メメント・モリ
2012年 10月 05日
聞けば、すでに2回入院した、と言います。それでも再発がやまず、来週に3回目の入院をするのだとか。そして「多分、それで終わりやろうな。」と。
言葉を失って立ち尽くしていると、「元気そうでよかったわ。それじゃな。」と笑います。どうしていいのかわからなかったぼくは、ただ黙って見送りました。
しばらくして、Nと共通の友人であるMからメールが届きました。Nの奥さんとMの奥さんは高校の同級生だったので、頻繁にお見舞いにいったり、連絡を取り合っていたようです。「Nは退院して在宅医療にきりかえるそうです。時間があるときに会いにいってやってください。」。
でも、ぼくは行こうとはしませんでした。何を話せばいいのかわからなかったから。
ある日、再度Mからメールが届きました。「意識の混濁が始まっているようです。」。
夜の営業時間中でした。でも、ぼくはすぐに行こうと思いました。お客様には申し訳ないけれど、最後のメイン料理を出し終えたら、行かせていただこう。
実はぼくは方向音痴なので、何度も道を間違えます。同じ場所をぐるぐる回って。
やっとたどり着いてブザーを鳴らすと、Nの奥さんが入り口の扉を開けながら、「道野くんのこと、もうわかれへんかもしれへん。」と言います。「もっと早く来るべきやったのに、悪かった。」と言いながら、ベッドに横たわっているNと対面しました。右目は完全にふさがり、左目もわずかに開いているだけです。やせおとろえておじいさんみたいになっている。彼の手を握りながら、彼の家族と話しました。時々、握った手に力が入る。なにか言いたそうに口を動かす。呼吸が苦しそうです。もう休ませてあげよう、そう思って帰りかけた時、彼の顔が動きました。「道野くん、お父さん、今、笑ったわ。」。
二日後、彼が息をひきとったという連絡が入りました。再度、会いに行きました。顔に触れると、わずかに温かかった。不器用な男でした。決して楽な人生ではなかったことをぼくは知っています。けれども、彼は懸命に生きた。だから、ぼくは彼の友人であったことを誇りに思っています。
今回、ぼくは悲しい話を書きたかったのではありません。むしろ、前向きな話を書きたかった。Nの死が早かったのかどうか、ぼくにはわかりません。でも、それは悲しさだけではなく、かすかなさわやかさをぼくに伝えてくれました。彼は、自分の務めをしっかり果たして亡くなりました。すくなくとも、それぞれが自立できるようになるまで家族を守りました。立派だと思います。
時々ぼくは、自分の仕事がほんとにちっぽけだと思うことがあります。料理を作って、人に食べてもらって生活の糧とする。つまらん仕事やな、とため息つくこともあります。
でも、今更他の仕事ができるとは思えません。それならそれで、真っ当にやってやるか。自分もNみたいに、懸命に最後まで生きようか。そして、オレも頑張ったやろ、と笑ってみせようか。
悲しみも喜びも混ぜ合わせになって、一日一日が過ぎていきます。そして、いつか、それも終わりを迎えます。それまでにせめて、自分の責任だけはしっかりと果たしたい。
先週の土曜日、帰宅すると次女の臨(のぞみ 小6)が居眠り半分でTVを観ていました。「もう寝たほうがいいんとちがうか。」と言ったら、「うちにはDVDレコーダーがないから、眠くても最後まで見なあかんねん。」とつぶやきました。
次の休みには、家電屋さんに行こうと思います。娘の喜ぶ顔が見たいから。そんなささやかな日常が、とても大切に思えます。