戦士の休息 メランジェ編
2012年 09月 05日
そして次の日は、かねてより計画していた「メランジェ」でのミチノフェアです。
これは、営業を休んで釣りに付き合ってもらうお礼、ということでぼくが提案したのですが、河原くん経由のフェイスブックでお知り合いになった旭川の方たちの要望もあって実施することになりました。
当初は「メランジェ」常連様対象ということで、ぼくも気軽に考えていたのですが、口コミだけで予約が殺到。6時と9時の二部制にしても入りきれないという連絡を受けて、これは気合入れてかからないといけない、と考えを改めました。手抜きは河原くんの面目にかかわります。それでは師匠として申し訳ない。
オードブル3品とメインの肉料理をぼくが担当し、魚料理とデザートは店主の河原くんに任せることにしました。全品ぼくがやってもよかったのですが、これまでの経験上、何品かはそのお店の味にしないと、常連のお客様に物足りなさが残ることを知っていたので、そのように分担することにしたのです。
事前に何度かメニューの打ち合わせをし、足りない調理器具と食材はこちらから送る手はずをととのえました。今回は、新作は1品のみ。あとは必殺技で撃沈、という作戦です。
朝から真面目に仕込みをし、万全の構えで臨みました。
そして午後6時。最初のお客様登場。旭川の郊外で農業を営む野村さん。ぼくのリクエストに応えて、トレードマークのトマト帽をかぶっての来店です。でも顔を見ると汗まみれ。「野村さん、ありがとう。もう帽子、脱いでもらっていいよ。」と言ったのですが、「イヤ、最後までこれで通します。」と言い張ります。いや、ほんとにいいから、と言ってやっと脱いでもらえました。大阪の人間ならばけっこう平気なのですが、北海道の人がこういう行動を貫くのには勇気がいるのを知っているから、ほっと一安心。でも、野村さんのおかげで、余分な緊張感は少しうすれました。それから続々とお客様ご来店で、戦闘開始。
それにしても暑い。だいたい外気温が33度ってなんやねん、北海道に来た値打ちないやないか、そうボヤきながら、しかし暑いなこの調理場、狭苦しいしカワハラでかいから邪魔やし、フォアグラうまいこと焼けへんし、そもそも休みやのになんで仕事せなあかんねん、と、ぼくはイライラ、爆発寸前。で、ふと顔を上げると、お客様全員とてもいい顔して食事しておられる。あ、よかった。河原くんのパートナー、ムツミさんが「シェフ、すっごく受けてます。」と報告してくれます。「ま、オレ様の実力やね。」とか言いながら、内心すごくいい気分です。
そんな調子で二回戦なんとか終了。美人と記念撮影し、常連さんと握手し、ほめられ、尊敬のまなざしで見られ、笑い、笑わせ。
でも、このフェアの大成功は、ほんとうはぼくの力ではありません。これは河原くんの18年におよぶ努力の結果だと思うのです。彼が、この旭川で頑張って、根気強く支持者を増やしてきたから、彼が師匠と呼ぶぼくの料理が受け入れられたのです。ぼくはそのことがうれしかった。
ぼくが旭川にいたのは、もう24年も前のことで、それもほんの1年いただけにすぎません。でも、そのときぼくが蒔いたのであろう小さな種が、今こうして花咲いている。自分のつたない人生が、それでも無駄ではないと教えてくれているような気がして、むしろぼくは河原くんと、彼を支持する人たちに感謝の思いでいっぱいでした。
打ち上げは、前夜と同じ「こばちゃん寿司」。店主のこばちゃん67歳は、旭川の繁華街さんろく(3条6丁目)の生き字引で、河原くんが尊敬してやまない人物なのですが、お話しているとほんとに面白い。やさしい口調で、でも時に辛らつで、根は熱血漢だとお見受けしたのですが、帰り際に、ぼくにこう言ってくれました。河原くんが、自分が旭川でやっていけてるのはミチノシェフのおかげだ、と話していたのを聞いたからでしょう。
「旭川に新しい風、運んでくれてありがとね。」。
う、泣かせるぜ、こばちゃん。
来年、また来るからね、それまで元気でね、ぼくはそう言いたかったけれど、言葉につまってしまいました。不意打ちやったもんなあ。
ホテルに戻って、明日帰るのいややな、と思いました。また、苦しい戦いの日々が始まる。でも、今回は随分、追い風をもらいました。だから、それをいっぱい帆に受けて、行けるところまで行ってみよう。そうして、また旭川に来ることができたなら、そのときは一年分のオレ様の成長をお見せしよう、このオッサンはまだ成長しとるんかい、そう言わせてやろう、と、思ったのでした。
「メランジェ」の壁にぼくの落書きがあります。思いついて書いてきました。
All for one,One for all.(すべてはひとつのために、ひとつはすべてのために。)
明日も晴れるといいな。