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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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早川くんのこと

 振り返って見ると、人生の曲がり角に立っていて、お互いが意図しないにも関わらず、その後の方向を決定することになった人物が誰にでも何人かいる、とぼくは思うのです。ぼくにとって、早川くんは、まさにそういう人でした。

 ぼくが30歳になったかならないか、それぐらいの時代のある夏の日、当時湘南のレストランで働いていた早川くんが、ぼくの仕事場であった京都の「ボルドー」にやってきました。一応顔見知りだったので挨拶をして、ところで何の用事?と尋ねたところ、フランスへ行くので大溝シェフにご報告に来ました、と言います。彼が働いていたお店は大溝シェフの紹介だったらしくて、そこを辞めるので、お詫びということもあったのでしょう。そういう義理固いところは、今も変わらない彼の美徳の一つなのですが、そのときぼくはチャンスがきた、と思ったのです。彼が渡仏するにいたった経路を聞いて、可能ならぼくも同じようにフランスへ行こう、と。

 後日、彼に連絡して詳細を聞きました。東京に、とりあえず一軒目の働き口を斡旋してくれて、渡航の手続きや片道の航空券の購入も手配してくれる会社があるということ。費用を聞くとその額は、その当時のぼくでもなんとかなる範囲だったので、ぼくはすぐに上京し、その会社を訪問することにしました。幸運なことに、東京に用があるからぼくも一緒に行ってあげましょう、と早川くんが言ってくれたので、お願いしてぼく達はともに上京することになったのです。
 その会社、というより個人事務所といった感じの一室で、ぼくは責任者から説明を聞きました。で、いつ行きますか?と尋ねられたので、できるだけ早い時期に、と答えると、じゃ、早川さんと一緒に行かれたらどうですか?とその方が言います。いや、それは早すぎる、と言うと、夏が終わると多くのレストランがバカンスに入るので、就労先が見つからない、と仰る。わかりました、では早川くんと行きます、とぼくは答えて、一月後の渡仏が決まったのです。
 まったく無謀としか言いようのない行動で、それは今でもぼくの最大の欠点でもあるのですが、とにかく慌しく準備に取り掛かりました。
 まず、ボルドーを辞めなければなりません。ただ、ぼくはいずれこの日がくることを見越していたので、ぼくが抜けても調理場はまわるように態勢は整えてありました。だから、シェフもすんなり了承してくれる、と思っていたのですが。
 給料を上げてやる、仕事は後輩の指導だけでいい、だから辞めるな、とシェフが言います。でもぼくが、どうしてもフランスへ行きたいからと訴えると、解った、と言ってくれました。そして、店をやめるその日、大溝シェフが退職金として結構な金額を手渡してくれたことを、ぼくは今でも忘れてはいません。
 父もそうでした。30歳をすぎても無謀な行動を取り続ける出来の悪い息子を常々苦々しく思っていたはずなのですが、やはり渡航する前夜に大金を手渡してくれて、死ぬ気で頑張ってこい、と励ましてくれたのも、今では遠い思い出です。

 そうして早川くんとぼくはフランスへ向かいました。二人とも不安でいっぱいだった。たいして言葉も喋れない、1軒目のレストランは無給が条件、その後はあてもなく、航空券は片道だけでビザは観光ビザだけ。
 パリに着いて、ぼくたちは別れて、それぞれの就労先に向けて出発しました。でも、寂しくなったら、お互いに電話もしたし、ときには一緒に食事にも行きました。ポール・ボキューズやタイユヴァンなどなど。彼には随分、助けてもらいました。そして、ぼくはあの手この手で合計3軒のレストランで働き、もういいか、ということで帰国して。
 あれから、もう30年近くが過ぎました。

 早川くんは帰国後、「パリの食堂」というビストロを開いて日本中にビストロブームを巻き起こし、10年間で3店舗を経営する大成功を収めました。そして、何故かレストラン業から突然撤退、レストランのプロデュース業に転進し、今では、デパ地下スイーツの展開で、やはり大成功。畏敬の念を抱かざるを得ません。
 その彼が、先月の、うちの25周年ディナーに来てくれました。久しぶりにゆっくりと話すことができて、その席上で、ぼくは彼にこう伝えました。「あの夏の日、君がボルドーに来なかったら、今のオレはない。そういう意味では、キミにはこころから感謝している。」と。すると、彼も言います。「道野さんが、ぼくの店にマスコミの取材いっぱいひっぱってきてくれたから、ぼくは成功しました。」。でも、それはきっかけに過ぎないとぼくは思っています。その後の大成功は彼の努力の賜物以外の何ものでもないから。
 しばらくして、彼が思い出したかのように、こう言い出しました。「道野さんは、もう一つぼくに良いことをしてくれたんですよ。」。その内容は、
 彼がレストラン業から撤退するきっかけは、ぼくの料理だったというのです。

 早川くんが1年だけの営業で閉店させた最後の店は、これまでのカジュアル路線から脱却するとても優雅なレストランでした。でも、採算があわなかったらしい。それで悩んでいたとき、ぼくの店に食事に来たそうです。そして、これまで自分は料理が好きだと思ってやってきたけれど、この人に比べるとそれほどではない、ということに気づいてしまった、のだそうです。だから、すっぱりやめる決心がついたんです、と彼は笑って言いました。
 それを聞いて、ぼくはちょっと困ってしまいました。それって、いいことなのか悪いことなのか判断がつかなくて。でも、あれがよかったんです、だからぼくの今があるんです、道野さんのおかげです、という言葉を聞いて、そうか、世の中にはそういう関わり方もあるのかと思って、面映いながらも、妙に清清しい気分になりました。
 ぼくもどうやら、曲がり角の道先案内人であったようです。

 そうして、ぼく達はみんな、いろんな人たちとの出会いに導かれて、今、ここにいるのでしょう。それならば、よりよき方向へ人を導ける人間でありたいと、ぼくは思うのです。そのためには、自分自身がまっすぐであらねばならない。ちょっと道徳の教科書っぽくなってしまいますが、そういうことなのではないでしょうか。

 あ、思い出した。フランスで、早川くんに貸してあげたセーター、返してもらってないな。もうとっくに失くしてるだろうな。でも、先日のディナーのときに随分立派なお花をいただいたので、もう帳消しにします。
 ハヤカワ、これからもよろしくな。
 
by chefmessage | 2014-10-19 17:40