答を探して
2011年 02月 22日
振り仰ぎ 振り仰ぎ その都度こけながら (中島みゆき)
シェフと呼ばれるようになって以来一番たくさんされた質問は、「同志社大学の神学部を卒業したのに何故料理人になったのですか?」というもので、それについては何度か書いたことがあるので重複するところがあるかもしれませんが、もう一度書こうと思います。
そもそもぼくが入学する以前は、神学部の入学試験を受ける際には所属する教会の牧師の推薦状が必要でした。つまり、大前提として敬虔なクリスチャンであることが必須条件であったわけです。それが、60~70年代にかけての学生運動の成果(?)としてなくなり、神学部も一般生徒とかわらない条件で入試が受けれるようになりました。それに伴い募集数も増加し、いわば一種閉鎖的であった学部の門戸が解放されることになったのです。その一回目がたまたまぼくの入試試験の年度でした。
だから、今回は合格しやすいのではないか、と考えた人間も多数いたようです(ぼくもその一人でした。)。ただ、結果的には受験者数も増えたので、合格の倍率はかえって高くなったのですが、実際、そうして神学部に合格して、二年次に他の学部に移った生徒もたくさんいました。
そんな年だったので、少ない生徒数ながら色んな人物がいて楽しかった。けっこう自由な雰囲気だったと思います。
けれども基本的にはキリスト教布教の人材を養成するのが目的の学部ですから、卒業後の進路としてはまず教会の牧師、あるいはキリスト教系の学校の教師、というのが大多数を占めます。だからぼくも四回生になったとき、悩みました。牧師か、教師か。
でも、そのどちらにも自信がありませんでした。ほんとにおれに出来るのか?
いずれにしても語る仕事です。それは問題はないかもしれません。母親に、「男のしゃべりはみっともない。」と常々言われる子供だったので。でも、おれに語る資格なんてあるのだろうか。ましてや、人を導いていいものなのか。
なんか胡散臭いよな、というのが本音でした。それより、もっと確かな仕事の方がいいのではないか。
というようなことを考えていたとき、たまたま、当時お付き合いをしていた女性と彼女のバイト先のレストランに食事に行くことになりました。そこで生まれて初めてフランス料理なるものを食したのでありますが、正直、おいしかったのかどうかわかりませんでした。なんかややこしい食い物やなあ。
食後、シェフが出てきてくださったので、何気なく、「こんな職業もいいですね。」と言ったところ、即座に「やめとき。」と言われました。「この仕事は、わしが白やと言ったら、大卒の君が黒やと思っても通りません。理不尽な世界やからきっと辛抱できひん。そやからやめとき。」。そのとき、これや、と理不尽にも思ってしまったのです。そんな世界で一人前になれたら、自分は他人に対して胸を張って言えるのではないか。人間、やりたいことやればいい、と。
そして卒業後そのレストラン、京都市北区の「ボルドー」に無理を言って就職させてもらいました。なにしろつてはそこにしかなかったから。今でも、そのお店の大溝隆夫シェフには本当にご迷惑をおかけしたと思います。なにしろぼくは林檎の皮もむけなかったから。 あれから30数年、シェフと呼ばれるようになって21年たちました。一応、目標には到達したわけですが、だったら胸を張って人に自慢できるかというと、これがそうでもないんだなあ。
自分は道を間違えたのではないか、そう思ったことは何度もあるし、世の中に必要とされていないのではないかと、これは今も時々思います。なんや、全然進歩してないやん。
料理人になった根拠は説明できるのですが、結果はまだ先送りです。でも、ひとつだけ言えることは、自分は料理人としてこの人生を全うするであろうということです。そして、多分、後悔はしないでしょう。
今朝、郵便受けに一通のハガキが入っていました。そこには、北浜のフレンチの名店「ラ・クロッシュ」が今月の26日で閉店すると書いてありました。
ぼくはこのお店に一度も足を運んだことがありません。食事に行ったマダムの話を聞いたとき、行くまい、とこころに決めたからです。それは何故か。ぼくは羨ましかったのです。周りにはたくさん人が歩いててね、窓から川が見えてね、とっても綺麗なお店だった。
そんなところに店を持ちたい、ぼくはほんとうにそう思いました。当時、ぼくの店は成績が芳しくなく、苦しんでいたのでよけいそう思ったのでしょう。そうして、羨ましがるであろう自分が許せなかった。だから平常心で行けるようになるまで我慢しようと。
なんだか、自分のことのように辛い気持ちです。勿論、オーナーシェフの川田さんはもっと辛いだろうけれど、ぼくも人事とは思えません。おれがこんなに頑張っているのに先に白旗あげるなよ。おれの憧れの店をたたむなよ。
でも、答はまだ先送りです。彼とはきっとまた会える。同じ土俵で、お互いを称えあえる日がきっと来る。
随分遠くまで来たような気がします。でも、それが昨日のことのようにも思えます。
本当は、何故料理人になったのか、まだ答を見つけていないのかもしれません。だから、川田さん、その答を見つけに行こうぜ!