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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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90歳の浪曲師

    90歳の浪曲師

 初めて聴いた浪曲は、玉川奈々福さんの「寛永三馬術」でした。

 ぼくはそれまで浪曲を聞いたことがなかったし、聴きたいと思ったこともなかった、むしろ、今時誰がそのようなものを好むのだろうかと疑問に思っていたほどです。では、どんなきっかけがあったかというと、これが全く浪曲とは関係の無い動機からでした。
 知り合いの女性が、凱風館寄席で浪曲の口演があり参加者を募っているとSNSに投稿していて、まずそれに興味を引かれたのです。
 凱風館は神戸にある内田樹先生の合気道の道場で、そこでたまに寄席を行うことは以前から知っていたのですが、行こうかと思った直接の原因は、参加する女性は和装が好ましい、という一文があったから。
 うちのマダムは着物が大好きなのですが、なかなか着用に及ぶ機会がないので、これはちょうど良いと思ったのです。問うてみると行きたいというので、ぼくたちは出掛けることにしました。そして、初めて聴く浪曲にぼくは魅了されてしまいました。
 その後、奈々福さんが食事に来てくださったご縁もあり、曲師(三味線)の沢村さくらさんや若手浪曲師の真山隼人くんたちとも懇意になり、ぼくの浪曲熱は高まっていきました。全盛期には3,000人いたという浪曲師は今や60名、曲師に至っては20名という絶滅危惧種でありながら、懸命に伝統を守ろうとする姿勢に共感を覚えたということもあったのかもしれません。自分の置かれた状況と近しいものを感じたからでしょうか。

 大阪で浪曲を聴くことができる寄席の一つに、天王寺の一心寺門前寄席があります。毎月第一週の土、日、月曜日に行われるのですが、店の定休日が月曜日なので、時々出かけます。昨日は久しぶりに行くことができました。ぼくの好きな京山小圓嬢さんが出演するので楽しみでした。youtubeで聴く彼女の「名刀稲荷丸」は何度聴いても感動します。

 入場料を払って手渡された出演表を見ると、小圓嬢さんは4人口演の二番目だったので、ぼくは首を傾げました。いつもならトリの位置である浪曲界の名跡です。なんでだろう。
 一人目の演者が終わり、小圓嬢さんの登場。しばらく見ないうちに随分老けこんでおられます。「私、90になりましてん、それでももうちょっと頑張ろうと思ってるんでよろしくお頼み申します」。そして始まったのですが、残念ながら声が出ていない。仕方ないと思いながら、それでも聞くのが辛い。三日続いた最終日ということもあるのでしょうが、かつての張りのある声を何度も耳にしているので、尚更。
 トリは務まらないと判断したのはご本人なのか、主催者側なのか。とにかく最後までやり切って欲しいとぼくは祈るような気持ちでした。同じ節が2回繰り返されたときは、誰も気がついていないといいのにと勝手に思った。だから終わった時にはホッとしました。
 いつも最後まで現役でいることをぼくは公言していますが、やっぱり引き時というものはあるのではないかと、その時ぼくは思ったのです。

 それでも拍手の中、小圓嬢さんは退場。途中でふと足を止められました。どなたかお知り合いが居られたようです。その時、笑顔で彼女が仰った言葉。「今日は声が出なんだけど、次はもっと上手になって聞かせるからね」。
 なんということなんだろう。何が彼女にそう言わせるんだろう。
 衰えは彼女が一番感じているはずなのです。それでも、もっと上手になってお客さんを喜ばせたいという気持ち。凄絶という他はないとぼくは思いました。そんなことがぼくにもできるだろうか。

 ぼくのいるフランス料理の世界は今、岐路にあるように思えます。フュージョンがもてはやされて、伝統が廃れていく予感。だから、伝統を殊更重視する流れもあります。でも残念ながら、ぼくはどちらにも属してはいません。
 影響を受けた料理人はいるけれども、師匠と呼べる人がぼくにはいないのです。だから、厳しい修業をして、たくさんの技術を習得した料理人の仕事を見ると、いつもすごいなあと思ってしまいます。ぼくの基礎は独学で身につけたものでしかない。だから、伝えるべきものを何も持っていない自分に失望してしまいます。そんなぼくに小圓嬢さんの言葉は驚きだった。そして、もし伝えるべきものがあるならそれだと思った。

 ぼくは常に変化してきました。たとえ同じ料理でも、この方が良いと思ったら、すぐに変更してきました。ぼくはいつも、もっと良くなると思っていた。自分の知らないことがたくさんあって、とにかく試さないと気が済まなかった。それをすることで、もっとお客さんを喜ばせることができる。人を感動させられる自分になることができる。それが自分の存在意義だと。

 一心寺からの帰り道、今日ぼくは勇気をもらったと思った。そして、この勇気なら伝えることができると思った。

 浪曲は浪花節と同義語です。でも、御涙頂戴だけではないのです。
よろしければ一度聴いてみてください。案外、ハマるかもしれませんよ。
 


by chefmessage | 2021-09-07 22:40