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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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「明けない夜はない」

 お店をやっていて困ることは沢山ありますが、中でも機械類の突発的な故障には度々酷い目に遭わされます。うちの店は、前の方が8年やっておられた後に居抜きで入って11年経つので、引き継いでそのまま使っている設備はかなり老朽化しています。それに、ぼくが新しく設置したものでも11年経っているのです。だから、壊れ始めると順番に、まるで連鎖反応の様に修理や入れ替えが必要になりました。冷凍庫からはじまり、製氷機、台下冷蔵庫、4ドアの冷凍冷蔵庫、食器洗浄機、コンベクション付きのガス台。無いと仕事にならないので、順番に入れ替えました。まるで、機械購入の費用捻出のために働いているかの様な日々。そういえばホールの照明もLEDに交換しました。しかし、まだ大物が残っていたのです。それはエアコン。
 でも、これが夏に急に動かなくなるととんでもないことになります。だから、以前から入れ替える計画を立てていたのです。でも、コロナ禍!ホントはやめたかった。その費用を営業に回したかった。しかし、夏は来るのです。ええい、やってしまえ、ということで三連休を取って工事をすることになりました。その3日目の出来事。(長いまくらですみません)。

 うちの店で10年間マネージャーを務めてくれた原 光(ハラ ヒカル)が去年の末に退職したことは以前のブログでも書きましたが、その原が心機一転、飲食業から足を洗い、堅気になるべく勤めた一般企業を辞めた、というメールが届きました。それ以前より彼が、新しい就職先でいろいろ苦労をしていることは聞いていたので致し方のないことだと思ったのですが、タクシーの運転手になるため面接に行きます、という一文を目にしたときに、それは無いやろうという気持ちが沸き起こったのです。
 くれぐれも誤解していただきたく無いのですが、ぼくはタクシー運転手という職業に対してどうのこうの言っているわけでは決してありません。ただ、彼ほどのキャリアを持つサーヴィス人がもったいないと思ったのです。ぼくの知る限りでは、最も信頼できるサービスマンなのだから。もう一度、その現場に戻って、彼らしい、彼にしかできない仕事をしてほしいと痛切に思いました。 
 だから、何か彼のためにできることがないだろうかと考えたときに、一人の人物の顔が思い浮かびました。
 その人は、小金井市にある「TERAKOYA」というレストランの三代目オーナーシェフ、間 光男さん。この人とは、昨年の「世界料理学会in函館」で知り合いました。それまでまったく面識はなかったのですが、函館での最後の打ち上げで席が隣同士になり、意気投合して1時間ほど熱心に語り合いました。大きなレストランの三代目らしい上品さと知的好奇心、そして果敢な行動力が印象的な好漢でした。この人とは長い付き合いがしたいもんだと、ぼくはその時思ったのです。

 函館から戻った夕刻からぼくは店に出たのですが、最初にしたことは名刺の整理でした。ぼくは普段は名刺を持つ習慣がないのですが、出かける前にマネージャーの原から一箱持たされました。こんなにいるか?と聞いたら、絶対入ります、と彼が言うので渋々持っていったのですが、結局、いただいた名刺でその箱はいっぱいになりました。それをカウンターに置いて、名刺ホルダーに仕分けしてほしいと頼みました。すると原が、その名刺の山の一番上の一枚を指し示して、シェフはこの方と知り合いになったんですか?と聞きます。なんで?と言うと、彼が話し始めました。

 彼が高校三年生のときにアルバイトしたのがその店で、そこでサービスの仕事のおもしろさに目覚めて専門学校に進むことになったと言うのです。専門学校にいる間もそのお店でバイトをして、ずいぶん可愛がってもらったんだと、懐かしそうに語りました。
 その話しを聞いた時には、既に原の就職先は決まっていたので、彼のサービスマンとしてのキャリアの最初と最後の店のシェフ同士が偶然知り合いになるなんて、不思議な縁もあるもんだなあと感心しました。だから翌日、間さんにお電話して「実は話してほしい男がいるんだ」と原と電話を代わりました。二人は楽しそうに話していました。そして、二人が共に相手に対して好印象を抱き続けていることがわかって、ぼくもとても嬉しい気持ちになりました。
 だから、ぼくは間さんに協力を仰ごうと、とっさに思いついたのです。

 間さんにメールをしました。そして、お互いに現況を報告し合い、励まし合いました。その後、原の事をお願いしました。できれば連絡をとって欲しいと、原の電話番号を添えて。頑張ってみます、そういう応えが返ってきました。それが今日の午前中のことです。

 同じ日の午後、今度は間さんから電話がかかってきました。「道野シェフ、今ぼくの前に光がいます」それが第一声でした。今度はぼくが驚かされる番でした。そして「決めました」と言うので「何が?」と問い返すと、「うちの吉祥寺の店を彼に任せます」との答え。スピーカーフォンにしていいですか、と言うのでいいよと返すと、原の懐かしい声。「シェフ、すみません」。そして「頑張ります」。
 嬉しくて、ちょっと泣けました。

 もっとよくしてやればよかったと思っていたのです。何もしてやれなかったと内心忸怩たる思いだったのです。本当に良かったと思いました。間さんのところなら、安心して彼を任せられます。原も挫折を跳ね返す勢いで頑張ることでしょう。

 飲食業はブラックだとよく言われます。ましてやこのコロナ禍で、暗闇に近い印象です。けれども、射す光もあるのです。
 あの時、偶然一番上にあった一枚の名刺から新しい人間関係が生まれました。縦に糸を張り巡らしていると、それはいつか横の糸を紡ぎ、やがて一枚の布を織りあげるのでしょう。でもそれは、正しい人間関係を築き上げてきた結果ではないかと思うのです。
 だから、困難な時にこそ人を大切にしたいと思います。人の心の底に流れる優しさを見失わない様にしたい。

 そういえば「TERAKOYA」さんがFBに投稿していた写真を思い出しました。従業員の皆さんが交代で一枚のプラカードを持っている連作。そこにはシェイクスピアの有名な言葉が書かれていました。
 「明けない夜はない」。
 みんな、頑張ろうな。
 

 

by chefmessage | 2020-05-27 19:30