神様の微笑み
2010年 09月 29日
この一年は本当に暗中模索の日々で、どうすれば新しい場所に根をおろせるのかが判らず随分悩みました。その状況を引きずったままのフェアだったのですが、変に策を弄せず、ど真ん中に全力投球することだけを考えたのがよかったのでしょうか。たくさんの方にお越しいただきました。体力的にはかなり厳しい毎日でしたが、うれしかった。
ただ、なにぶん小さな店なのですべてのご予約にお応えすることができず、それが心残りだったので、フェア終了後も同じお値段のコースを新たに設定することにしました。それも、フェアのときよりも内容は充実させています。2年目に向かって、真価を世に問う、といったところでしょうか。
そんなことを考えながら、新メニューの出来を再検討していたある夜のこと、三重県から一組のご夫婦が食事にきてくださいました。マネージャーの原が、厨房からでれないぼくに「同業のお客様です。」と言って、その方の名刺を差し出します。そして、「ぼくのこと、時計で思い出してくださいました。」と話します。どういうこと?と問うと、「シェ・ワダで働いていたとき、その日はアンティークのジラールペルゴをはめていたのですが、それを見せてくれ、と仰ったお客様がいて、どうもその方のようです。」「君、ペルゴの時計持ってなかった?と言われたのでびっくりしました。」と。
その方の時計や靴、お持ちの鞄やお車でどなただったか思い出す、そういうことってよくあります。よほど時計好きな方なんだろうな、と思いました。「一段落したらオレもご挨拶に行くから。」そう言って名刺を預かりました。
最後のお客様のメインをお出ししたあと、さきほど預かったお名刺に目を通すと、Kさんというお名前で、ぼくと同じフランス料理店のオーナーシェフでいらっしゃる。でもそれ以外に、なにやら記憶の奥底でうごめくものがあります。あれ、この方、アンティークの時計屋さんではなかっただろうか。
以前まだ独身だったころ、ぼくはアンティークの腕時計に夢中で、その関係の雑誌はかかさず購読していました。そして、どこのお店でどんな時計を売っているかを知るのが楽しみだった。だいたい広告のでている店は毎回同じところなのですが、時々、一階が時計屋で二階がフランス料理店という不思議なお店が広告を出していました。自分と同業だからよけい気になったのでしょう。数は少ないけれど結構マニアックな品揃えで、お値段も手ごろだったように記憶しています。ひょっとするとこの方かなあ、でもまちがいだったら失礼だしなあ、と思いながらご挨拶にでて、とりあえずおそるおそる新しいコース料理の感想を伺うと、たいそうお褒めいただきました。それでなにやら気が楽になって、ひょっとして時計屋さんもやってらっしゃいましたか、とお聞きするとまさにその通り。
今は閉められたそうですが、お互い同時代に同じものに夢中になった者同士。話がはずみます。そして、あいつ知ってますか、こいつ知ってますか、という話になって、懐かしい名前もぽんぽん出てきます。そのなかに新潟の元時計屋のKの名が出てきました。最終的には自己破産してしまって今は全く音信不通ですが、この男とは長い間、本当に楽しくつきあわせてもらいました。
最後に時計を二つ持ち逃げされたし(フランク・ミューラー!)、わずかでしたが借金も押し付けられましたが、今でも時々、どうしているかなあ、と思い出します。とにかくお人よしで、それが結果的に彼を破産に追い込んだのでしょうが、とにかくぼくにとっては親友でした。元気でいればいいけどなあ。
三重県のKさんはホームページのぼくのメッセージを読んでファンになったということで、わざわざ食事に来てくださったのですが、古い友人に久しぶりに出合ったような喜びをわかちあうことができました。今はもう昔のように、高価な時計を身に着けることはできないし、そのような望みもありません。崖っぷちに立って風に抗しながら、それでも前に進もうとあがいている、というのが本当のところです。でも、時々神様は、こういう出会いでぼくたちを励ましてくださいます。それならばまた、あのお人よしのKにも会えるかもしれません。
Kさんは今年でお店を始めて27年になるそうです。ぼくは22年。長いけれど、まだこころはお互い若造のまんまです。励まし、励まされながら、それでも進んでいったなら、神様はまた微笑んでくださるような気がします。でも、そのためには千客万来。新しいコース料理、みなさん食べに来てください。
ご本人の了承が取れましたので、三重県のKさん(河瀬 毅さん)のお店をご案内します。
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