恋の神楽坂
2013年 02月 06日
井上陽水の歌に「恋の神楽坂」というのがあって、どちらかというとマイナーな曲なのですが、陽水らしい意味不明な歌詞と旋律がぼくはけっこう好きだったから。
ちょっと歩いてみたいな、と思ったのですが、予約した時間が近づいていたので、角の交番の前に立っていた婦警さんに地図を示して、ここに行きたいんですが、と尋ねました。すると、想像していた通りの答え。「まるっきり逆方向です。」。実はぼくは、方向音痴なのです。急いで引き返しました。A1出口の前を早足で通り過ぎて、すると目印のコンビニがあって、その角を曲がり、二つ目の信号を右折し、しばらく行ったら左折、と思ってたちどまったら、何故か目当てのお店の前にいました。その名は「ル・マンジュ・トゥー」。谷 昇さんのレストランです。
ぼくの店の調理場には、ずっと谷さんの「素描するフランス料理」という本があって、実はそれは、ぼくのバイブルに等しい本なのです。それが発刊されたのは随分前なのですが、当時のぼくは勢いはあったけれどアイデア先行型で、基礎の足らなさを実感していたから、じっくりとソースの解説などが書かれてあるこの本は、本当に勉強になりました。だから、一度お会いして、その人の料理が食べたかった。ぼくは、わくわくしながら、そのお店の扉を開きました。すると、いきなり谷さんが目の前にいて、「ミチノさん」と大声の笑顔で右手を差し出している。ぼくは初対面なのに、昔の戦友に会った様な気分になって、「谷さん」と言いながら、満面の笑顔でその手を握りました。
二階のホールに案内され、饗宴が始まりました。一つ一つが丁寧で、抑制のきいた料理です。基本はクラッシックなんだけど、盛り付けは若干今風。それが、今でも最前線であろうとする意気込みに思えてうれしくなります。きっと、若い料理人のこと意識して見ているんだろうな。ただ、味のバランスは、ベテランらしい精妙さです。そして、意味の無い仕事がない。自分もこうありたいと思いました。
すべて食べ終えて。すると、谷さんのもとで長年マネージャーをやっておられる楠本典子さんが、下で谷さんが待っている、と仰る。降りていくと厨房に面したカウンターがあって、すぐ前で谷さんがまな板洗っていました。
だいたい、シェフがまな板を自分で洗ってはいけません。そういうのは下っ端の仕事で、そこまでシェフがやるお店は繁盛しません。なぜなら、そういうお店はいつもシェフがいないと動かないから、効率が悪く、多店舗化もできない。一軒の店にかかりっきりになっていては、儲かるはずがないのです。でも、そういうぼくも、
朝一番の仕事は玄関の掃除です。一日の仕事の終わりはダクト清掃です。疲れた日は、明日にしようと思う。もう歳なんだから、こういうのやめようと思う。でも、やらないと自分を甘やかしているようで。
だから、似た物同士なのでしょう。お互いの修行時代の話、今時の若い子に対する小言、あれやこれやの苦労話。谷さんは営業が終わってから仕込みしたりするので、家に帰れないことが多い。だから、上に仮眠できる場所があるそうなのですが、お風呂がないと言うのです。そういうときは厨房の大きなシンクにお湯をためて行水するんですよ。丁度、足のせるのにいい台が前にあって、でも、オレなにやってんだろ、と時々いやんなって・・・。
涙がでるほど笑って、話がはずんで。そして、時々真面目に決意を述べあって。
最後にお店の全員と握手し、再会を約束して別れました。とても気分のよい夜でした。
大阪に帰ってから、谷さんに感謝の手紙を出しました。「大阪には同世代の料理人がいないので、時々、夜道をひとりで歩いているような気分になることがあります。でも、谷さんに会って、勇気をいっぱいいただきました。」という内容でした。
数日後、谷さんから電話がかかってきました。「ミチノさん」と、また大声で始まって、お手紙ありがとう、自分も本当に楽しかった、というようなことを話されました。そして最後に、「ミチノさん、夜道の一人歩きなんか、しちゃだめですよ。」と。
ああ、この人はわかってくれているんだ、とうれしくなりました。同じ時代に生きて、同じ感性で人生をとらえているんだ、と。まさに戦友と呼ぶにふさわしい人物にぼくは出会うことができました。
ラ・フィネスの杉本敬三君も、毎年フェアしようと言ってくれているから、その時には必ず「ル・マンジュ・トゥー」に行こうと思います。そして、その日はすこし早めにホテルを出て、神楽坂をのんびり歩いてみるつもりです。
帰りは気楽な歌で 神楽坂をくだって
時計が 夜店の先で 祭りばやしの店じまい
井上陽水 「恋の神楽坂」