小松亮太さんへの手紙
2008年 05月 18日
初めてお手紙さし上げます。大阪の道野正と申します。小松さんが一昨年、豊中市の大池小学校でムコ多糖症の子供たちのためにチャリティーコンサートをなさったとき、小松さんと共演者の皆さんのお昼ごはんを作ったのがわたしです。大池小学校に在学するムコ多糖症の中井耀くんのお母さんからのご依頼でした。実は、車のCDチェンジャーにピアソラのオリジナルアルバム2枚組を入れているタンゴ好きなので、当日の演奏は楽しみにしていたのですが、仕事の関係で大池小学校に着いた時にはすでにコンサートは終わっていて、大変悔しい思いをしました。
ところが先日、わたしの高校時代からの悪友で、ロックとフェラーリをこよなく愛するYくんから、彼が会員になっている梅田のビルボードに小松さんが出演するから一緒に行こうぜ、と誘われました。もちろん即答で、行く、と言いました。そして当日、Yくんが予約しておいてくれた席はステージの小松さんの目の前のテーブル、悪友は親友でもあると思いました。でも、それならアロハとハンチングというあやしい風体ではなく、もっとまともな格好してくればよかったかなと思ったのも後の祭り、開演の6時30分になりました。前置きが長くなりました。その時受けた感動をお伝えしたくてこの手紙を書いた次第です。
数曲の演奏ののち、「ではオリジナルをやります、自分の子供のために作った曲です。」という小松さんの前口上に続いて始められた「夢幻鉄道」のイントロが流れ出した途端、わたしはヤバい、と思いました。唐突に涙腺がゆるみはじめたのです。曲の間中、わたしはそれを押しとどめるのに必死でした。
子を思う気持ち、喜びや悲しみや期待などが旋律になっている。ああ、みんな同じ気持ちなんだ、と思いました。そして、汽車の窓に家族の姿があって、親が年老いてゆき、子供が大人になり、そしてその子供が親になり。そういうイメージが曲の間、ずっと浮かんでいました。だから、「夢幻鉄道」ではなく「無限鉄道」だと、アマゾンで買ったCDが届くまで、わたしはそう思い込んでいたのです。
わたしの3人の子供たちの名は、長男が悠(ハルカ)、長女が曜(ヒカリ、耀くんと同級生です。)、二女が臨(ノゾミ)です。わたし自身は鉄道ファンではないのですが、結果的に全員、新幹線の列車名となってしまいました。でも、彼らはわたしの知らない未来まで走るのだから、まあ悪くはないなと妙な納得をしているのですが、そういう大きな流れの接ぎ穂であることが、わたしたちの全ての喜びや悲しみを生み出しているのではないか、と小松さんの演奏を聴き終わったあと思いました。
だれもわたしたちがどこから来て、どこに行くのか知らない、でも、それならそれで与えられた命を懸命に生きよう、そういうメッセージを小松さんの演奏はわたしに与えてくれたように思います。
あともう一つ。
わたしはフランス料理のシェフをやっているのですが、時々、自分のやっていることに疑問を覚えることがあります。日本人が作って、日本人が食べるフランス料理ってなんなんだろう。これって無意味なことではないだろうか。「夢幻鉄道」という曲を聴いてわたしが思ったこと、それは、タンゴというより小松流タンゴだ、ということでした。和のセンスが漂っている、これはわたしの料理も同じことだと思うのです。本人は真剣にフランス料理をやってるつもりですが、やっぱり和があるようで、あるいはそれが道野流と言われたりもする。でも、小松さんの力強い演奏を聴いて、すこし肩の荷が軽くなりました。好きなんだからしょうがない。そして好きなことを仕事にして、多分わたしたちは幸せなんでしょう。子どもたちにもそのことを伝えたい、なんていったら、お互い、奥さんに苦笑されるでしょうか。
料理で人を感動させたい自分が、感動を与えていただきました。その感動を忘れないようにしたいと思います。
ありがとうございました。益々のご活躍、こころからお祈りいたします。
というような手紙を書いたのですが、なんだか気恥しくて、いまだに投函できずにいるわたしです。
レザール・サンテ! オーナーシェフ 道野 正