1day before "ONE DAY"
2008年 08月 18日
だけど will be
perfect one day (m-flo)
大学の神学部を卒業しながら、どうして料理の道にすすんだのですか?と、これまで何度も聞かれました。その度に適当な答えをしてきたのですが、本当のところ、決定的な回答をぼくは未だに見つけてはいません。ただ、人はなろうとしたものになれる、それを自分の身で実証したかった、というのがいまのところは一番近い答えのような気がします。自分とは何か、およそ哲学にしても神学にしても発端はそこのように思うのですが、答えなんてありそうでない、だったら無理やりにでも何かになればいいのではないか、そうすることで見えるものがあるのではないか、若き日のミチノはそう思いついたのです。
では何になるか。
一番突拍子もないもの、何故かそれが「フレンチのシェフ」でした。フランス料理って、神学と同じ雰囲気の難解さがあるような気がして。
ほんとになれるのか?そのことをだれよりも疑問視していたのが実は当の本人だったとは、今や誰も知らない真実なのであった。
多分、言葉ではなく、物を作り出すというところに惹かれたのだろうと思います。ましてやそれが単純に、うまいかまずいか、だけで評価される点も。解り易くてよろしい。ならば、だれよりもおいしいフランス料理を作る人間になろう、と、ま、神をも畏れぬ決断をしてしまったわけです。
とりあえず調理師学校に行こうと考えて入学願書を取り寄せました。するとそこに推薦人という欄がありました。そこを埋めていただくために何人かの教授にお伺いをたてました。最初の先生には、きみは気が狂ったのか、と言われ拒否されました。つぎの人には、きみにはそういう生き方のほうが似合っているよ、と吐き捨てるように言われ、この方は自分の方から辞退させていただきました。そして次に、以前このページにも書いた野本真也先生にお願いしたところ、自宅までいらっしゃい、少しお話でもしましょう、ということになった。何故先生のご自宅に伺ったのか、そのへんの記憶は定かではないのですが、初めて理解者登場となりました。はっきり言って、それまで孤立無援だったのでうれしかったな。
晴れた早春の午後だったと記憶しています。こじんまりと、でも居心地よさそうな先生の書斎で、ぼくのドイツ時代の恩師は料理人になりたかったんだよ、だからぼくは教え子のなかにそういう人がいてもいいと思う、野本先生はそう言ってくださいました。きみをよろこんで推薦してあげます、でもいつかフランスに行きなさいよ、そして将来自分の店を持って、ぼくを招待するんだよ。そのときサインしていただいたペンがペリカンで、部屋の片隅には見慣れない外国のスピーカーがあったのを何故か覚えています。
先生のお宅を辞して外にでると桜が咲きはじめていました。その下を歩きながら、オレ、ほんとにいつかフランスになんか行けるんやろか、自分の店持てるんやろか、とこころもとない気持ちでいっぱいでした。もう二度と先生にお会いすることはないのではないか、漠然とそんなことも思っていました。
結局、経済的な問題で調理師学校には行かず、京都のボルドーというフランス料理店にいきなり見習いとして突入。なにしろそれまでリンゴの皮さえ剥いたことがなかったくらいだから、どういう仕事ぶりだったかは皆さんの想像にお任せします。で、30年経ちました。フランスにも行ったし、自分の店も持てました。
いつかぼくの母親が、なんであんたみたいな子が厳しい世界で我慢できたのか未だにわからんわ、と言ってましたが、ぼくにもわからんわ。
ただ、ぼくにはプライドがありました。この仕事は素晴らしい仕事なんだ、自分の選択はまちがっていない。それは、野本先生の言葉があったからです。そして、たとえ今は半端な仕事しかできなくても、いつか、人をうならせることのできるシェフになるんだ、と。
その思いは結実したのでしょうか。いや、まだまだパーフェクトじゃないな、だからまだ野本先生を招待することはできないな。でも、そんなこと言ってたらいつになるかわからないな、とずっと思っていたら、なんと、その野本先生から予約が入りました。それが明日!
ちょっと、というか結構緊張しています。顛末はまた後日!!
レザール・サンテ! オーナーシェフ 道野 正