逝く春に
2011年 05月 11日
全世界のカトリック教会の頂点にいる人がなんと素直に心情を吐露するのだろうかと、ぼくは驚きました。でも、今回の大震災は、彼をしてそう答えざるを得なかったほど不条理なことであった、ということなのでしょう。
被災地で、せめて聞き役になろうと出かけていったある牧師が、かたくなに口を閉ざす人たちを前に、宗教の無力を痛感させられた、と語っている記事もありました。確かに、自然が神様、あるいは宗教と密接に結びついていることを考えると、今回の出来事は、神の行為と考えるにはあまりに理不尽すぎるように思えます。でも、そのような理不尽はぼくたちの周囲で、規模の大小に関わらず起こりうることではないでしょうか。
長年ぼくの店の常連客として通ってくださっていたKさんの死も、ぼくにとっては不条理を感じさせる出来事でした。寝耳に水、とはこのことでしょうか。あまりに突然のことだったから、悲しみよりも驚きの方が先立って、実際、今でも信じがたい気持ちです。
初めて来られたとき、ぼくは、Kさんがいわゆるリピーターにはなってくださらないだろうと思いました。いたってクールというか無表情で、正直、あまり楽しそうにはみえなかった。決して手抜きをしたわけではないけれど、だからといってすべての人に受け入れていただけるような種類のレストランではないことをぼくは自覚しているので。でも、ぼくの第一印象に反して、それからはことあるごとにぼくの店を訪れてくださるようになりました。一人息子のMくんのお誕生日は、毎年の恒例行事にもなりました。
これは同業者間の共通の意見なのですが、最初に大いに喜んで、すばらしいと持ち上げ、次はみんな連れてくるから、と仰るお客様に限ってそれっきりになることが多い。でも、最初は不機嫌そうなお客様が意外とリピーターになってくださることって意外とあるものなのです。Kさんお場合もそうでした。
奥様と息子さんの希望を優先しておられるのだ思っていたら、ある日、奥様がこう仰いました。「ちがうのよ。いつもパパがミチノ君のところに行こうって言うのよ。」。
そう言えば、お帰りの際ご挨拶にでると、いつもクールなKさんがそのときにはニヤっと笑顔で、「頑張りや」と必ず仰ってくださいました。ポンと肩を叩くその感触はいつも柔らかだった。
高校生だったMくんが大学に行き、その後アメリカへ渡り、帰国し、社長になってかわいいお嫁さんももらって、でも、お誕生日はいつもぼくの店で、それはこれからもずっと続くと思っていたのですが。年齢もぼくより5歳上だけなのに。
なにがぼくたちを分け隔てするのか。なぜ、逝くものと残るものとがあるのか。
神様は答えてくれません。でも、それはそうなのです。理解できないから神様なのです。人智を超える、ということはそういうことなのですから。
ならば残されたものはどうすればいいのか。できることは多分、問い続けること、それだけでしょう。これでいいのでしょうか、ぼくは間違っていませんか、努力は足りていますか、それとも、まだ足りませんか。
疲れたとき、肩にポンと手を置かれたように感じます。「頑張りや」その声に励まされてぼくは進もうと思います。