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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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伝統と革新

 フランスで仕事していた時のことです。今はトゥールにあるレストラン、ジャン・バルデがまだシャトールーという街にあったころ、ぼくは小室くん・中村くんという二人の日本人とその調理場で働いていました。ある日、ムッシュ・バルデがやけに興奮して、「オレはあいつらと話したくないから、日本人同士で話しさせろ!」とメートル(支配人)のティエリーに命じているのが聞こえました。何だろう、と様子を伺っていると、ティエリーの後ろから3人の壮年の日本人男性が調理場に入ってきました。ティエリーが両手両肩を挙げて、困った顔で目配せします。どうやら、ムッシュの機嫌を損ねる発言かなにかがあったらしい。「や、こんなところにも日本人が働いているんだ。」と3人のうち一番年長の男性が僕たちに話しかけてきました。(こんなところで悪かったな)激高しやすい中村君がそう言いたそうな顔をしています。「(ミシュラン)2ツ星のゴー・ミヨ(ガイドブック)19点ということだからわざわざ来たけど、たいしたことないね、ここのお店。」小室くんが、「でも、僕たちは雇って貰えたから、よろこんで仕事してます。」と答えました。続けて「皆さんもどこかで仕事なさってるんですか。」と小室くんが聞くと、その男性が、「僕たちは大阪のRホテルからの派遣で来てるんですよ。僕はレスペランス、彼はジョルジュ・ブラン(共に当時3ツ星)で、彼はオテル・リッツ。」
 中村くんが「給料貰って仕事してるんですか。」と聞きました。「いやいや、僕たちはRホテルからの派遣だから(くどい)貰ってませんよ、君たちは貰ってんの?」「当たり前じゃないですか。だから、あなたが言う、こんなところでも必死で働いているんですよ。」中村くんの語気の強さに白けたその男性が、「ま、皆さんにお会いすることはもうないでしょうけど、何かあれば尋ねて来てください。RホテルでMと言ってもらえればわかるから。」と名刺を差し出しました。他のお二人も同様。そこには金色に輝くRの文字が背中合わせに二つ。「じゃ!」その3人は去っていきました。名刺を手に顔を見合わせた僕たち。あれじゃ、ムッシュも怒るよな、どちらが呟いたのか、今となっては思いだせません。
 フランスに単身で渡った人たちは本当に苦労しただろうと思います。病気になったり、お金がなくなってやむなく帰った人たち。その前に仕事が無くて帰らざるを得なかった人たち。でも踏みとどまることができて、辛抱して努力して、仕事して帰った僕たちの仲間が、今の日本のフランス料理界のレベルをフランスに引けを取らないまでに押し上げたのだと思います。レールに乗っかって進んでいる人たちには絶対にわからない個人の執念のようなものが、僕たちを突き動かしている。そして、それが今も革新をもたらし続けているとぼくは思います。
 でも、世の中には例外もあるようです。京都ホテルオークラのメインダイニング、ピトレスクがそれ。シェフの上島康二くんは、ホテルの人たちが言う「街場(マチバ)」出身です。この街場、という言葉もなんだか見下されているようでいやなのですが、ようするにホテル以外のフレンチレストランの呼称。なかには、下町、と呼ぶホテルの人たちもいます。
 有名なホテルの各セクションのシェフは当然ながら、そのホテルの生え抜きが占めるのが通例なのですが、改装直後の京都ホテルは、そのメインダイニングのピトレスクに、外部出身の上島くんを起用しました。これは業界の常識を覆す、勇気ある大抜擢であったと思います。
 この上島くんは、前のメッセージに書いた旭川の河原くんの親友で、幼稚園からの幼馴染、ともに豊中市出身で、ぼくとは浅からぬ因縁があります。でも、彼がピトレスクのシェフに就任した時には、ぼくも大変驚きました。ただ、京都のシャンドールで働いていた時のことやフランスでの修行時代の話を聞いていたので、彼なら重圧を押しのけてやり遂げるかもしれない、と期待してはいました。剛直、一言で表現するならそういう男です。ひょっとすると、面白いことになるかもしれない。
 結果は皆さんのご存知の通りです。伝統あるホテルのメインダイニングに相応しい重厚な料理、でも、そこには彼がフランスで学んできたエスプリが満ちています。なにより、妥協を許さない緊張感がみなぎって、上島康二の人柄が表れている。そして素晴らしいことに、その彼の料理とホテルの格式が一致しているのです。これこそ伝統と革新の融合だとぼくは感動しました。
 アピシウスのムッシュ・ヴィガドとの何度かの競演も見事でした。彼なくして、あのフェアは成立しなかったのではないでしょうか。独断ですが、日本中のホテルで最も素晴らしいメインダイニングだと思います。それは、自画自賛的に生み出された、あるいは経営戦略的に誇張された伝統ではない、真の伝統が根付く京都であったから実現したのではないか、と僕は考えています。京都は伝統と革新が同居する街です。そして、京都ホテルのピトレスクは京都の誇るべきレストランです。
 その京都ホテルは、オークラグループに吸収され、京都ホテルオークラと名前を変えました。そして、ピトレスクの上島くんに今回、移動の辞令が降りました。宴会調理係。
 宴会を軽んじる気持ちはぼくにはありません。しかし、彼がそこに移動すれば、ピトレスクはどうなるのか。
 今後は、ホテルオークラの料理を提供する場にしたい、そういうことだそうです。ぼくは、多いに失望しています。
京都で、東京のオークラの料理をあなたは食べたいですか。ぼくはいやです。なにより、地域の文化を軽んじた押し付けがましさが嫌いです。
 だから、声を大にして訴えます。負けるな、上島!東京に迎合するな京都!
 皆さんもどうか応援してやってください。よろしくお願いいたします。
       
トップページにも書きましたが、忙しくなって、人手が足りず困っています。
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by chefmessage | 2006-10-18 03:16