北帰行
2014年 07月 16日
午前12時30分に旭川を出発した怪魚ハンターS君の車は、まっしぐらに北へ向かいました。7時間半の長旅のあと、ジンギスカン食べてやっと一息ついたばかりのぼくは、後ろの席でウトウトしています。前の席では、旭川のジャイアンこと、ビストロメランジェの河原くんとS君が、釣り場の検討をしています。どうやら目的地は、稚内に近い、幻の魚イトウの聖地、あのS川らしい。その名を聞いて、居眠り半分のぼくはニンマリします。でも、しばらく雨が降っていないから川の水量がどうのこうの、潮の廻りがよくないから云々。窓の外は天気予報に反して霧雨。どうもコンディションは良くないみたいです。でも、それは仕方のないことです。普段は大阪にいるぼくが、北海道で釣りに費やせるのは1年のうちでたった1日だけ。それも、変更の効かないその日限り。大雨でないだけ僥倖とするべきでしょう。
そして最初の釣り場に着いたのが3時半。もう夜は明けています。着替えて、道具を用意してポイントに向かいます。そこでS君のいきなりの嘆きの声。「網が入ってます。これでは釣りにならない。」。
そのポイントは河口でした。イトウはサケ科なので汽水に順応できます。海でも近海なら生きていけるのです。さきほど車中で二人が話していた潮廻りが、これに関係しています。潮廻りが良ければ、降海して餌をいっぱい食べて成長した魚が、また川に戻ってくるのです。そのサイズは陸封型よりも大きい。1メーターを超えるものも多い。今回はそれを狙おうという目論見だったのですが、河口にサケ捕獲の網が入っていたのです。
これは北海道にはよくあることなのですが、サケが繁殖のために遡上する季節になると、河口をふさぐような形で網を入れます。あえて川上に行かせないで、河口で捕獲するのです。なぜなら、遡上しても産卵に適した場所がなかったりするから。
治水のためにという名目で、堰堤(堤防)を作るとサケはそこから上流には行けません。また、本来は曲がりくねった流れをまっすぐにしてコンクリートの護岸にしてしまうとプランクトンが発生しないので稚魚が育たない、だからサケは産卵しません。すなわち。
人間の都合で、多分に政治的な駆け引きで、北海道の多くの川はサケが自然産卵できない場所になってしまっているのです。だから河口でサケを捕獲し、水産試験場で人工受精させて、産まれた稚魚を海に戻しているのです。そうしないと、北海道にサケは帰ってこなくなる。イトウが幻になったのも、同じ理由です。イトウの場合は保護するシステムがないから、姿を消すしかなかったのでしょう。
その網が予想よりも1ヶ月早く設置されてしまっていて、絶好の釣り場所の範囲が狭められているからS君は嘆いたのです。その距離わずか15メートル。それでも、とにかく攻めようや、ということでぼく達は分散してキャスティングを始めることになりました。S君が、一番いいポイントをぼくに譲ってくれます。聞けば、過去にその場所で彼はメーター超えをあげているとのこと。胸が高鳴ります。そして第一投。
不思議なもので、釣りは、第一投でいきなりヒットすることが多い。巨大な針の付いたルアーが着水します。底につくまでしばらく待ってリールを巻き、ゆっくりと引き始める。残念ながら一発目は不発。2度目、3度目、4度目、そして5度目にさお先が2回大きく振れました。すかさずあわせると、グイっときた後、プツンと音をたてて糸が切れました。
釣りの仕掛けは、リールに巻いて伸ばした道糸、その先に短いテグス(リード)をつけてルアーをセットします。道糸は縒り糸、テグスは強化ナイロンなのですが、今回は道糸にかなり強いものを使っていたためリードをつけず、直結でルアーをセットしていたのです。それをイトウの歯で切られてしまった。イトウは肉食なので、尖ってはいないけれど頑丈な歯を持っています。ルアーを咥えたときの角度によっては糸が擦り切れたりする。巨大な針を折ることもあるのです。
油断していました。強力なリードをつけていたら、あるいは。
その後、日が暮れるまで、何度か場所をかえてぼく達はロッドを振り続けました。さすがに昼食後は仮眠をとったけれど、それ以外は黙々と。
藪をかき分けて川辺に下ります。あるいは流れの中に腰近くまで入って目指すポイントにルアーを投げ込みます。ウグイスが鳴きます。カワセミが飛んできます。時々、雁の編隊が上空を横切ります。位置をかえて、また投げ。
河原くんやS君の、ロッドの風切り音がビュッと響きます。またウグイスが鳴き。それ以外は、ひたすら、川と空と緑と。
結局、釣果は、S君が80センチ超を一尾かけて面目を保ちましたが、ぼくと河原くんはノーヒット。帰路、S君が「すみません、ぼくの修行不足です。」としきりに詫びを入れます。でも、そんなことは全くない。ぼくはイトウに関して、彼以上の釣り人はいないと思っています。その知識の豊富さ、知るポイントの多さ、そしてその技量。一度、手を休めて彼の釣り姿を眺めていたのですが、しなりを利用して、遠くのポイントに狙い通りにルアーを投げ入れるロッドのさばき方は、芸術的とも言える素晴らしさでした。ぼくはむしろ、彼が苦労して開拓したポイントをぼくに惜しまず教えてくれることにこころから感謝しています。
そして、至福のときは終わりを告げました。
いつか1メーターを超えるイトウと出会いたい。その願いは来年に持ち越されました。でも、それでいいのです。1年でたった一日でいいのです。自然の中に入り込んで、幻の魚を追い求める。ただ黙々とルアーを投げる。
その一日があるから、ぼくは日々の戦いをしのいでいける。苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、寂しいとき、こころに浮かぶ風景があるかどうか。
ぼくは多分、そこで小さな自分を感じているのでしょう。それと同時に、おおきなものに包まれていることも。
生きることが戦いであるならば、それは自分との戦いに他ならず、でも、その自分の本来の姿を知ることができれば、ぼく達は心置きなく力尽きるまで挑むことができる。そういうことではないか。
釣りの翌日は、河原くんのお店で、ぼくのフェアをさせてもらいました。そして多くのお客様に、また来て欲しいと言われました。ぼくにまだ来年があるならば、是非、また来たい。その日まで、ぼくは不撓不屈であろうと思います。
