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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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サクラサク

16年前のことです。そのころ、ぼくとマダムはまだ結婚していなかったのですが、店が忙しいときには手伝ってもらい、ときには食事を作ってもらったりしていました。
 仕事が終わったある夜、ぼくが用意してくれていた晩御飯を食べていると、前に座っている彼女がにこにこして「ちょっとそれ見てよ。」といいます。そういえば、何か白い棒状の、上部に四角い枠がくっついている小さなものが脇に置かれています。「何、これ?」と問うと、「上の窓の中にハートが出てるでしょ、」と続けます。だから、これ何?「できたんだよ。」「何が?」「子供だよ。」「誰の?」「あなたのに決まってるじゃん。」。しばらく沈黙。その後、ぼくは呟きました。「えらいこっちゃ。」
 で、今度はぼくが聞きました。「どうやったらこれで妊娠がわかるわけ?」。彼女の返事は簡単でした。おしっこかけるんだよ。「ばかもの!ご飯と同じテーブルにこんなもん置くな!」。語気は激しいけれど、ぼくの顔は笑っていました。
 それからしばらくしてぼくたちは入籍し、大阪と、彼女の郷里の岐阜でささやかな披露宴をし、自他共に認める夫婦になりました。ぼくが42歳、彼女が27歳のときでした。
 お腹が大きくなって、これ以上ジャケットのボタンがずらせないというときまで仕事をして、いよいよ彼女は産休に入りました。子供の名は悠(はるか)。まだ男か女かわからないときに、でも、お腹の子供に呼びかけたいというので、男女兼用の名前をぼくが考えました。男なら悠、女なら遥。で結果は悠。
 そして出産予定日に、なんとぼくは、今はもう無くなってしまった西宮北口のスナック「マイ夢」でカラオケ。なんとなく落ち着かなかったんでしょうか。曲の順番待ちのときに携帯電話がなりました。「お腹が痛くなってきたから帰ってきてください。」。御免、帰るわ、子供生まれるねん、そう言うとみんなが盛大に拍手してくれました。全員にビールおごっといて、そう言い残して急いで帰宅しました。
 車に荷物積み込んで、彼女を乗せて産婦人科へ。さあ、いよいよ立会い出産です。
一進一退の攻防とでも言うのでしょうか、赤ちゃんの頭が少し出てはひっこみ、また出ては引っ込み、それが何回も繰り返されて、やがて頭がすっかり出て一気に誕生。その瞬間、ぼくの頭の中にバカボンのパパの言葉が鳴り響きました。「これでいいのだ。」
 そうか、生きるとはこういうことなのか、と悟りました。人は命を順に橋渡しするために存在するのか。パズルの最後の1ピースがカチンとはまった感じ。そしてぼくは思ったのです。これからは、よい人になろう。何故かはよくわからないけれど、そうでなくてはいかん、と思ったのでした。
 悠のあとに曜(ひかり)と臨(のぞみ)の二人の女の子が生まれました。姓が道野だから、道のはるかに見えるのは何か、それはひかりだろう、ということで長女の名は決まりました。はるか、ひかり、と来れば後はもうのぞみしかないやろ、ということで次女の名前は決定、いささか安易すぎる命名です。でも、2001年生まれで、新しい世紀に臨む、あるいは逃げ隠れしないで真正面から臨む、そういう意味もありました。3人とも、健康でいい子たちです。
 さて、その悠が高校受験になりました。最初の私学は難なく合格。そこで勢いにのって前期試験で、両親はいささか高望みの公立高校受験をけしかけたのですが、これはやっぱり不合格。そこで後期では、本来志望していた高校に変更して受験。
 一週間後の合格発表の日、一人で合否を見に行きたいという息子にぼくたちは、こう言いました。「合格したらサクラサク、落ちたらサクラチル、そう電話で言うんやぞ。」
 なにごとにものんびりな悠は、なかなか電話をよこしません。随分たってから、やっとマダムの携帯電話が鳴りました。マダムが右手の親指を立てます。照れくさそうに、「サクラサク。」それだけ言って、電話を切ったそうです。
 結局、悠はその公立高校に進学することになりました。やれやれ。でも、これからうちの子供たちは、続々と同じコースをたどります。そうこうするうちに悠の大学受験、それが終わっても、あと二人。全員が順調に進学し、卒業するころ、オトーサンは70歳か。えらいこっちゃ。
 すでに近くのものは見えず、体は思うように動かず、記憶力も減退気味。これであと11年もやれるのだろうか。でも、やらねばならんのだ。
 かといって、ぼくは子供たちに、お前たちのために頑張っているんだ、なんてことを言うつもりは全くありません。それはぼくの父が、子供のころのぼくに常に言っていた言葉で、ぼくはそれを聞く度に、自分が両親を苦しめているように思えて辛かった。むしろぼくの気持ちはそれとは正反対のところにあります。
 子供たちがいなければ、ぼくは今、こんなに懸命に働くことはなかったでしょう。もういいか、多分そう思っていただろうと思います。でも、彼らがいるから、ぼくは自分の持てる力を出し尽くして人生を終えることができる。感謝すべきはぼくの方でしょう。
 もう一度、ぼくはぼくの時代を築き上げてやろうと思っています。もう一花満開に咲かせて、心残すことなく散っていこう。それができるなら、これ以上幸せな人生はないのではないか。死力を尽くして、近い将来、子供たちにこう言えるようになりたいと切実に願っています。
 「オトーサン、サクラサク。」。
 
勧酒
 この杯を受けてくれ
 どうぞ なみなみと注がしておくれ
 花に嵐のたとえもあるぞ
 さよならだけが人生だ
    干武陵 作、井伏鱒二 訳
by chefmessage | 2012-04-01 20:48