旧友に感謝を込めて
2010年 11月 14日
先日は、同志社大神学部時代に親友だったA君が、お母様、妹さんと一緒に食事に来てくれました。彼は卒業後アメリカに渡ったので、ほぼ30年ぶりの再会です。学生時代のベビーフェイスの面影を残したままうまく歳を重ねた、という感じで、とても懐かしかった。帰国して群馬で教鞭をとる事になったということで、30年途切れて、そのまま消えることになったかもしれない縁が、また繋がりました。
そういう再会に気をよくしていたら、今度は、高校時代の後輩のI君が連絡してきました。
実は、ぼくは中学・高校は関西学院でして、それならなんで大学は同志社やねん、と突っ込まれると説明するのがとても辛いのですがそれはさておき、彼の場合には35年以上の空白期間があります。
それくらいになると、現在の姿を想像するのは難しい。ある意味恐怖でもあるのですが、ランチを食べている姿は紛れもなく、ぼくの知るI君でした。その彼が食事後言うには、数日後にお店にディナーの予約を入れているKという客は、道野さんもご存知のぼくと同学年だったあいつです、ということで、なんだか旧友後輩数珠繋がりの様相。そのK君が一人息子の彼女と初対面の場にうちの店を選んで予約入れた、と聞いたので、ぼくからおごりでシャンパンご馳走してやって欲しい、そのお願いがてら食事に来たんです、とI君がいいます。そう言えばI君とK君は親友だったなあ、とぼくも35年以上前に思いを馳せます。
そしてその三日後、K君が奥様・息子さん・その彼女というメンバー構成で登場。
その日は忙しくて、デザートのときにやっと再会を果たせたのですが、その彼と奥様が開口一番声を揃えて、「道野さん、素晴らしいお料理でした。」とほめてくれたので、煽てられるとすぐに機嫌がよくなるぼくは、彼らの飲み代は今日はサーヴィス、とこころに誓ったのでした。
申し訳なかったのですが、息子さんとその彼女そっちのけで昔話で多いに盛り上がり、本当に楽しいひと時を過ごすことができました。そして、再会を約束してその日はお開き。
かつての人間関係から遠ざかって、料理にのみ明け暮れたこの30数年でしたが、この仕事を続けてきて良かったと思うこの頃です。
でも、福島に移ってきた当初は、実は随分悩みました。自分の行くべき道が見えなかった。20年豊中でやってきた仕事では通用しないと悟っていたから。営業状況もまるで芳しくありませんでした。もう後がないというのにどうすればいいのか。そこで、話題になっている色んなお店に食事にいきました。そして益々、混乱しました。自分が2周くらい遅れていると感じました。オレはなにもわかっていないし勉強もしてこなかった、こころからそう思いました。
若手の料理に打ちのめされ、その才能にため息ついて、でも投げ出すわけにはいかないから勉強を始めました。知り合いになった若い料理人に教えを乞うたこともあります。試行錯誤し、追いついたと思っては失望し、失望してはまた始め。
そして一周年フェアのディナーで、拙いながらもその成果を形にしました。全力投球のつもりでした。結果、連日の大盛況。移転後、初めて手ごたえを感じることができました。うれしかったな。
それまでは、どうすれば集客できるのかばかり考えていました。食べログで高得点とるにはどうしたらいいのか、とか、ミシュラン星つきになるにはどんな料理をすればいいのか、とか。
でも最終的にぼくが選んだのは、真っ向から勝負することでした。とにかくお客様の納得する料理をまじめに作ろう、と。
その気持ちは今も変わっていません。
最新の技術は喜んで学びます。でも、それがすべてではないとこのごろは思います。
流行を取り入れることは決して嫌いではありません。でも、それで埋め尽くすことは野暮だと思います。
最新のポルシェが最高のポルシェ、車好きがよく口にする言葉ですが、自分もそうありたい。でもそのためには不断の努力がかかせません。それをこれからも積み重ねながら、ぼくはこう言いたいと思います。「今の自分の料理がこれまでで最高です。」と。
長年音信不通だった人たちが訪ねてきてくれるのは、多分ぼくがまだ輝きを失っていないからでしょう。ならば、これからももっとそうでありたい。そして、いつも友人たちを自分の生涯における最高の仕事でもてなしたい。
ぼくのお店からでてくるお客様がみんな幸せそうな顔をしている、ぼくはそのことを夢見て、今日も仕事をしています。