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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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The Boxer

 am leaving,Iam leaving       「もう嫌だ、おさらばしてやる。」
 but the fighter still remains.     でも彼はまだそこにいて戦い続けている
        Simon&Garfunkel 「The Boxer」

 僕の大好きな作家ジェフリー・ディーヴァーの新刊が出ていたので買ったところ、裏表紙にサイモンとガーファンクルの曲の歌詞が引用されていました。僕はどちらかというとビートルズよりS&G派だったので懐かしくて、本を読むまえにYouTubeで、「The Boxer」を動画を見ながら聞くことにしました。
 近頃の録画なのでしょう。サイモンもガーファンクルもおじさんというよりおじいさんで、曲も随分スローテンポだし、ガーファンクルなんか声が出ていない。だから、歌い終えたあと、サイモンがいたわるようにガーファンクルの腰のあたりをポンポンとたたいて労っているのがなんだかとても温かかった。それにしても、やっぱりボクサーという曲は名曲です。うっとりして聞きほれてしまいました。
 でも、若いときに大ヒットを飛ばすとその後が大変だな、とも思いました。なにをしてもかつての自分自身を越えられない。
 そう言えば、北原ミレイという「石狩挽歌」で有名になった歌手が、「自分は名曲にめぐり合えて幸せだったけど、今は名曲より売れる歌を歌いたい。」と言ったという記事を朝日新聞で読んだことがあります。なんだかとても現実感のある発言で、僕は人事とは思えず、身につまされるようでした。

 さて、悲願だった店舗の移転が終わり、ミチノ・ル・トゥールビヨンは大阪の福島でいよいよ活動を開始しているのですが、開店のお祝いに沢山の方々が来店してくださいました。僕が先輩と呼んでいる(本当は彼の方が年下です。)御影ジュエンヌの大川シェフもその一人で、食事のあとの雑談で、今業界で話題のジャンムーラン同窓会という催事について話しあいました。これは、今はなき名店ジャンムーランで働いてその後独立したシェフ達が、一日だけ、神戸のオルフェというレストランに一同に会してコース料理を提供するというイベントで、もちろん美木剛シェフも登場します。その予約が、開始後15分とか25分とかで昼夜ともに満席になって、いまだジャンムーランの影響力恐るべし、と人々が畏怖している、そういう内容だったのですが、その時の大川シェフの言葉がとても印象的でした。「僕は、この催しはむしろ良かったと思っています。」「これでやっとジャンムーランの時代が終わって、その恩恵に与っていたシェフたちの実力が試されるときが来る。」そして、彼はこう言い放ちました。「これでオレのジャンムーランとの戦いはやっと終わります。」。
 そうか、まだ彼は戦い続けていたのか、僕は彼をこそ畏怖しました。
 彼が、神戸という地域で自分の店をやる以上は、いつかジャンムーランを越えなければならないと考えていることは随分前から感じていました。その為に彼が、まずジャンムーランを倣い、小さな努力を積み重ねてきたことも僕は知っています。次に、彼が自分の個性を出すための参考に、休みごとに名店巡りをしていたことも。でも、ジャンムーランが閉店したときに、それは終わっていたはずなのです。僕個人の意見を述べるならば、こと料理に関しては、完全に彼の店の方が凌駕していました。
 それほど彼にとってジャンムーランの存在は大きかったということでしょうか。それにしても、その執念というか持続力には驚くほかはありませんでした。いっそ感動した、と言ったほうがよいかもしれません。
 そして、その戦いのお相手である当の美木剛氏も、実は大川シェフがくる3日前に来てくださっていたのです。
 「ミチノくん、朝起きて、なーんにもすることがないってほんとに気持ちいいよ。」「だいたい僕は小学生のころから、有馬温泉の女将のヒモになって遊んでくらすのが夢やったから、今の暮らしは理想やね。」などと仰る美木シェフの顔は、虚勢なしの自然体でした。こんな生き方もあるのか、というのが実感だったのですが、一世を風靡した後の身の処し方としてはベストかもしれないな、とも思ったのです。もうかつての自分を越える必要もない。年齢とともに力・技ともに衰えていくのは自明の理であって、それならまるでなにもしないのが最善の策であると美木氏はその明晰さで悟られたのでしょうか。でも、その潔さに迷いはないのか。それは多分、他人の踏み込んではいけない領域なのでしょう。ならば、その自然体も一種のファイティングポーズともいえなくはない、という気もします。そこにもやはり戦いがあるように思えます。

 そして、一番肝心な自分自身のこと。ミチノ・ル・トゥールビヨン復活を喜んでくれたのは、誰よりも同業諸氏でした。それも、僕の全盛期を知っている40代前半くらいの。彼らが僕に期待しているのは、決して郷愁なんかではないことを僕は知っています。だから、今の僕には山ほどの迷いがあります。でも、そんなときには啄木のようにじっと手をみることにしています。自分の手は、というか人の手は何のためにこのような形となったのか。これは、何かを作り出すためにこうなったのではないか。ならば、僕はこの手が動かなくなるまで、この手を使い続けよう。足はどこかへ向かって歩くため、目は何かを正確に見るため、口は言葉を話して相手に気持ちを伝えるため。すべてをあるがままに動かすかぎり、僕は僕でありつづけるだろう。

 55歳での再出発は不安です。僕は本当になにかを成し遂げられるのか。
 でも友よ、僕たちは根っこでは同じボクサーで、だから歌い終わったとき、ともに労いあう仲間でありたいと思います。
お知らせ

 どなたか、ぼくの豊中のお店を引き継いでやっていただけませんか。改装して3年足らず。とてもエレガントなお店だと思います。好条件出します。ご興味ある方、ミチノまでご連絡ください。

レザール・サンテ!  オーナーシェフ 道野 正
by chefmessage | 2009-08-18 04:02