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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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戦士の休息 釣行編

今年のぼくの夏休みは、北海道の河原くんのところに行こうと決めていました。お盆明けの4日間、うち一日は釣り、もう一日は河原くんのお店「メランジェ」で料理フェアということでスケジュールを調整し、旭川到着の二日目が念願の釣りの日と決定。狙うのは日本最大の淡水魚、アイヌの人たちに「川の神様」と呼ばれ、また、「幻の魚」とも称されているイトウです。漢字で書くと魚偏に鬼。
 ぼくはこれまでに96センチ、74センチ、というのを釣ったことがあるのですが、聞けば、140センチのものも釣られたことがあるらしい。たかが数センチといっても、体高と重さが随分変わるので、やはり大きなものは迫力があります。いつか1メーターを越えるものが釣りたいというのは、釣り人にとっては当然の欲求でしょう。でも、これがそう簡単には釣れないのです。現に、旭川に18年もいる釣りマニアの河原くんは、いまだに一匹も釣ったことがありません。これは、彼の日ごろの行いが悪いというわけではないようです。
 ただ、今回は強力な助っ人を河原くんが見つけてくれました。嵯城くんという若いコックさんなのですが、なんとイトウ釣りの達人で、今年釣ったメーター超えのイトウはすでに7本!その嵯城くんが自らの運転でガイド役を引き受けてくれる、ということで大いに期待しての釣行です。
 夜明け前の午前4時に旭川出発。でも出発して早々に悪い知らせが。前日にかなり雨が降って、川の状態が芳しくないということです。いや、まいったな、オレ、すごい楽しみにしててんけどな、とボヤくと、嵯城くんが言いました。「いや、それならそれで釣れそうなポイントを探します。」。おお、素晴らしいガイドやないか。
 午前6時半くらいに目的地付近に到着。それから、あっちこっちのポイントを巡りました。
 嵯城くんのランドクルーザーで、道なき道を踏み越えていくのですが、彼が時々不思議なことをします。まったくの藪の中でもクラクションを鳴らすのです。それも何回も連続で。他の車とすれ違うはずもないのに何故?と問うと、彼が答えました。「羆避けです。」。そういえば彼の腰には、「アルプスの少女ハイジ」に出てくる牛の首にぶらさがっているような大きな鈴が結びつけられていて、それも同じ目的なのだそうです。人がいるよ、とクマに知らせて、クマに避けてもらうのだとか。それでも不運にも遭遇してしまったら、その時はこれしかありません、と、同じく腰には熊撃退スプレーが。それも二本。強烈なトウガラシエキスが入っているらしいのですが、実際にそのような状況でそれを取り出してクマの顔面に向かって吹きつけられる自信はぼくにはありません。まったく恐ろしい釣りやなあ、でも、もう来てるし。
 で、本流を攻め、支流に分け入り、あるいは合流点にたたずみ。でも、釣れない。増水で、絶好の釣り場に降りれない。ポイントが遠すぎて仕掛けは届かず、流れが速すぎてルアーが沈まない。あるいは濁っていて、とても釣れる状態じゃない。巨漢の河原くんは崖から滑り落ちそうになって嵯城くんに助けられ、ぼくはロッド(竿)を折って意気消沈。リールは空転し、ラインはからみ、プラグやスプーンをいくつも根がかりで失い。それでも攻めて攻めて、あきらめずに攻めて。
 夕方、さすがに疲れて、ちょっと休憩と川原に座りこみました。
 そして何故か、なんの脈絡もないのに、こんな考えが浮かんできました。そういえば、オレっていつも何かに対して戦ってきたなあ、と。そして多分、これからもずっと、息をしなくなるその瞬間までそれを続けるんだろうな、と。
 しかし、それはぼくだけではないかもしれません。姿、形は違えども、すべての人が、あるいはすべての生物が戦っているのかもしれない。この世に生を受ける、ということはそういうことなのかもしれない。
 でも今、ぼくの前に川が流れていて、緑に包まれた山があり、その上に雲、その上に空があり、ぼくの息が周りの空気と溶け合い、自分が一部に過ぎないということに思い至ったとき、ぼくのこころは軽くなり。
 「疲れましたか?」と嵯城くんが問います。「いや、これからやで。」とぼくは答えます。「それなら最後に、とっておきの虹鱒のポイントに案内します。」と彼がいいます。ああ、いい男だなあ、とぼくは思います。
 多分、とっておきのポイントも、今日のこの状況なら難しいでしょう。だけど、それでもいい。釣れなくてもかまわない。こういう休日があっただけでぼくは十分だから
 ぼくはもう一度、北海道の空を見上げて、すこしやさしい気持ちになってつぶやきます。
        本日は晴天なり。 

 
 
by chefmessage | 2012-09-02 18:39