ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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桜の花咲く頃に。

どうして自分がコックになったのか、実は、今でもよくわかりません。だから、もう40年近くこの仕事をやり続けているのに、料理を作っている自分を不思議な気持ちで眺めているもう一人の自分がいることに気がつくことがあります。そして、どうしてフランス料理なんだろうと、首をかしげていることにも。

 初めてフランス料理なるものに接したのは、大学4年生の時でした。そのとき付き合っていたガールフレンドがアルバイトをしていたレストランに、その彼女と一緒に行きました。エスカルゴと牛フィレのペッパーステーキを食べたことを憶えています。

 食後に、シェフと話しました。なにげなく、ぼくが「こういう仕事もいいなと思っています」と言うと、シェフがすかさず「やめとき」と仰った。「大学までいった賢い君が、たとえば黒だと思っても、私が白だといったら従わないといけないのがこの世界や。我慢できるはずがないから、やめとき。」。

 その言葉を聞いたとき、ぼくは唐突に決めたのです。ぼくは料理人になる、フランス料理のシェフになる、と。そのときの心の動きを何度も反芻しては分析しようと試みたのですが、すべては後付けの理屈のように思えて、未だに納得できる答えは見つけられてはいません。天啓、といえば格好いいのでしょうが、実際は、単なる思い付きでしかなかったような気がします。

 かといって、なんの伝手もありません。ぼくは食べることに興味があったわけではないし、それまで料理なんて作ったことがない。リンゴの皮すら剥けなかったし、イワシと鯵の区別もつかなかった。だから、最初に行ったレストランのシェフにお願いするしかありませんでした。「ぼくを雇っていただけませんか?」。

 最初は、定員いっぱいで無理だと言われました。でも、これは後からシェフに聞いた話ですが、ぼくのガールフレンドが必死に頼み込んでくれたらしい。「しゃあないから雇たったんや。」とシェフがよく言ってたのを覚えています。

 (これは先に明らかにしておきますが、その彼女は、今のぼくの家内ではありません、残念ながら。世の中は、それほどロマンチックではないようです。)

 それから、ぼくは時間があるときはそのレストランでアルバイトをするようになり、卒業と同時に、正式に調理師見習いとなりました。その店の名は「ボルドー」、そして、全くなにもできなかったぼくを雇ってくれたのは、先日、黄綬褒章を受勲した大溝隆夫シェフです。

 その大溝シェフの受勲パーティーが2月29日にあったので出席してきました。場所は、京都のホテルグランヴィアだったのですが、行って驚きました。出席者400人、その殆どが、日本中から集まった業界の著名人や重鎮。恐れ入りました。大溝シェフは、いわば街場の、一軒のレストランのオーナーシェフに過ぎません。それなのに、この圧倒的な人脈は何なのか。40年という時の重みをひしひしと感じました。それを如実にあらわしていたのが、当日のグランヴィアの料理でした。一切手抜き無しのガチガチのフランス料理を400人分出してきた。メインの料理にいたっては、各テーブルを著名なシェフが一人ずつ担当して料理を盛り、サーヴするという演出。その数、40人!参りました。多くの人たちが労を惜しまず、大溝シェフのために尽力しているのが伝わってきて、ぼくは感動しました。それと同時に、ぼくは自省せざるを得なかった。大溝シェフが、かくも広範な人脈を築くに至るまでの間、ぼくは一体なにをしてきたのか。

 自分では懸命に生きてきたつもりです。でも、どれだけぼくは進歩したというのか。世にもてはやされて有頂天になった時期もあったけれど、その後凋落し、そこから抜け出そうと必死で努力してなんとかここまで来たけれど、その間、ぼくはどれだけ成長したというのか。

 桜の花咲く頃に、不安を抱え、途方にくれながらもとりあえずスタートして以来、ぼくはどれだけの距離を走破することができたのだろうか。

 何もあの頃とは変わっていないような気がします。でも、着実に時間は過ぎてきました。件のガールフレンドは大学卒業後、郷里に戻って英語の教師になったそうです。そして、いまでも大溝シェフとは連絡を取り合っているようで、「彼女、定年やって言うてたわ。」とシェフから聞きました。もうそんな年になったのかと大いに驚きましたが、考えたら当たり前です。来月、ぼく自身が62歳になるのですから。

 大盛況のパーティーの中にいて、ぼくは暗澹たる気持ちになりました。自分に残された時間は、もう多くはない。でも、お開きになる前の大溝シェフのスピーチを聞いて、ぼくは思い直しました。シェフは声高らかに宣言していました。「力の続く限り頑張ります。」。そうか、それなら、その弟子たる自分もやらねばならない。今まさにスタートラインに立ったつもりで、もう一度走りだそう。

 「ボルドー」の近くにある、常照寺の桜もやがて咲き始めるでしょう。長年忘れていたその光景を、ぼくは今思いだしています。そして、いつまでも忘れないで、唐突に始まった料理人人生を、悔いの残らないよう全うしようと思います。


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by chefmessage | 2016-03-03 12:13