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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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永遠のファイティングポーズ

 うちの店に10年間勤務してくれたマネージャーが退職したいと言ったとき、ぼくは思わず天を仰ぎました。そんな日がいつかは来るのだろうと思ってはいたけれども、いざその時が来ると、やはり動揺を隠せません。家族同然、というか、家族よりも長い時間を毎日過ごした仲間なので、いなくなるのは寂しいし、なにより業務に多大な支障が生じます。


それでなくてもいっぱい問題を抱えて苦しんでいるときだったので、彼の退職の申し出は止めの一撃、という感じで、ぼくはもうどうしていいのかわからなくなりました。でも、ぼくがこれから何年店を続けることができるのかわからない時期に差し掛かっているから、将来の再就職を考えると、彼の退職は早い方がよいのです。「ぼくがもう少し若ければ、最後までシェフと働くことができるんですが」、そう言われると納得するしかありません。それに、高齢の両親のことを考えると、一人息子である彼が親元に帰ることは悪いことではないとも思います。だから、ぼくにできることがあれば遠慮なく言ってほしいとだけ伝えました。


 なんだかとても疲れてしまって、もう店を閉めようかなと柄にもなく弱気になっていた時、20回目の結婚記念日のお祝いに、という予約が入りました。

 このご夫婦は20年前、当時豊中にあったぼくの店で結婚披露宴を挙げてくれました。それ以前から来てくださっていたのですが、いよいよ結婚することが決まったとき、ご主人がぼくにこう言いました。「大切な友人だけを招いて披露宴をします。丁度、道野さんのお店に入れる人数にしました。だから、親兄弟は出席しません」。それだけでも驚いたのですが、続いて出た言葉にぼくは二度びっくりしました。「その代わり、一生忘れないような、いつまでも思い出して話せるようなそんな食事会にしてください」。そして、「そうしてもらえるなら、お金のことは一切言いません。すべておまかせします」。まるで挑むように言い切った言葉を、ぼくは今でも覚えています。

 そんなパーティーにすることができたのでしょうか。それから毎年欠かさず結婚記念日には来てくださいました。その20回目の予約です。

 なけなしの気力をかき集め、奮い立たせて料理をしました。最後にマダムの力作、クロカンブッシュをテーブルにお持ちしたとき、寡黙なご主人が「すごい」と感嘆の声を上げました。そして奥様に「30周年もここでやってもらおうな」と声をかけられた。奥様が頷くのを見て、思わずぼくは言いました。「それは無理やわ。10年後、オレは75歳やで」。

 お二人が帰り支度を始めたので、玄関までお見送りしました。そのとき、ご主人がぼくに話しかけました。「道野さん、結婚10周年のとき、ぼくが20周年もお願いしますと言ったらなんて答えたか覚えてますか?」「そのときはもう65歳やから無理やわ、と言ったんですよ。でも、今日の料理は素晴らしかった。だから、30周年もお願いします」、そう言って奥様の背にそっと腕を添えて、二人並んで歩いていかれました。ぼくは、励まされたと思った。それに気づいたとき、ふっと光が射したような気がしました。浮力を感じて体がすこし軽くなった。それがうれしくて、角を曲がって帰ろうとする二人に手を振りました。彼も振り返って手を振った。奥様はそっとお辞儀を返してくれた。

 あと10年か。それは無理かもしれないけれど、やるだけはやってみようとぼくは思いました。


 それから二日後のことです。


 突然、東京のYさんが食事にきました。実は、彼とは会ったことも話したこともありません。ただ、Facebookでは以前から友達でした。フランス料理店のオーナーシェフです。ある時、彼がアップしていた料理があまりに見事だったので、どうやって作っているのかを聞いたところ、実に丁寧に教えてくれたのですが、その着想と技術に驚きました。そして、彼の料理が表紙になっている料理本も購入して、ひそかにファンのひとりになっていたのですが、その彼が、ご自分の店で使っていた食器を譲りたいという投稿をしていて、ちょうど気分転換に皿でも買おうかと思っていたぼくの目に留まったのです。早速、連絡をして譲っていただくことになりました。するといきなり翌日に、一人ですが明日のディナーで、とメールで予約が入って、皿まで持参すると書いてあります。お願いした皿は20枚で重いから送ってくれたらいいのに、と思ったのですが、尋ねてみると、8年営業したお店を閉めて時間があるからという返事。それなら、ということで、譲っていただくお皿に盛る料理を考えてディナーに追加することにしました。

 当日、一品一品を吟味して食べている様子が伝わってきます。自ずと、ぼくの方にも力が入ります。久しぶりに料理を作ることを楽しんでいる自分がいる。

 食後、いろんな話をしました。一旦、店を閉める決意をした彼の苦労話に耳を傾けます。一つ一つがわが身に響きます。なんでこんなつらい仕事を選んだんだろう。そして、なぜそんな苦しい思いをしながらもやめることができないんだろう。中でも、一番身につまされたのは、

 妊娠した彼の奥さんが、さすがにつらくてサービスの仕事ができなくなって、彼女のいない営業を始めなければならなくなったその朝、彼が心細くて泣いた、という話。


 うちのマダムが言った言葉を思い出しました。「強い人には必ず、その人を支える人がいるんだよ」。

 だから、そんな大切な人に気づいて、でもその人がいなくなったとしたら、ぼくも同じように、心細くて泣いてしまうだろうと思ったのです。

 

 そんな彼も、次のステージを見つけたようです。そして、その前にうちに来てほんとうに良かった、と言います。憧れの人に会って、その人の料理に感動して、ぼくは前に進む勇気をもらった、と。

 そういうふうに言われると、弱音なんか吐けないな、とぼくは思いました。励ますつもりが実は励まされている、そんなことが重なって、ぼくの方こそ勇気をもらいました。そして思ったのです。たとえ倒れるときが来ても、人の目に自分のファイティングポーズが残像として残る、そんな生き方を貫きたい。

 去る人に、頑張れよ、そう声をかけたい。その声がその人にいつもしっかり届くような毎日を、ぼくも送りたいと思います。

 


by chefmessage | 2019-06-13 19:44