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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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夜曲

仕事が終わって車で自宅に帰るとき、この頃はよく矢野真紀という歌手のCDを聞いています。あまりメジャーな人ではないし、それほど上手でもないかもしれないけれど、こころをこめて歌ってます、というのがひしひし伝わってきて結構ぼくは好きです。この人の「夜曲」という曲は、なぜかぼくのカラオケでの定番だし。
 その矢野真紀が去年の9月に突然活動停止宣言をしてぼくはとても驚いたのですが、でもこころのどこかで、ありうるだろうなと妙に納得もしました。あの歌い方じゃ持たなかったのかもしれないな、と。
 「窓」という曲があって、彼女が作詞者であるさだまさしとデュエットする動画をYouTubeで見たのですが、息を合わせようと顔を向けるさだまさしを彼女はほとんど見ていません。御大が、作詞者がすぐそばにいるのに、歌っている間彼女はほとんど視線を合わせようとしない。いつものように額にしわを寄せ、いつものように視線を宙にさまよわせている。これは、決して彼女を非難しているわけではありません。それが矢野真紀という歌手なんだとぼくは思っているから。他を顧ず全身全霊で語りかけているその姿勢にぼくは魅かれているから。
 でも、疲れるだろうな、と思うのです。ぴんと張った糸のようだから、強い精神力がいるだろうな、とも。
 いつも誰かを勇気づけようとし、いつもだれかを励まそうとする、でもその分、自分もどこかでエネルギーを補給しないともたないとぼくは思うのです。彼女はそのエネルギーを十分補給できなくなったのではないか。
 それはコンサート会場を埋める観客の数かもしれないし、拍手の強さかもしれない、あるいはもっとビジネスライクなCDの売り上げだったかもしれない。
 それが、自分の拙さであり、極端にいえば才能のなさであると思いこんで自分を追い詰めたなら、張り詰めた糸は切れてしまうかもしれません。そして、これはぼくの想像の範囲に過ぎませんが、自分の歌が、自分自身が必ずしもこの世に必要でないかもしれないというところまで行ってしまったら、休みたくもなるでしょう。
 でも、本当にそうなのだろうか。
 あの中島みゆきにも「夜曲」という曲があって、その中に「街に流れる歌を聞いたら気づいて 私の声に気づいて」という一節があったと記憶しているのですが、あの大歌手にもそういう気持ちがあるようです。でも、彼女は歌い続けています。
 そう、問題は歌い続ける、ということなのではないでしょうか。なにがあっても続けてやるぞ、という気持ち。
 あきらめてはいけない、投げだしてはいけない、そうしてしまうと今まで自分が一生懸命やってきたことが全部うそになってしまう。
 だから。
 料理を作る仕事をずっとやってると、思いがけず、どう見ても自分の力だけではないと思えるようなものができることがあります。そういうものは、また、まちがいなくお客様に伝わります。それがとてもうれしいから、ぼくは料理を作り続けています。そしてそんな瞬間はやり続けていないと訪れません。
 一人でもお客様が来てくださる限り、一人でも拍手を送ってくださる限り、ぼくたちは続けるべきではないだろうか。 もう一度、矢野真紀の生の声を聞きたいと思います。勝手なことばかり書いたけど、ぼくは、一生懸命は必ず報われると信じたいから。
    
     [永遠など 誰も求めず
      短かすぎる 瞬間(とき)を生きてる]
                   矢野真紀「夜曲」
 
by chefmessage | 2010-06-18 12:20