熱帯魚の飼い方
2015年 12月 01日
でもぼくの場合、手間ヒマ惜しんで、というのは時間的に無理です。だから大きい水槽はやめました。魚種も、マニアックなものは難しい。熱帯魚の王様、といわれているのはディスカスという魚で、これを飼ってみたかったのですが、到底歯がたちません。例えば、こうです。
「ディスカスの産地であるネグロ川は、導電率が8us/cm、ph5.0、GH1以下、KH1以下、という軟水で、繁殖を狙うならこのようなデータを元に環境を整えるようにする。」。
できるはずがないやん、と思いません?
熱帯魚飼育の第一歩は、水をととのえることです。まず、水道水の塩素(カルキ)を抜く。これは薬品で簡単にできます。次に、温度を調整する(25~26度くらい)。それから、水中のバクテリアを増やす。魚の排泄物や餌の食べ残し、枯れた水草の葉などが水槽のなかでアンモニアを発生し、これが毒素となるのですが、それを亜硝酸へ、さらに硝酸に変えて毒素を弱める力がバクテリアにはあります。逆にいうと、バクテリアなどの微生物すら住めない水では魚は生きていけないのです。このバクテリアは基本、ろ過で増やせます。急ぐ場合はバクテリア剤を入れます。そして、次のステップ。飼いたい魚の住んでいた場所に近い水にする。軟水か硬水か。PHはどのくらいか。これは、ネットで簡単に調べてデータを手に入れることができるし、対処法もむずかしくありません。
どうですか、結構、科学だと思いません?でも、魚種によってはかなり気をつかわないといけないものもあり、先のディスカスなどはその筆頭なのですが、それゆえに、マニアの世界はとことん深くなっていくのです。
ぼくが子供のころのディスカスといえば、茶色にうっすらと黒の縦じま、上下にブルーの波型が入っているものがほとんどで、改良型のブルーというかターコイズというのがめずらしかったくらいでしたが、現在のディスカスには数え切れないくらいの改良バージョンがあります。白、赤、青、黄色にキャリコ、そのどれもが写真でみると素晴らしく美しい。血統も、本家あり分家あり、出身もアジア、ドイツと多岐におよびます。その改良にどれほどの時間が費やされ、どれだけの心血が注がれたのか想像するのも恐ろしい世界なのですが、でも、もっともマニアックとされているのは、じつはワイルドと呼ばれている原種なのです。現地ですくってきたそのもの。
そこまで考えてきたとき、ぼくはふと思いました。これって、料理の世界とそっくりやん。
まず、料理は科学である、ということが明らかになりました。そこから、多くのことが理論的に解明され、それに基づいて、さまざまな技法が再構築、あるいは発見されました。それがネットで世界中に発信されるようになり、それぞれの国の固有の文化と結合し、いまや百花繚乱となっている。でも、情報過多による混乱も多くみられるようになってきた。料理人が、自己不信に陥り、将来の展望を見出しにくくなっている。そのようなときに原種が再び注目を集めるようになる、ということになれば話は大団円になるのですが、料理の世界はやはり熱帯魚のような趣味の世界と同一にはなりません。なにしろ歴史が桁違いに長い、それに、文化として生活にしっかりと根をおろしている。また、流行の規模が全世界的です。それだけに混沌もまた桁外れに大きいとは思うのですが、ただ、ひとつの指針として、原種はなくなってはならないと思うのです。原種、といっても、そのままではありません。その面影を未だ残しているもの、という程度ですが、でも、それはなくなってはならないと思うのです。
原種があるから、その改良型は評価の対象となりうるのではないか。
厨房の火の前に立って、ひたすら完璧をめざそうとする姿勢。自分が描き、形として生み出す第一歩を踏み出し、いくつかの工程を人の手を経ても、最終的に自分が完結させるスタイル、それはすでに時代遅れであり、できあがるものはあまりに簡潔すぎるかもしれない。努力に比べて、その成果はあまりに小さなものかもしれないけれど、そして、自己満足とそしられることもあるかもしれないけれど、自分に恥じない毎日を生きること。
みんな、自分好みのディスカスを選べばよいのです。それが個性であり、優劣なんてないように思います。ぼくは、原種を選びたい、というか、それが性に合っているということなのでしょう。
仕事が終わって帰宅すると、まず熱帯魚の水槽を覗き込む毎日です。水槽は2個あって、一つには魚が入っていません。やっと水ができあがりつつあるところ。来週の月曜日に注文した魚が届きます。ペルヴィカクロミス・タエニアータス・ナイジェリアレッド。何故か、熱帯魚の名前は覚えることができます。料理名はしょっちゅう忘れるのに。やっぱり、水族館の館長になったほうがよかったのかな、と、その一瞬だけ思います。