傘がない
2011年 01月 19日
ぼくたちの仕事は常に食べ手を意識しながら進めていくものなので、基本的にひとりぼっちになることはありません。それに、職場を離れても、いつもどこかで料理のことを考え続けています。常時、アンテナが開きっぱなし、みたいな感じでしょうか。だからぼくにとって元旦の孤独は、年に一度のオフ日という得がたい一日なのです。
で、ちょっと動画でも観るかとパソコンを立ち上げて、まずはYouTubeでUAの「買い物ブギ」のライブを。なんか違うなあ、という感じだったので「数えたりない夜の足音」へ。そうそう、こうでなくっちゃ。次に井上陽水の「傘がない」のUAバージョンを。これがなかなか良かったので、それでは久しぶりに本家を聞くか、ということで井上陽水の「傘がない」を。
これが結構たくさんあったので、ベストテイクとサブタイトルのあるどこかの女子大でのライブ版にしました。久しぶりにみる陽水さん、けっこうおじさんです。でも、歌いだしからバキンと声が出ています。思わず引き込まれます。聞きほれているうちに間奏。ここでぼくは感動的な場面に出くわしました。歌っている途中で感情が激したのでしょうか、陽水の肩から喉にグッと力が入って、次に歯を噛み締め、出てくる息を留めようとするかのように一瞬頬を膨らませます。まるで泣き出したいのをこらえているかのようです。おい大丈夫?でも、その一瞬の後、彼は最後までハイテンションのまま歌い終えます。
「傘がない」が流行ったとき、ぼくは高校生でした。だから、そうとう古い曲です。陽水本人にしてみれば、何百回どころか千回以上も歌った曲でしょう。なのに未だ、歌うときに感情が激することがあるのか。ぼくはそのことに激しく感動しました。それにもう一つ。でも彼はその感情に流されず、それをコントロールして最後まで堂々と歌いきった、ということ。プロだなあ、と思いました。
そんなことがあって元旦は平和に過ぎ、ぼくの毎日が再び始まったのですが、正月休みの代休だった11日から13日の間に2軒のレストランに食事に行きました。ユニッソン・デ・クールとアキュイールです。いずれも若い注目株のシェフのお店です。
福島に移転して最初のころ、若手シェフのお店に食事に行くたびに気持ちが動転しました。自分のこれまでの怠慢と勉強不足を思い知らされたような気がして。なんとか追い付きたい、そう思って必死で情報を集め、試作に試作を重ねました。でも、やるほどに迷い、自分の進む方向が見出せず辛かった。あれから1年。
今では多少、冷静に分析することができるようになったようです。そして思ったこと。大切なのは、斬新さではなくむしろ丁寧さではないか、ということです。
かつての自分の仕事を振り返ると、ぼくはある程度構想ができあがった段階でもうメニューに載せる、ということをやっていました。細部の煮詰めはやりながらしていけばいいか、と。でも結局完成に至らず、中途で放り出した料理がどれだけあったことか。でも、今注目されている若手達の料理は違います。細部の構図まで出来上がっていてそこから始まっている。だから、完成度の高いものが最初から並んでいます。それはもう見事なくらい。そしてそのことは多いに見習うべきだと思います。
でも、だからといって同じ店に何度も行こうという気にはなりません。これは何故なのか。
多分それが今の流行なんだろうと思うのですが、料理がすべて小さい。そして何品もでてきます。それでは起承転結が読めない、というか流れがつかめません。それは丁寧な文章で綴られてはいますがショートショートの連続で、長編小説ではないのです。それはそれで一つのジャンルだとは思うのですが、すべてではない。例えば、ワイン好きには好ましくないのではないかと思うのです。どの料理にどのワインを合わせればいいのか判断できない。しかたがないからその時の気分で飲みたいものを選んでも、あう料理とあわない料理がでてきてしまいます。それなら、レストランにおけるソムリエの役割とは何なのか。研鑽して積み上げてきた力量をどこで発揮すればいいのか。また、彼らとその日のワインを吟味するお客様の楽しみはなくなってしまうのか。
奥深さに欠ける、と言ったら叱られるでしょうか。でもそれがぼくなどにはリピートに繋がらないような気がするのです。
でも、長編小説を書くには時間がかかります。今の時代にはそれがだめなのかもしれません。すぐに結果がでないと評判にならないのかもしれない。
ただ、評判になろうがなろうまいが、世の中には長編が好きな方もいるだろうし、それが書きたい人もいるでしょう。それなら、ぼくが書いてみようか、と。
幸い、料理人として過ごしてきた時間の堆積はたっぷりあります。そこに埋もれているものを現代の基準にあてはまるよう蘇らせて組み上げることはそれほど難しいことではありません。あるいはそのことで新しい感情が沸き起こって、高揚するかもしれません。
あくまで歌うのは今の自分であり、まとっているのは現代の衣装です。大切なのは、いつも瑞々しい感性を失わないことでしょう。そして、それをコントロールし、最後まで朗々と歌い上げることでしょう。
新しい一年が始まりました。困難の中での航海であることは変わりません。けれども、海図をもとに過たず進路を見据えれば乗り切れる、そう信じて生きていくつもりです。
「傘がない」からといって途方にくれず、君に会いに行こうと思います。