ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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 地図のない旅 1

 大晦日のことです。ぼくのこころない一言がうちのマダムを激怒させてしまって、ぼくはおおいに驚きました。多分、彼女は長年にわたって、数え切れないほどの我慢を抱え込んできたのでしょう。それが瞬間に堰を切って、一直線にぼくに向かってきました。結婚して以来、一度もそういうことがなかったので、不意をくらって、ぼくはたじたじになり、ぼくのこころも折れそうになりました。いつも一緒にいて、ぼくを支え続けてくれた人、その人からの攻撃は防ぎようもなく。
 そのショックから回復できぬまま年が明け、慌しい日々が始まり、気がつくと東京の杉本敬三とのフェアが間近にせまっていました。なんとかぼくの料理の輪郭だけを決め、必要なものを宅急便で送り、飛行機に乗って。
 今回の東京滞在は3日間で、初日は打ち合わせ、2日目が仕込みなどの準備とフェア本番で、3日目は昼にどこかで食事をして夕方の飛行機で帰る、という予定です。でも、どうにもテンションがあがらない。いつもの調子が出てこない。そこで、初日の打ち合わせは早々に済ませて、一人で食事に出かけることにしました。こんなときは、おおいに盛り上がる店に行くにかぎるということで、行き先は牛込神楽坂。盟友、谷昇シェフの「ル・マンジュ・トゥー」です。予約を入れると、満席だけど断るわけにはいかんでしょう、ということで、厨房前の特別カウンター席にお邪魔することになりました。

 最寄の駅に着くと、時間が早かったので、念願の神楽坂探訪です。上から下まで行ったり来たり。でも、まあ、普通の商店街という感じかな。
 で、「ル・マンジュ・トゥー」の扉を開けると、厨房で谷さん、電話で打ち合わせをしている。「いや、そういう料理はぼくはやりたくありません。どうしても、ということなら、詰め物は別にします。それでいいですか?あ、ご理解いただいてありがとうございます。それでは、よろしくお願いします。」。うわ、いきなりわがまま言うてるわ、と思って、なんだかこちらもニンマリしてしまいます。
 「いやー、道野さん、どうも!」とがっちり握手して、その夜のディナーは始まりました。
 ぼくとの話に夢中で、オーダーの数がわからなくなったり、料理の順番があべこべになり、マダムの楠本さんに注意されたり。でも、生き生きと、しかも的確に動く谷さんはかっこいい。「オレ、かっこわるいこと、絶対にいやだから。」という発言は、ぼくとの最も大きな共通点です。「道野さん、生粋の大阪人?オレは江戸っ子なんですよ。生粋同士は気が合うんだね。」とうれしいことを言ってくれます。去年、初めてお伺いするときは、予約を入れてくれた敬三が、「いきなり大喧嘩するか、最初から意気投合するか」と気を揉んだ我々ですが、お互い話題は尽きず、楽しい時間はどんどん過ぎていきます。料理も素晴らしくて、メインの鴨などは、生涯で一番のおいしさだったな。
 でも、こういうことも言ってました。「うち、めんどくさいことは全部、かみさんがやってくれてるんですよ。かみさんがいないと、オレ、お金のこととかなんにもわかんないから。だから、感謝しなくちゃいけないね。」。いや、その言葉、胸に痛いです。
結局、終電になんとか間に合う時間までマンジュトゥーにいて、ぼくはホテルに戻りました。楽しさの余韻で、風邪気味だった体調も好転しているような。よしよし、テンションあがってきたぞ、ということで就寝。一日目終了。

二日目は敬三の店「ラ・フィネス」の厨房で、朝から仕込みです。午前中に、やっとコース内容と順番、そしてワインの組み合わせが決定しました。毎回のことなのですが、ぼくの料理がなかなか決まらない。とくに、メインの肉料理の食材。大概の高級食材は既に敬三が使っていて、お客様も慣れている。結局、敬三と話し合って、ベキャスとお約束のトリュフを使おうということだけは決めてあったのですが、こまかい仕上げは出たとこ勝負。だから、ぎりぎりにならないと詳細が判明しないのですが、それもなんとか間に合って。
もう一つのぼくの料理はオードブルなのですが、これは「フォアグラのヌガーグラッセとクロワッサンのエスプーマ」で、ほとんど出来上がったものを大阪から送ってあるので問題なし。
で、みんなでわいわい言いながら仕事をしていたら、敬三の奥さんが、子供といっしょに顔を出してくれました。まだうまれたばかりの女の子。その子をはさんで家族3人、ほんとに仲睦まじそうに微笑みあっている。
ついこの間、高校生だったはずの敬三が結婚して子供がいて。なんだか不思議な気分になりましたが、この家族が今の彼を一層強くしているのだとぼくは思いました。
 その後、昔うちの厨房にいて、今は東京の「サンス・エ・サヴール」で働いている滝本亘もやってきて、近況を話し合っている間に、フェアが始まる時間が迫ってきました。滝本も自分の職場に戻って、「ラ・フィネス」の厨房が活気づき始め、緊張が高まっていきます。
 そして、フェアは無事終了。お互い全力を出し切ったことに満足して、敬三とがっちり握手をして、ぼくは「ラ・フィネス」を後にしました。ほっとして、その夜はホテルで熟睡。

 3日目は、浅草にある荒井昇さんのレストラン「オマージュ」へ。
 去年、大阪の「ラ・シーム」で食事したとき、シェフの高田くんとコラボした荒井さんの料理が印象深かったので、是非伺いたくて、上京前に予約を入れておいたのです。浅草というところにも、一度行ってみたかったし。
 浅草寺ではすっかりおのぼりさん気分で、あっちこっちでお賽銭撒きまくり、とりあえず商売繁盛を祈願して拍手打ち倒し、そのうえもっと頭がよくなるようにとお線香の煙にアタマをつっこんで、すっかり抹香臭くなったぼくは意気揚々とオマージュへ向かいました。「花やしき」とかいうへんてこな遊園地を通り過ぎ、大きな道を一本渡ってあとはまっすぐ。でも、浅草寺の賑わいとは別世界に人がいない。ここ、ほんまに東京か?といぶかりながら、通りすぎようとした交差点の角に、そのお店はありました。
 どうやら1階は厨房で、2階が客席らしい。階段を上ると、お客様でいっぱい。人事ながらほっとしていると、和装のマダムがご挨拶に。
 「ラ・シーム」では、マダムの和装で話が盛り上がったのです。うちのマダムも着物が好きで、自分でブラウスに仕立て直した着物着てサーヴィスしてるから。
 荒井さんも出てきてくれて、挨拶して握手して、食事が始まりました。一品ごとにマダムの丁寧な説明があって、食べ終わると、「どうでしたか。」と必ずお聞きになる。
 じつは、ぼくはその手の質問が苦手です。応えるのが、ちょっと面倒くさい。それに、ぼくは正直なコックさんなので、ついつい本音を言って、いやな顔されて、それなら聞くなよ、とこころで思って。
 でも、こちらのマダムの尋ね方が、まるで自分が作っているかのように真摯なので、ぼくも一生懸命、答えてしまいます。シェフの料理を気に入って欲しい、そんな思いが伝わってくる。なんだか、とても暖かい。
 うちのマダムもそうやって、ぼくの料理を大切に思ってきてくれたんだろうな、とぼくは振り返りました。そして、大切なものをないがしろにしてきた自分を、情けなく思ったのでした。

 荒井さんの料理は、繊細で上品で、それでいてしっかりと方向を見定めている感じで、好感度大でした。結構、刺激になったし、新しいアイデアの啓蒙もしてくれました。
 和の食材もちらほら出てくるし、自分も和装だから、お客様にはよく和フレンチですね、と言われるんです、とマダムが困惑顔で仰っていたけれど、そんなことは全くないとぼくは思いました。フランス料理の本質とは何か?その答えの一つがこのお店にはあると、ぼくは考えます。
 それにしても、2年8ヶ月と8ヶ月の二人の小さな子供がいるのに、サーヴィスに出ているマダムの姿には感動しました。そして荒井さんに、「奥さん、大事にせーよ。」と言いたくなって、それはお前やろ、とひとりツッコミ入れて、ぼくは見送る二人に手を振って、オマージュをあとにしたのでした。
 谷さんも、敬三も、荒井さんも、みんな素晴らしい伴走者に恵まれて、だから全力を仕事にむけることが出来る。もっと他の人生があったかもしれないのに、彼女達は彼等を支えている。
 ぼくたちは地図を持たずに、新しい地図を作るために旅を続けている種類の人間です。そして、それなりに成果をあげて、世の中で認められているとするなら、それは優秀なナヴィゲーターのおかげでしょう。

 大阪に帰って、翌朝からまたハードな毎日が始まりました。いつものようにまず奈良に出勤して、昼過ぎまでそこでの仕事をこなし、大阪の自店に戻ろうとしたとき、大事なことを忘れていたことに気づきました。うちの奥さんの誕生日だったのです。そこで、ささやかなプレゼントを買いました。
 自店での仕事を終え、夜遅く帰宅すると家族はもう眠っています。ぼくは、プレゼントに「いつもありがとう」というメッセージを貼り付けて、そっと冷蔵庫に入れました。それは大粒の、とても甘くて、雪のように白いいちごです。
 

 
 
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by chefmessage | 2014-01-21 20:54