青空
2009年 05月 18日
少しだけ 空の悪口を言ってる
遠くまで 涙こらえ過ぎた時に
見つけたよ 誰も見たことない青空
UA 「青空」
基本的に団体行動が取れないことを自覚しているので、ぼくはあまり、というか殆ど、シェフの皆さんの集まる場所や会に行ったことがありません。以前はいろんなところから頻繁にお誘いを受けたのですが、近頃は、皆さん諦めたのか、誘うほどでもないと見切りを付けられたのか、お声がかからなくなって、それはそれでなんだか蚊帳の外に置かれたような気分で、まったく自分でもわがままだと思います。ただ、随分前になりますが豊中の笠井シェフに誘われて、一度だけイタリア会というのに行ったことがあります。当時のイタリア料理の皆さんはシェフも若い方が多くて、だからフランス料理のそのような集まりとは雰囲気が違って、上も下も関係なく自由に発言できるおおらかさがあり、少し驚かされました。
で、会も終わり、ぼくと笠井シェフが帰ろうとしていたら、一人の若者が話しかけてきました。丁度そのころ「月刊 専門料理」という本のカルパッチオ特集で、笠井シェフとぼくの料理が何品か掲載されており、話題はそれに関してでした。
これは関東と関西のイタリアン・フレンチのシェフが何人か選ばれて、自分がカルパッチオと考える料理を自由に作る、という記事だったのですが、その若者は笠井シェフに、「エノテカピンキオーリのシェフが子牛とスズキのカルパッチオというのやってましたけど、あの料理どう思います?」と尋ねました。「ウーン、どうですかねえ?」とよせばいいのに笠井くん、ぼくに振ってきたのです。
「いいんとちがうかな、やりたかったんやろし。」とぼくが軽く答えたのが気にいらなかったのでしょうか。その若者は、今度はぼくに噛みついてきました。「そこの人、えらい簡単に言わはりますねえ。」。これをお読みになっているおられる方、今、ミチノを興奮させてはいけないとこころで思っておられませんか。
そう、あなたのご想像通り、ミチノに火がついてしまいました。
「あのな、同業者が見ることが判ってるのに、敢えて物議を醸す料理を載せるには勇気がいるんや、だから、オレはそれだけでえらいと思う。」。でも気の強い若者です。まだ反論してきます。「でも、食べたことがないもん、いいか悪いかわからないじゃないですか。」。ミチノ、切れました。「ええか、料理作りで大切なのは想像力、イメージや。頭に浮かんだイメージをどう具体化させるかがその料理人の才能や。いちいち食べないとわからんようなら、一生それだけで終わるぞ、わかったか小僧!」。
はっと気がつくと、周りにひとだかりができていてなにやら不穏な空気が漂っていたので、ぼくは隣の笠井シェフに言いました。「遅くなったから、はよ帰ろ。」。
それから何年かたって、ある料理雑誌を見ていたら、なにやら見覚えのある人物が目にとまりました。誰だったかな。紹介文に、今はなき名店カラバジオのスーシェフを経て独立開店、とあります。あ、そうか、あのとき噛みついてきた奴や。
イ・ヴェンティチェッリの浅井卓司君でした。
その浅井君から、先ごろメールが届きました。ぼくの店の移転を喜び、励ましてくれる文章でした。
そこにも、あの時噛みついて申し訳ありませんでした、と書いてありました。覚えてたんや、と、すこしうれしくなると同時に思いました。彼もあれから頑張ってきたんだな、と。
もし彼が半端な料理人であったなら、ぼくはあの時のことなどすっかり忘れていたでしょう。でも、一目置かれるシェフになってマスコミにも頻繁に登場するようになったから、彼のことを目にしてぼくは思いだせた。そして、感動を覚えることができた。
それだけではなくて、彼から応援のメールが貰えて、ぼくはとても喜んでいます。
ジャンムーランの美木さんが引退した年齢を上回っての再出発です。入れ替わりの激しい業界で、本来ならばとっくに忘れ去られても不思議ではないキャリアなのに、まだ応援してくれる人たちが沢山いて。だから、これに失敗したら、もうあとはないとは思うけれど、気分はけっこう新鮮です。
ぼくは、誰も見たことない青空を発見できるような気がします。
レザール・サンテ! オーナーシェフ 道野 正