ジミーの結婚とマダムのクリスマスツリー
2008年 12月 02日

11月22日に、うちのマネージャー、ジミーこと小平拓の結婚式がレザール・サンテにて盛大に執り行われました、といってもほとんどが親族で、出席者は21名でしたが。そもそも彼にジミーというニックネームを付けたのはぼくなのですが、由来は、彼の服装が地味だったからで、長身で男前なのに残念だ、という思いがその名前には込められていました。うちに勤めだした最初のころ、季節は夏だったと記憶しているのですが、ワインの試飲会にいってきます、という彼の服装をチェックすると、着用していたのは首の伸びたTシャツでした。それはあかんやろ、うちの店の名折れになる、と言ったあたりで彼の呼び名は決まってしまったのですが、その彼が近頃やけにオシャレになりはじめて、またそのファッションのセレクトが悪くないので、何かあるな、とは思っていたのです。案の定カノジョができたみたいで、そのうち、一緒に住むだの入籍するだの、なんだか楽しそうになってきて、ついに、けじめをつけるために結婚式を挙げたい、ということになりました。
冗談のつもりだったのです。「うちで式、やれば?」とぼくが言いました。すると彼は即答しました。「是非、お願いします。」。普通、プライベートは仕事から切り離されているものなのに、即答とはどういうことか。
でも、普段からぼくは思っていたのです。従業員が客として来たい店だと思ってくれているうちは、うちの店はつぶれたりしないだろう、と。だから、ぼくも言いました。よろこんでさせていただきます。
少人数なのに、懇意にしているウェディングプロデュースの会社、アン・リエル・マリアージュ社長の後藤友俊氏が直々にプラニングを引き受けてくれました。司会、音響から衣装、進行の段取りまで。ただ、彼と一緒に仕事すると、やたらとぼくの出番が多い。今回はジミー夫婦の希望もあって、ぼくは人前式の宣言、スピーチ、クロカンブッシュ(ウェディングケーキ)の披露、そのうえ、歌!まである。いったい、いつ料理つくるねん。でも、みなさんの喜ぶ顔が見たいから引き受けることにしたのですが、ひとつだけ後藤社長に条件を付けました。それは、後藤社長も歌うこと!。
その日がやってきました。開宴2時間前から来ている人もいる。なんだかえらい盛り上がりようです。やる気満々、という雰囲気が漂っている。気分を引き締めて行こうぜ、と思っていたら始まって、あとは一気です。新郎、新婦も隙を見つけては料理を楽しんでいる、皆さん、料理はほぼ完食。そのあいだにおしゃべりも花盛りで。
やがてマダムが丹精込めて仕上げたクロカンブッシュが披露され、続いてはなんと後藤社長のお嫁サンバ!黒の革ジャケットに派手なシャツに着替え、奥様お手製のHIROMI GOのお面を被って歌い踊ります。驚いたことにそれがとてもお上手で、大いに受けました。なにしろ音響と司会の女性たちが笑いすぎて仕事を忘れそうになったほど。席を立って一緒に踊りだしたおばさんもいたなあ。で、そのあと一転、新婦のお手紙コーナー。緩和のあとの緊張が功を奏したのか、一気に涙の嵐です。続いての両親への花束贈呈のBGMはミチノシェフの歌だったし。
最後まで本当に素晴らしい結婚式でした。皆さんにも喜んでもらえたけれど、実はぼくが一番光栄に思っていたのです。
いい仕事をさせてもらいました。そして、ぼくは大いに励まされました。自分の仕事に間違いはない、と身近な人間に教えてもらえたから。
そしてマダムのクリスマスツリーです。ジミーの結婚式のデザート、クロカンブッシュ、引き出物の菓子までやりとげた、という充実感が尾を引いているのか、毎朝早起きして何か作っています。そしてつくりあげたのが、1メートルに及ぶクロカンブッシュのクリスマスツリー!30年以上コックやってますが、土台作りから始めて、ひとりでこんなの作り上げた人、見たことない。ちなみに彼女、まだ小さな3人の子供の母親です。
11月から今日に至るまで店は本当にヒマで、それはハンパではない状態なのですが、こういう人たちに囲まれていると、本当に励まされます。そう言えば、ジミーの結婚式でのスピーチで、ぼくは新婦に言いました。いつも彼を褒めてあげてください、最後まで味方でいてやってください。
マダムのクリスマスツリーを見て思います。たとえこの世のすべての人に見放されたとしても、自分にはひとり味方がいる、と。そして素晴らしい仲間もいるなら、オレはきっと押し返せる、と。
ますます、いい仕事しようと思います。でも皆さん、とりあえずマダムのクリスマスツリー、見にきてください。世の中、悪いことばっかじゃないよな、なんだか、そんな気分になれるから。
レザール・サンテ! オーナーシェフ 道野 正