの送別会。呼ばれていたので出席しました。
スタッフから山のようなプレゼント、こころからの感謝や惜しむ言葉の嵐。セインもご機嫌でした。別れる時、僕の手をしっかり握り、抱き寄せられたのにはびっくりしたけれど、お互い子供たちのためにも頑張ろうね、という言葉には涙が出そうになりました。
その日、収録の合間にキッチンに来てワイン飲みながら、実は事務所から独立したんだけどトラブル続発で、仕事が大幅に減ったこと、でも、子供とカミサンのためにも負けられない、と言っていたのを思い出したから。
頑張れよ、セイン、オレもやるからな。
でも、送別会会場に向かう途中、USJ正面の10メートルほどの通路で、セインが歩くのにあわせて人垣がふくれあがっていくのを見たとき、その人気者ぶりに、絶対こいつは大丈夫だな、とは思ったけどね。
セイン、また会おうぜ。お元気で。