合田さんのこと(その2)
2006年 07月 13日
そういえば、こんな事を合田さんから聞いたことがあります。ブルゴーニュの田舎道をヴザン氏達と走っていたら車がエンストしてしまった、困っていたら通りがかった青年が修理屋を呼んできてくれた。御礼を言って聞けば、その青年もワインを造っているという、じゃ、見せてよ、ということで訪ねたら、それがよかったので、キュベユニークを造ってもらった。それが(ぼくの記憶がまちがいでなければ、)マリウス ドゥラルシュだった。
彼のコルトン シャルルマーニュは素晴らしくて、ぼくも大好きですが、もしそのような出会いがなければどうだったでしょうか。そんなことを考えると、世の中まんざら捨てたものではないな、と思うのです。
でも、やがてル テロワールの経営陣と合田さんとの不協和音が伝わりはじめます。そうして、合田さんは、一方的に解雇され、愛着ある生産者たちとの接触まで禁じられます。どうしてそうなったのか、部外者のぼくには真相はわからないので詳細は書けませんが、傷心の彼女からイタリア発のメールが届きました。そうとうまいってるな、という感じだったので、ぼくなりの励ましメールを送ったのですが、そのときこんなことを書きました。いつか、合田さんがもう一度元気になって、ワインの輸入を始めたら、うちのワインリストをそれで埋め尽くしてあげるから頑張ってね。
彼女がそのころ興味をもっていたのはロワールのワインで、テロワールで少数輸入したものをティスティングしたことがありますが、それらはほとんどが自然派ワインでした。無農薬、有機栽培。ずっと、料理の邪魔をしない、毎日飲んでもつらくないワインを探してきた合田さんが辿り着いた場所がそこだったのでしょう。そして幸いなことに、生産者たちも、泰子になら売ってあげるよ、と協力を申し出てくれたようです。その言葉に勇気付けられて、再起し立ち上げたのが、ラシーヌ(根っこ)という会社です。
彼女の会社が扱い始めたワインは殆どが日本で無名の小さなドメーヌ物で、エチケット(ラベル)は藁半紙みたいなのが多い。日本の焼酎のそれみたいに手書き風だったりまがっていたり。それがブランド・おしゃれ好きな日本人にうけるかどうか、あるいは単価が安いのでビジネスとして成り立つのかどうか。でも、彼女の扱うものならまちがいない、という人たちが買い始めました。ぼくもレザール・サンテになってのワインリストは、いつかのお約束通りほとんどがラシーヌのヴァン ド ナチュール(自然派ワイン)です。
先日、大阪でラシーヌの試飲会があって、うちのソムリエ(通称ジミー)が行って来たのですが、大きな会場なのに人がいっぱいで入れないほどだったそうです。合田さんに挨拶なんてとても無理、彼女の周りには人垣ができていた、と誇張ではなくそう言います。それを聞いて、ぼくは、ジョルジョ アルマーニが始めてニューヨークで開いたショーでの逸話を思いだしました。ショーが終わって、挨拶に出なければならないのだけど、このショーに失敗すれば自分に未来はないと考えていたからとても怖かった、でも一歩踏み出して幕が開いたら、そこには会場を埋め尽くした総立ちの観客が割れんばかりの拍手で自分を迎えてくれた、あの日のことは一生わすれない、と。
合田さんはひたすら自分の信じる道を歩んできたのでしょう。きっと、言葉にできないほどの苦労もいっぱいあったと思うのですが、団地の主婦から始まった歩みは今、深く根を張った、と思います。ちょっと世の中が加熱気味で、ヴァン ド ナチュールでなければワインにあらず、といった傾向も見られますが、彼女は流行に流されず、これからも淡々と歩んで行くことでしょう。
さて、ぼくもうかうかとしてはおられません。レザール・サンテとなって5ヶ月、残念ながらいまだ成功とはいえない毎日です。ノーゲストの日があったりすると、本当に辛い。でも、そんな時は、合田さんのことや、ムッシュ ギュファンスのことを思いだします。ぼくは、自分の信じた道をこの豊中で黙々と歩んできました。そして、自分のベストを尽くすのではなく、それを超えるために現在の形にしました。料理の邪魔をしないワインがあるのなら、それとよりそえる料理があって、そのハーモニーがお客様のこころを豊かにする、それをこれからも実践していきたい、そして、世の中まんざら捨てたものではない、と感じてもらいたい、こころからそう思います。どうか、一度お越しください。そして、合田セレクションのワインとミチノの料理で元気になってください。そこには、ささやかな歴史と、そこから生まれた友情もスパイスとなって効いているはずだから。
(今回は、ぼくの一方的な記憶で文章を書きました。勘違いや思い違いも沢山あって、合田さんに叱られるかもしれませんが、許していただければ幸甚です。)
7月15(土)16(日)17(月)の3連休にレザール・サンテ初めてのフェアをします。
皆さん是非来てください。お待ちしています。
もちろんワインは合田さんおすすめのビオワインです。
シャンパンは「ジェロボアム」という3リットル(4本分)をあけます。
彼のコルトン シャルルマーニュは素晴らしくて、ぼくも大好きですが、もしそのような出会いがなければどうだったでしょうか。そんなことを考えると、世の中まんざら捨てたものではないな、と思うのです。
でも、やがてル テロワールの経営陣と合田さんとの不協和音が伝わりはじめます。そうして、合田さんは、一方的に解雇され、愛着ある生産者たちとの接触まで禁じられます。どうしてそうなったのか、部外者のぼくには真相はわからないので詳細は書けませんが、傷心の彼女からイタリア発のメールが届きました。そうとうまいってるな、という感じだったので、ぼくなりの励ましメールを送ったのですが、そのときこんなことを書きました。いつか、合田さんがもう一度元気になって、ワインの輸入を始めたら、うちのワインリストをそれで埋め尽くしてあげるから頑張ってね。
彼女がそのころ興味をもっていたのはロワールのワインで、テロワールで少数輸入したものをティスティングしたことがありますが、それらはほとんどが自然派ワインでした。無農薬、有機栽培。ずっと、料理の邪魔をしない、毎日飲んでもつらくないワインを探してきた合田さんが辿り着いた場所がそこだったのでしょう。そして幸いなことに、生産者たちも、泰子になら売ってあげるよ、と協力を申し出てくれたようです。その言葉に勇気付けられて、再起し立ち上げたのが、ラシーヌ(根っこ)という会社です。
彼女の会社が扱い始めたワインは殆どが日本で無名の小さなドメーヌ物で、エチケット(ラベル)は藁半紙みたいなのが多い。日本の焼酎のそれみたいに手書き風だったりまがっていたり。それがブランド・おしゃれ好きな日本人にうけるかどうか、あるいは単価が安いのでビジネスとして成り立つのかどうか。でも、彼女の扱うものならまちがいない、という人たちが買い始めました。ぼくもレザール・サンテになってのワインリストは、いつかのお約束通りほとんどがラシーヌのヴァン ド ナチュール(自然派ワイン)です。
先日、大阪でラシーヌの試飲会があって、うちのソムリエ(通称ジミー)が行って来たのですが、大きな会場なのに人がいっぱいで入れないほどだったそうです。合田さんに挨拶なんてとても無理、彼女の周りには人垣ができていた、と誇張ではなくそう言います。それを聞いて、ぼくは、ジョルジョ アルマーニが始めてニューヨークで開いたショーでの逸話を思いだしました。ショーが終わって、挨拶に出なければならないのだけど、このショーに失敗すれば自分に未来はないと考えていたからとても怖かった、でも一歩踏み出して幕が開いたら、そこには会場を埋め尽くした総立ちの観客が割れんばかりの拍手で自分を迎えてくれた、あの日のことは一生わすれない、と。
合田さんはひたすら自分の信じる道を歩んできたのでしょう。きっと、言葉にできないほどの苦労もいっぱいあったと思うのですが、団地の主婦から始まった歩みは今、深く根を張った、と思います。ちょっと世の中が加熱気味で、ヴァン ド ナチュールでなければワインにあらず、といった傾向も見られますが、彼女は流行に流されず、これからも淡々と歩んで行くことでしょう。
さて、ぼくもうかうかとしてはおられません。レザール・サンテとなって5ヶ月、残念ながらいまだ成功とはいえない毎日です。ノーゲストの日があったりすると、本当に辛い。でも、そんな時は、合田さんのことや、ムッシュ ギュファンスのことを思いだします。ぼくは、自分の信じた道をこの豊中で黙々と歩んできました。そして、自分のベストを尽くすのではなく、それを超えるために現在の形にしました。料理の邪魔をしないワインがあるのなら、それとよりそえる料理があって、そのハーモニーがお客様のこころを豊かにする、それをこれからも実践していきたい、そして、世の中まんざら捨てたものではない、と感じてもらいたい、こころからそう思います。どうか、一度お越しください。そして、合田セレクションのワインとミチノの料理で元気になってください。そこには、ささやかな歴史と、そこから生まれた友情もスパイスとなって効いているはずだから。
(今回は、ぼくの一方的な記憶で文章を書きました。勘違いや思い違いも沢山あって、合田さんに叱られるかもしれませんが、許していただければ幸甚です。)
7月15(土)16(日)17(月)の3連休にレザール・サンテ初めてのフェアをします。
皆さん是非来てください。お待ちしています。
もちろんワインは合田さんおすすめのビオワインです。
シャンパンは「ジェロボアム」という3リットル(4本分)をあけます。
by chefmessage
| 2006-07-13 03:12