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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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食の都大阪グランプリ

 毎年この時期になると、「食の都大阪グランプリ」という催しが行われます。これは、大阪の商工会議所が主催する料理コンテストで、テーマは「大阪らしさを表現した一品」。和・洋・中華・デザートの4部門があって、プロの料理人が対象です。今年は3回目。このコンテストの面白いところは、審査がまったくのブラインドで行われ、応募者がどこのだれかわからない状況で、純粋に料理そのものの出来の如何が問われることです。
 一回目の案内が来たときは、審査員のなかにラ・ベカスの渋谷氏やポンテヴェッキオの山根氏が名を連ねていることに興味を覚えました。そして思ったことは、もし自分に審査員の要請があったとき、それに応えるだろうか、ということでした。その答え。「オレなら審査される側に回るな。」。
 渋谷氏や山根氏とは比べ物にはならないでしょうが、ぼくもともすれば「大御所」的に持ち上げられることが増えました。多分に年齢や開店以来の年月のせいだろうと察するのですが、ぼく自身としては、そういう扱われ方には常々違和感を覚えています。だから、むしろ挑戦する側でありたいな、とそのときには思ったのです。自分が大御所と呼ばれるほどの力を今でも本当に持っているのか。一個人として、今でも自分は戦っているのか、あるいは、まだ戦えるのか。
 でも、そういうコンテストですから、応募には勇気が必要です。躊躇しているうちに、一回目の応募は締め切られました。
 そして翌年。また案内が送られてきました。そして、ぼくは応募しました。
 料理のレシピ、原価表、そして料理説明や応募の動機などを規定の用紙に書き込み、料理写真を添付して送ったもので一次と二次の審査が行われます。これを通過した各部門4名、合計16名が実技の決勝に臨みます。各部門で最優秀賞1名が選出され、最後に、最優秀賞4名のなかから1名が、その年の「グランプリ」として選出されます。
 ぼくのその年の結果は「佳作」。決勝にはすすめませんでした。料理の評価そのものはよかったのですが、原価、売価が高い割にはボリュームがない、ということがマイナス要因とされたようです。なるほど、そういうことか。というのも、うちの店はコースのみなので、一品料理というかア・ラ・カルトの感覚を忘れていたのです。メインの料理は少量で質の良いもの、そういう感覚が身についてしまっている。でも、この結果は悔しかった。「来年もやったる。」。

 そして、今年も応募しました。届いた知らせは決勝進出。
 決勝は辻調理師学校のエコール辻で行われました。
 慣れない調理場で仕事するのは難しいものです。辻調の若手の先生が助手で一名ついてくれるのですが、とにかく使い辛い。どんどん時間が過ぎていきます。それでも制限時間の90分には完成させることができました。それから随分待たされてやっと審査発表です。
 大きな階段教室の壇上に促されて、決勝進出者16名が並びます。すぐ前に門上武司審査委員長がいます。畏友はぼくの姿を見て、「ひとりだけ年寄りやで。」と冷やかしてくれます。「わかってるわい。」とぼくはこころで思います。ポンテヴェッキオの山根氏が驚いた顔でぼくを見ています。なかたに亭の中谷氏も審査員席からぼくを見ている。
 本当はとても恥ずかしかった。若い人たちにはさまれて、おっさんがひとり。これで最優秀賞に選ばれなかったらどうしよう。
 でも残念ながら、ぼくは選ばれませんでした。わかってはいたけれど、体が震えるほどくやしかった。
 決勝の実技は各部門ごとに一教室4名で行われるのですが、なかに一人、自信たっぷりに見える人がいました。聞けば、去年も決勝に出たらしい。でも最優秀には選ばれなかったので、かなり対策を練ったらしい。場所にも慣れている様子です。これはオレはあぶないな、と、こころでひそかにおそれていました。
 そして、結果はやはり彼が最優秀に選ばれました。
 ぼくは料理そのものには自信があったけれど、それがテーマにあっているかどうかについては危惧を抱いていました。大阪度数はあまり高くなかったから。いつもそうなのです。ぼくは自分のやりたいことを最終的には前面に押し出してしまう。それが相手にとって容認できるものかどうかまで忖度しようとしない。

 敗因は理解できました。負けるべくして負けたな、と。それでも情けなくて、夜の営業に店に戻っても仕事になかなか集中できなかった。
 帰宅して、考えました。どうすれば来年は勝てるのか。いくつも料理を考え、修正を加え、また別の料理を考え。
 新聞配達のバイクの音が聞こえ、空が明るくなり始めたころ、やっと輪郭がまとまりました。メモし、大切にしまいました。1年かけて完成させていこう、そう考えて、やっと眠りに就きました。
 「料理人は毎日、試しつづけなさい。」。ある老いたフランス人シェフが言っていました。転がる石にコケはつかない、とも言います。ぼくは、大御所ではなく、いつもスタート地点に立つ小僧でありたいと思います。だから、
 来年も見習いの着用する青いエプロン姿で、ぼくはグランプリの決勝に出るつもりです。
 
 
 
by chefmessage | 2012-12-04 19:58